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4-1 背後に立つ者

 レリアは温かい布団の中で目を覚ました。

 ぼんやりとドアの方を見たが、昨日の様にその先にロベルが待っている事はない。

 ロベルとは昨日、決定的な決別を果たしてしまった。

 あの場において、不意を突かれて敗北したレリアは、本来ならこの街を去るべきだ。


 しかし、レリアにはまだこの街で果たすべき仕事があった。この街を離れるのはそれが終わってからだ。

 思考に重りが付いたように、今日は思考が回らない。

 ロベルとのことは気にしていない。彼とは元々しばらくしたら別れる予定だったからだ。唯一の失敗と言えば、彼にレリアは悪魔を使役できるという事実がバレてしまったことだ。


 これは、現状国王とその周辺にしか知られていない国家機密級の事実の一つ。

 ロベルの記憶を削除できなかったのは、かなり痛い。

 もっとも簡単な対処法はロベルを殺す事だろう。記憶を消せない以上仕方がない。

 しかしそれは無理だ。


 昨日の午前中までなら最悪の事態が訪れればロベルを殺すという覚悟もあった。

 だが、その選択肢はもうない。ロベルを殺すには、彼のことを知りすぎた。

 情が邪魔して彼を殺すことは難しい。


 そんな事を考えながら布団から出たレリアは、外着用の服を着て腰にタロットケースを巻きつける。精霊六柱、悪魔七二柱との間に交わされた契約の証をタロットカードに封印した七八枚のタロットカードは、レリアの奥の手だ。

 そして、それらのタロットカードは昨日、乱暴に扱ったにも関わらず新品同様の状態でケースの中に入っている。


 外に出る準備ができたレリアは、鏡の前に立って衣服に乱れが無いことを確認する。


 完璧だ。目元にクマがはっきりと付いてしまっている事以外には……。

 それらを化粧で隠して部屋から出ると、この家の専属メイド、シトリが部屋の前で待っていた。


「……おはよう。どうしたの?」

「おはようございます。レリア様。昨日アメリさんがご訪問されまして、ミア様が魔女帳簿にサインをすると決められたとのことです。そのため、アメリさんからレリア様に、東地区の賭博場裏道へお越しいただきたいとの伝言を承っています」

