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5-1 嘘の百年間

 ぼんやりと白い天井が視界に映る。

 頭は回らないが、どうやら自分はベッドに横になっているということだけは、ぼんやりとできた。

 しばらく──それがどれくらいの時間か分からないが、誰かが部屋に入ってきた。

「シトリさん。本当にありがとうございます。シトリさんが居なければ、俺……人殺しをした罪悪感で潰れていました」

「気にしないでください。困った時はお互い様です。それに、ロベル様の行動で多くの人を救ったんです。少なくとも目の前に救えた命がありますよね? 自身を持ってください」


「はい。……あの、俺が落ち込んでいたことはレリアさんには、言わないでください。俺が助けた時、レリアさん……泣いてました。多分俺が人を殺した事に罪悪感を抱いてしまったんだと思います」

「承知いたしました。ですが、ロベル様はどうしてレリア様の元へ戻ってくる気になったんですか? この家を出ていかれる際、随分と憤っていたように見受けられましたが……」


「成り行きです。この家を出てからしばらくして、俺はとんでもない勘違いをしているんじゃないかって不安になって、レリアさんを監視していたんです。そこで、知らない女の人と話すレリアさんの会話を盗み聞きました。聞こえた会話から、俺が勘違いをしている事に確信を持って……謝るタイミングを探していたら……って感じですね」


 そんな会話が、意識の水面からレリアの頭に響く。

 しばらくして、複数の足音がレリアの方へ近づいてきた。

「ですが、本当に驚きです。あれほどの出血量で亡くならずに済んだなんて……ここに連れて来るまでに確実に致死量の出血はしていましたよ。少なく見積もっても七割ほど」


「確かに、びっくりするくらい体重が軽かったです。七割って……多いんですか?」

「はい。人間は三割の血液を失うと、生命の危機を及ぼすと言われています。七割なんて死んでいる方が自然です。内蔵もぐちゃぐちゃで、正直あの状態で生きている事に恐怖を覚える程でした」

「そ、そんなに……俺が応急処置をできれば……」


「それは言っても仕方がありません。ロベル様は最善を尽くしました。二週間ほど経過して容態も安定していますし、後は私にお任せください」

 誰かがレリアの寝ているベッドのすぐ傍に立ち、毛布を優しく剥ごうとした。

 その直後、女性の息を飲むような声が聞こえた。

「ロベル様! レリア様が目を覚ましました」

「え⁉」

 ドタドタと、駆け寄る足音。


 そして、ロベルの顔が視界いっぱいに映り込んできた。

「れ、レリアさん! しっかりしてください。俺です。ロベルです。分かりますか?」

 ロベルに力強く肩を揺さぶられ、半覚醒状態だったレリアの意識が水面に浮上するように、現実の世界へとゆっくりと戻ってきた。

「う……あ、あぁ」


 声を出そうとするも、声がうまく通らない。それどころか、会話しようと息を吐き出すだけで息が激しく切れてしまう。レリアは息を整えながら、重い体を起こそうと上半身を傾けた。すぐに、ロベルがレリアの元に駆け寄り、背中を支えて彼女の上体起こしを手伝う。

「……シトリ」


 上体を起こすのと同時に、レリアはシトリに声をかけた。

 その時、ロベルが傷ついた顔を浮かべたが、レリアはそれに構わずシトリに視線を向けた。

 シトリは少々緊張した顔でレリアの顔をじっと見つめ返した。

「は、はい。なんでしょうか?」

「悪いけど、席を外して」


「…………分かりました。何かあったらすぐに呼んでください」

 不満そうにシトリは何度もチラチラとレリアの方を振り返りながら部屋を後にした。その後ろ姿を見送るレリアは、激しく肩を上下させる。全身が針で刺されたように痛む。わずかに喋っただけでもこれだ。この状態が続くなら、復職までには相当の時間を要するだろう。

