3-6 夜宴のサバト
しかし、この場にいる者たちは、テーブルの上での賭博に夢中で視線を逸らさない。その結果、女性に注目しているのはレリアだけとなり、レリアと女性の視線は交錯した。
その一瞬で、レリアは相手が魔女であると確信し、警戒心を一気に高めた。
一方、赤いドレスを来た魔女は堂々と賭博場に入ってくると、一直線にレリアへ向かって歩いてくる。女性は、レリアの前で立ち止まり、片方の足を優雅に後ろに置いた後、スカートの裾を軽やかに持ち上げて体を少し前に傾け、淑女らしい綺麗な会釈をした。
「サージュ様。お久しぶりです」
その礼儀正しい挨拶と態度に、レリアは無意識のうちに警戒心を少し緩ませた。
どうやら向こうはレリアと会ったことがあると認識しているらしい。
一方、レリアの方は彼女の事を全く覚えていない。
とは言え、魔女の魔術で記憶を改ざんされたと考えるのは早計だ。
なぜならレリアは今までに駆除した魔女も、国に管理をさせる為に魔女帳簿へサインをさせた魔女の事も覚えていないからだ。今回の場合は、レリアが過去に魔女帳簿へサインをさせた魔女の可能性が高いだろう。
瞬時にそこまで考えたレリアは警戒を解いて首を傾げる。
「ごめんなさい。覚えてない……あなたは?」
そう言うと、魔女は少し悲しそうに笑って口を開く。
「国王からの緊急伝令を受け取ってこちらに来ました。管理番号一〇七番、転移の魔女アウラ・フィレリアスです。以前他の魔女ハンターに殺されそうになっていた際、サージュ様に助けてもらいました」
そう言って、アウラは国に管理されている魔女であることを証明する金属製のプレート──管理証明書をレリアへ見せた。
そこには管理番号と名前、そして使用できる魔術についての記載が一目で分かるように記号で表記されている。
管理証明書に一通り目を通し、レリアは頷く。
「あー。うん。あれね、あれ。覚えてる覚えてる。久しぶりアウラ」
アウラの事など全く記憶にないが、取り敢えず知っているフリをして頷いたレリアは、自身の記憶について深く追求をされる前に話を戻すことにした。
「それで? 緊急の用ってなに?」
「はい。実は東方面から迫っている『夜宴のサバト』が数刻以内にこの街を飲み込みます」
「へ?」
夜宴のサバト。名前からして不穏なそれは、数百から数千の魔物が人の住む村や街へ向かって一斉に侵攻してくる現象だ。原因不明、発生時期未定の災害と定義されている。
夜宴のサバトに呑まれた地域は一帯が焦土と化し、後にはなにも残らない。
サンティマン・ヴォレには強固な壁があるが、数多の魔物を前にすると紙切れのような物だ。全住民が逃げ終わる前に壁は破壊されてしまうだろう。そうなればあとは地獄だ。
魔物の一体一体は、訓練を積んだ兵士でも処理できる可能性がある程度の強さなのだが、それが数十、数百、数千となると普通の人間には対処ができない。
夜宴のサバトに立ち向かっても一瞬で肉片に変身するのがオチだ。
最適解は逃げる事。それはレリアほどの強さがあってもさほど変わらない。
「……ちなみに規模は?」
「推定ですが……一万」
「い、一万⁉」
思わず喉から大きな声が出る。慌てて口元を抑えるが、周りにいる客は、言葉も発さずにレリアに視線を向けていた。
「……ちょっと、外に出よう」
レリアは慌ててアウラの手首を掴んで外に出て、彼女を路地裏に引っ張った。
「それで、一万ってどれくらいの信憑性があるの?」
「ほぼ確実です。遠望の魔術を持つ魔女が、敵の数を目測で約一万と見積もりました。さらに、未来観測の魔術を使って一ヶ月後のこの地域を観測したところ、辺り一帯が焦土と化していました。その時、生き残った住民の会話からも、敵の規模が約一万であったことが伺えました」
「なるほど、なら数字に間違いはなさそうね──それで? 私にどうして欲しいの? わざわざ来たってことは何か依頼があるんでしょ?」
レリアは腰に手を当てて、アウラに問う。
この街の魔女狩りをレリアに依頼したのは、国王だ。
故にレリアを逃がすために事前に情報を伝えたという可能性はある──だが、アウラの気まずそうに視線を逸らす様を見るにそうではないらしい。
アウラの言いたいことを薄々分かっていながら、レリアは首を傾げて静かに口を開く。
「どうしたの?」
「……あの、王様はサージュ様に夜宴のサバトを止めて欲しいそうです。報酬は白金貨三〇枚と仰っていました」
白金貨は、この国で取引される最も価値の高い通貨だ。
主に貴族同士の取引、大規模商人の取引などで使用され、その価値は一枚で大金貨一〇枚分とされる。偽造防止のために数多の魔女の魔術を使用しているのも特徴だ。
ちなみに貴族の収入は男爵で白金貨一〇枚、子爵で一〇〇枚となっており、今回の依頼料の高さで要求される依頼の難易度の高さが垣間見える。
だが、その莫大な報酬を前にレリアは首を横に振った。
「……割に合わない」
「無理──とは言わないんですね。未来観測の魔女が未来を観測してしまった以上この未来は確定しているというのに。どうするつもりなんですか?」
悪魔の一柱に未来を観測する力を持った悪魔がいる。
その悪魔と契約をした魔女は未来を観測できる魔術を得る。どんな先の未来でも自由に閲覧でき、未来から確定した情報を得ることができる。
しかし、この未来観測魔術の本当の恐ろしさは別にある。
