4-2 罪
「へ?」
同時に下に向けた視界に、棒状の影があることに気が付いた。その、棒に視線を合わせると、レリアの胸の中心から幅たり一五センチはあろうかという長剣が突き出ていた。
金属の冷たい質量感とともに、熱い血が傷口から滲み出ているのを感じ、どういう状況なのか理解するのに妙な時間がかかる。
剣が刺さっている……の?
知覚した瞬間、猛烈な激痛が全身を貫き、レリアはその場にうつ伏せで倒れ込む。
「あ……かはっ」
上手く息ができない。
意識が現実から引き離されていく。
同時に、ロベルの顔がレリアの脳裏に過った。彼の昨日の言葉が今の状況と重なって、襲撃者の正体はロベルではないだろうか、とレリアは疑念を抱いた。
小さな絶望を抱えながらも、レリアは残された力を振り絞って顔を上げた。そして、激痛に歪む顔で、なおも襲撃者を睨みつける。
しかし、そこに立っていたのはロベルでは無かった。
「ミ、ミア……」
ミアは、数日前に会った時と同じ修道女の衣服に身を通し、手には血塗られた剣を持っていた。彼女が浮かべる表情は狂気に満ちているように見える。
なぜアメリに引き連れられていたはずのミアが剣を持ってここにいるのか、などという思考はもう回らない。ただひたすらにレリアの頭の中は混乱だった。
「魔女帳簿……に……サイン……するはずじゃ?」
ミアは狂気に歪んだ笑顔をレリアへ向ける。
「するわけないじゃないですか! あなたを殺せばそれで済むのに。ここに呼んだのも罠に決まってますよね? 魔女ハンターである私が、魔女であるあなたをぶち殺します!」
「は……ぁ?」
ミアの発言が明らかに矛盾しているように聞こえる。彼女が何を言っているか理解できない。
だが、これは出血のせいではないだろう。
ミアは錯乱している? もしくは認識改変……それとも、狂ってしまったのは、私なのだろうか。
重りを乗せたように動かない身体で、頭だけは敏速に働いていたレリアはそのように思い至り、抵抗することすらできずに膝から崩れ落ちた。
ミアは剣を再び剣を持ち上げ、レリアの腕へ剣を振り下ろす。剣はレリアの柔らかい肉をあっさりと引き裂き、奥へと突き刺さる。
その瞬間、極度の激痛に耐えかねたレリアの頭に火花が散るような感覚が走り抜けた。
「あっがああああああああああああああああっ!」
「フフッ。女性らしさの欠片もない叫び方」
そう言いながら楽しそうにミアはレリアから剣を引き抜く。
そして、今度は大腿に剣を突き刺した。そこから剣をグリグリと回転させ、レリアの傷口を広げる。
「っ───!」
痛みが強烈すぎてもはや声すら出てこない。視界が真っ赤になったような錯覚とともに、口だけをパクパクと動かしレリアは苦悶する。
そんなレリアを見ながらミアは高笑いをしてレリアの肩に剣を突き刺した。想像を絶する痛みと無限に続く苦しみにレリアは小さく口を動かす。
「た……すけ、て」
小さく吐き出すようなレリアの助けを求める声を聞いたミアはニヤリと邪悪に微笑み、レリアの顔をのぞき込んだ。
「あれ? これだけやったら普通死ぬと思うんですけどね~。意外と頑丈?」
くすっと笑いながらミアは剣を引き抜いて、渾身の力でレリアの背中へ剣を突き刺す。
それに対してレリアはびくっと、反射的に身体を揺らす。
もう意識は朦朧としていて、新たに刺された部分に対する痛みは無くなっていた。身体の芯から冷えていくような感覚とともにレリアは妙な浮遊感を感じ始める。
既にレリアの身体からは多量の血液が体外に流れ出ていた。一般的な人間ならとうに死んでいる量だ。裏道の大地はレリアの血液で真っ赤に染まっている。
それでもレリアは朦朧とした意識でまだ生きていた。
唯一、頭の中に残ったこの場から逃げなくては、という思考だけを繰り返し、レリアは浅い呼吸を繰り返しながら表通りへ向かって少しずつ這う。
それを見たミアは歓喜にも近い声色で悲鳴を上げた。
「嘘でしょ? まだ死んでないの? もう首を切るしかないですかね~」
ミアはそう言って狂気的な笑顔で血塗られた剣を持ち上げた。
そして────首が舞った。
身体と分離された首が空中を何度も回転し、ぼちゃっと血液の池に落下する。
「…………?」
レリアの首はまだ身体と繋がっていた。てっきり切断されたと思い込んでいたレリアは困惑する。そんなレリアの下へ誰かが駆け寄ってきた。
「レリアさん! あなた何してるんですか!」
聞き覚えのある声が耳に届く。ぼんやりとその声を懐かしく思っていると、レリアは強引に身体を捕まれ仰向きにひっくり返される。
地面しか見えなかった視界に映ったのは、昨日別れたはずのロベルだった。
「ど……うし、て?」
「今日ずっと見張っていたんですよ。何するのかなって。そしたら抵抗すらせずに刺されて死にかけて……何してるんですか! 抵抗できたはずでしょ? まさか俺に魔女であることがバレたから?」
レリアは小さく首を横に振る。
抵抗する暇も余地も無かった。そう言いたいのに、それを口にする体力はない。レリアは、視界の端に映り込む球状へ視線を向ける。
レリアの身体から流れた大量の血液の池の上に乗っていたその球体の正体は──ミアの首だった。
それを見た瞬間、レリアの双眸から涙がこぼれ落ちる。
ただただ、ロベルに申し訳がない。自分の力不足が原因でロベルに殺人をさせてしまった。
ロベルは昨日、レリアが悪魔を使役しているのを目撃し、レリアを魔女だと疑った。そのため、ロベルの母が理性を失い村の人を襲った一件を、レリアの魔術の仕業だとロベルは思い込んだはずだ。
それでも彼は、レリアを殺せないと言ったのだ。ロベルは仇の人すらも殺せないと言うほどに殺人行為を忌避していた。
けれど、ロベルはレリアを救う為に殺人を犯した。そこにどんな経緯があったのか、レリアには分からない。だが、そんなロベルに手を汚させてしまった事には強烈な罪悪感が芽生える。
本当にロベルには迷惑を掛けてばかりだ。レリアこそがロベルを不幸にする悪魔だったのかもしれない。
そんな自分を責めるような思考が脳裏を巡り、レリアはロベルの瞳を弱々しく見つめる。
「ごめ……ん、ね」
残された力を全て振り絞ったレリアはそう言い切って、意識を手放した。