「あぁ……そういえば、その件もあったね。時間指定は?」


「細かい時間指定はございません。昨日はお疲れの様子でしたので、勝手ながらアメリさんへのご連絡につきまして、明日に延期させていただくようお伝えいたしました」


 レリアはシトリを見くびっていた。この娘は、すごく優秀なメイドだ。

 昨日の時点で、そんな連絡を受けていたら、自分の中にある葛藤、矛盾、罪悪感に押しつぶされて泣き出していたかもしれない。


 どこかふわふわした雰囲気のあるシトリに、レリアは少しだけ畏敬の念を覚える。

 しかし、そんな感情は表に出すことはなく、レリアはただ頷いた。

「そう。ありがとう。時間指定がないってことは、ずっと待っているってことだよね。先に行ってくる。朝食はその後で」

「承知いたしました」


 シトリにそう言った後、レリアは玄関へ向かわず隣の部屋のドア前に立つ。

 昨日までロベルが泊まっていた部屋だ。

 レリアはドアノブに手を伸ばし、ロベルが寝ていないか確認するため恐る恐る中を覗く。


 しかし、室内は驚くほど綺麗に整えられており、床には一粒のホコリも見当たらず、ベッドのリネンはピンと張り詰めているかのように整っていた。人が寝ていた形跡はない。


「昨日ロベル様がご帰宅なされて、お荷物をまとめてお出かけなされたので、部屋の掃除をさせていただきました。何か問題がございましたか?」

 と、レリアの背後に立っていたシトリが言う。

 レリアは振り向くと首を振った。

「ううん。大丈夫ありがとう。それじゃあ私はそろそろ行くね」

 レリアは今度こそ玄関へと向かう。

 そして、玄関の扉に手を伸ばしたところで、シトリから再び声がかかった。


「あの……レリア様、ご体調は大丈夫でしょうか? 目元が少し気になります。化粧で隠されているようですが、まだお疲れが残っていないか心配しております」

「大丈夫。少し頭が回らないけど、ちょっと話してくるだけだし」

「そうですか。承知いたしました。ではご帰宅をお待ちしております」


 シトリに見送られて、レリアは家を出た。

「えーと。確か……東地区の賭博場の裏道だったはず」

 この街には賭博場が二つある。

 どちらのことを指しているのかは、実際に見てみないと分からないだろう。

 そう思いながらレリアは東地区へ向かって歩く。


 十五分ほど歩いてレリアは中央の広場から一番近い賭博場へたどり着いた。

 大きな看板の下にある裏道へ入る。人通りは表通りと比較すると随分と少なく、二~三人の人しかいない。

 しかし、その中にアメリと魔女ミアはいない。


「ここじゃないんだ……」

 レリアは裏道を出て、もう一つの賭博場へ向かう。

 その道中、昨日レリアに国王からの伝令を伝えに来た魔女──転移の魔女アウラ・フィレリアスの姿をレリアは見た。

 というより、彼女もレリアを探していたらしく、目があった瞬間に彼女の方からレリアの元へと駆け寄ってきた。


「レリア様!」

 走ってレリアの元へと駆け寄ってきたアウラはどうやら運動不足らしい。僅か十数メートル走っただけで肩を大きく揺らしてレリアの前に辿り着いた。

 普段から転移で移動をして、あまり走らないなら納得の運動不足具合だ。

「どうしたの? 急ぎの用?」

「い、いえ……」


 苦しそうにそう言って、アウラは深呼吸をする。

 ようやく息が整ったのか顔を上げたアウラはレリアへ頭を下げた。

「昨日はありがとうございました。国王からの伝言で今回の報酬をお渡しすると、現金を預かっております」

「そう。じゃあ貰っておく」


 レリアはアウラから革袋に入った現金を受け取った。

 それをバッグに収めたところでアウラが再び口を開く。

「それから今回対価として《《支払った年月》》についても伺いたいとのことです」

「教えたらなにかしてくれるの?」

「は、はい。一応国としては国が存続している限り、その期間の援助をするとのことです」


「援助? 援助のしようがないでしょ。どうせ死ぬんだから。忘れられて何もなかったことにされる。王国はそういう事を平然とする」

 レリアが不満げに言葉を投げかけると、アウラは上目遣いでレリアを見た。

「そう言わず、お願いしますよ」

「…………はぁ、五〇年」


「ご、五〇年⁉ 随分と支払いましたね」

「仕方がないでしょ。一応国王には言っておいて。下手に未来観測の魔女を使うなって。それさえなければ、アスモデウスなんて呼ばなくても良かったんだから」

 声に圧が入ったらしく、アウラはビクリと肩を震わせた。

「す、すみません」


「アウラのせいじゃないでしょ?」

「は、はい。というか、レリア様も悪魔と魂の契約を交わしてしまえば良いんじゃないですか?そうしたら魔術を自分の意志で使えるし、対価も無く魔術を使えるのに」

 レリアは悪魔の囁きをしてくるアウラを睨みつける。


「悪魔側に課せられた契約上、原則、悪魔は私の魂を回収することはできない。だから、魂を対価にした契約は結べないの」

「へぇ~。随分と複雑そうな契約を結んでいるんですね」

「……その契約は、私が結んだ訳じゃないから」

「そうなんですか……。もしかして、言いたくないことを言わせちゃいました? もしそうならごめんなさい。……それじゃあ私、帰りますね」


 アウラはそう言うとレリアに頭を下げて、そのまま帰っていった。

 残残されたレリアは、白金貨でずっしりと重くなったバッグを携えて移動する。

 正直に言って白金貨は嫌いだ。重いし、魔術による偽造防止加工がレリアの魔女探知能力に干渉するからだ。白金貨を手にすると、レリアの魔女探知能力は著しく低下し、瞳を通じて魔女を見抜くことが困難になる。


 だから普段はあまり白金貨を持たないようにしている。

 とはいえ、これほどの大金を置き去りにするなど、流石のレリアにも不可能だった。


 こういう時にロベルでもいればな……と、考えたレリアは思考を振り払うように首を横に振って歩き、二〇分ほどの時間を掛けてもう一つの賭博場の裏道に到着した。

 しかし、ここにもアメリとミアの姿は見えない。

 レリアは、白金貨で明らかに重くなったバッグを足元に置いて、大きく息を吸う。


「アメリーー。いる?」

 静寂。

「ん?」


 レリアは首を傾げた。

 路地裏には誰の姿も見えず、静寂が広がっている。

 時間指定はないと思ったが、本当はあったのだろうか? 騎士団の本部へ向かってみるか、とレリアは考えた。


 その時、突如として背後からの強い衝撃がレリアを貫いた。同時に抑えきれない咳が込み上がってくる。

「コホッ」


 小さな咳をすると同時に口から液体のような何かが飛び出た。手のひらに付着した液体を見れば、それは真っ赤な血液だった。

「へ?」


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