「ロベル……悪いけどタロットカード取ってくれる?」

「は、はい!」


 ロベルはベッド脇に置かれていたタロットケースを素早く手に取り、レリアに渡した。

 タロットケースを弱々しく受け取ったレリアは、毛布の上にタロットカードをばら撒く。

「女教皇のカード……探して」

「分かりました」

 ロベルが手伝ってくれたお陰で、必要としていたカードはすぐに見つかった。

 レリアはそれを受け取ると、目を閉じる。


『異界より来訪せし……七二の悪魔の一柱。古の契約に基づき……我が呼び声に応え現出せよ。我が求めるは回復……万物を治癒する……汝の力を示せ。ストラス……』

 言い終わってからレリアは再び肩で息をする。

 同時に空間が歪み、空間に裂け目が生まれる。そこから頭に王冠を乗せたフクロウが飛び出すように出現した。

 ミアの契約していた悪魔──ストラス。


 その悪魔は、レリアの惨憺たる状況を目の当たりにして、ほの暗い喜びを表情に描きながら、優雅に羽を広げた。

「レリア・サージュ。随分とひどい有り様だな」

「うるさい……不覚を突かれただけ」

「ふむ。しかし、その弱り果てた姿、貴様の母の末期の姿によく似ているな。貴様の母は不思議な女だった。吾輩と契約をしておきながら力を借りずに病死したのだからな」


「…………その話はどうでもいい。私を治して」

「……つまらぬ。思い出話に花を咲かせても損はしないだろうに……まぁ良い。対価として二〇年貰う」

「分かった。それでいい」

「ま、待ってください!」

 それまで黙って話を聞いていたロベルが声を張り上げた。


「二〇年ってなんですか? もしかして寿命ですか? 街の外壁の上でも五〇年支払っていましたよね? これ以上契約をしたらレリアさんが死んじゃうんじゃ」

 ふっと、ロベルを馬鹿にするようにストラスは鼻で笑う。

「小僧よ。我々はレリア・サージュに危害は加えない。それはこやつの母親との契約で禁じられている。寿命を奪ってしまえば、危害を加えたと判定され、吾輩は消滅してしまうだろう」

「だったら何を支払っているんですか?」

「どんな者にも平等に与えられている老いる権利、そして死ぬ権利だ。わかりやすく言えば、我らはこやつに不老不死を強制させている。こやつはあと七〇一年間、一七歳の誕生日から肉体の時が止まった小娘のままだ」


 ロベルの絶句した姿を見て、気分が良くなったらしいストラスは、再び愉快そうに羽を優雅に広げる。

「十七歳と言えば、先日レリア・サージュが酒を飲んでいた機会があっただろう。あの際にこやつは『厳密には酒を飲むのは駄目』と言っていたはずだ。今の話を聞けば、なぜあの時、レリア・サージュがそういう発言をしたか分かるだろう。こやつは肉体的には十七歳だからだ」


 ロベルは、絶句したまま責めるようにレリアへ視線を向ける。だが、レリアはロベルと目を合わさないように視線を逸した。

「ど、どうしてそんなことに……悪魔は魔女から魂を奪うって……。悪魔との契約の対価は魂の取引だけなんじゃ……? どうして不老不死にしているんですか」


「我々はレリア・サージュ本人とは魂を対価にした契約を結べない。故にレリア・サージュは魔女ではない。魔法学的な定義に基づけば、こやつが行っているのは、使役や召喚に分類されるものだ。ちなみに魔女だったのは、こやつの母で、名をルイーナ・サージュという。その女は、一三七年前に世界で始めて六柱の精霊と契約をした女だ。聞いたことくらいあるだろう」

「…………」


 ロベルは口を開かない。ストラスはそれを見て満足そうに捲し立てて語る。

「ルイーナは世界初の魔女で、一二〇年前に死んだ女だ。レリア・サージュはルイーナの契約を使用して我々を呼んでいるにすぎない」

 レリアは俯いたまま、ロベルともストラスとも目を合わせない。

 ストラスは、レリアがその話を嫌がることをよく知りつつ、レリアの気持ちを逆なでする為にあえてロベルに話をしていた。


 だが、ストラスの説明を妨害することはできない。なぜなら、ストラスの説明を妨害すれば、気を悪くしたストラスはレリアの身体を治癒する対価を高く設定するに違いないからだ。

 だから口出しができない。ストラスもレリアが口出しできないのを分かっているから楽しそうにレリアの知られたくない過去を暴露する。


 レリアは、ストラスの事を殴ってやりたいと思いながら、弱々しく拳を握る。ストラスはそんなレリアの様子を見て満足そうに羽を広げた。

「ルイーナとの契約は、我々としてはこの世界において初の契約だったからな。我々に不利な契約を交わしたのだ。一つ目が、ルイーナ・サージュとその子孫。また子孫の配偶者に対して一切の危害を加えない。二つ目が、ルイーナ・サージュとその子孫から、要請があった場合は力を貸す義務を負う。三つ目がルイーナ・サージュとその子孫の要請なしに人類種に対して肉体への危害を加える事を禁ずる、だ」


「だ、だったら……力を貸す義務があるならどうして対価を求めるんですか?」

「対価を求めるなとは、言われていないだろう。だからこやつが一番苦しむモノを対価として要求しているのだ。フフフッ。不死は辛いぞ」

 そういったストラスに、ロベルは噛みつくように反論する。


「死ななくて老いないことって悪いことじゃないだろ。メリットにしか思えないけど」

「お前は根本的に不老不死に付いて勘違いをしているな。不老不死は老いず死なないだけで、あとは普通の人間だ。故に、取り返しのつかない大怪我を負えばその状態が継続する。直近で言えば、お前がこやつを助けた時だな。あの時、お前が助けなければ、レリア・サージュは首だけの状態で七〇一年間生きることになっただろう。身体が無いから声も出せない。つまり、我を召喚することもできない。常にそういうリスクに晒される恐怖がわかるか? 死はある意味で救済なのだ。だが、レリア・サージュにはそれがない」


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