本来、未来とは一本の幹から枝葉が枝分かれするように無数に存在している。
だが、未来観測の魔術を使用すると、観測した未来以外の枝分かれした未来が排除される。
要するに未来観測魔術とは、意図的に無数に存在する未来の中から一つを選択できる能力なのだ。
今回の場合、未来観測の魔女による観測の影響で、未来が一本化してしまった。
サンティマン・ヴォレの崩壊と滅亡はもう確定した。
この未来は回避できない。
故に、アウラの質問にもこう答えるしかない。
「どうするつもりって……どうもこうもないけど」
そう言ってレリアは大きなため息を吐き出した。
頭の中には、ヘラヘラとした国王の笑い顔がチラチラと覗き込んでくる。
湧き出すイラつきをなんとか飲み込んで、レリアは口を開く。
「あの愚王がどうにかして欲しいと依頼するって事は、私に奥の手を使えって言いたいんだろうけど、それなら白金貨三〇枚じゃ割に合わない。だからその仕事を請け負うつもりはない」
レリアは、突き放すように冷たく言った。
すると、非常なレリアの態度に怒ったのか、アウラは拳を握ってプルプルと小刻みに震え始めた。そして、怒りを滲ませた声色でこう言った。
「つまり、サージュ様はこの街の住人を見捨てるということですか? あなたにはどんな人も助ける神様みたいな力があるのに!」
その言葉には、信じられないという困惑とレリアに対する失望が交錯していた。
アウラからすれば、レリア・サージュとは救世主のような存在だったのだろう。最強に近い力があり、弱きを助け、公正な判断の持ち主で尊敬ができる人物に見えているのかも知れない。
しかし、本当のレリアはもっと醜く、冷酷で、自分本位な人間だ。救世主とはほど遠い。
「そう取ってもらって構わない。私は奥の手を使いなくない。使うタイミングは未来の私が使った事を後悔しないと確信した時と決めている」
話は終わりだとレリアはアウラに背を向ける。
「私はすぐにこの街を去る。目的の魔女も夜宴のサバトに飲み込まれて死ぬでしょ」
しかし、アウラはレリアの正面に転移をして両手を広げた。
「あなたほどの力があって、現状を変える力があるのにどうして……このままだとこの街の住民は死んじゃうんですよ⁉」
「不満があるなら、あなたの力でこの街の住人を別の場所へ移せばいいでしょ? どうして私に頼ろうとするの」
「未来観測の魔女の影響で未来は閉ざされています。私にはどうすることもできません。そんなこと分かっていて言ってますよね」
「魔女の──悪魔の力は因果を超えるの。たとえ未来観測の魔女の影響で未来が固定されても悪魔の力があれば、それを無視できる。つまりあなたの力があれば、未来は変えられる」
そういうと、アウラは顔を伏せ、俯いた。
「私の実力の限界があります。救える人は精々一千人。生き残る人を選ばないといけない。私には救う人を……命の重さを量る秤なんて持ち合わせていません。それに──ロベル君、でしたっけ? あの子はどうするんですか? 随分と面倒を見ていた様ですけど……」
レリアの眉が不快気に釣り上がる。
「見ていたの?」
「はい。レリア様が賭博場に入る少し前から──レリア様がそんな決断をしたと知れば彼はあなたを軽蔑しますよ」
「脅しのつもり? 元々生活の基盤が整うまで面倒を見るだけのつもりだったから、軽蔑されてもどうでもいい。分かれるタイミングと分かれ方が少し変わるだけ」
と、言った直後に、レリアの決心を鈍らせる様々な記憶が脳裏を掠めた。
理性を無くし人を襲う怪物と化したロベルの母を殺した瞬間。そして、その魔女がロベルの母だったと知った時の罪悪感。
ロベルと過ごしたわずか一週間未満の、短いながらも濃密な時間。
そして、誰もが明らかに失言だと認識するレリアの発言の後も、レリアを非難することなく笑顔で、むしろ対等のように接してくれたロベル。
そんな様々なロベルとの思い出が蘇る。
田舎出身でレリアの事を全く知らないロベルとの交流は、レリアにとっても新鮮な体験だった。レリア自身、認めたくはないが、彼との交流に楽しさを感じていた。
レリアは、まるでアウラの言葉に誘われるように、ロベルから軽蔑されることを想像してしまう。同時に心に重しが乗ったかのような感覚に陥った。
「…………はぁ」
レリアは大きなため息を吐く。
この感情が一時のものであることは分かっている。だから、遠い未来レリアは後悔するだろう。だが、それでも良いと思ってしまった自分の愚かしさにレリアは口角を上げた。
それを見ていたアウラは、憤りの表情を更に深めた。馬鹿にされたと思ったのだろう。
咄嗟にアウラは口を開くが、その前にレリアの方が声を発した。
「分かった。引き受ける」
「うぇぇ?」
喉元まで出ていた怒りの言葉が、スポンと抜けて実にアホっぽい声がアウラの口から飛び出た。
「ど、どういう心情の変化ですか? 一瞬前まで絶対に引き受けないみたいな態度でしたのに」
「別に……気が変わっただけ。私だってたまにはそういう日もある」
「な、なるほど……そういうことなら、よろしくお願いします。私はレリアさんが受諾してくれた事を国王に連絡をしてきます」
そう言ったアウラはレリアへ会釈をするとバンと、乾いた音と共にその場から消えた。
残されたレリアは東方向の外壁の上へ視線を向ける。
「あそこかな」




