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3-1 記憶喪失

 カーテンの隙間から溢れた朝日が瞼に重なり、その眩しい日光と肌の焼け付くような感覚にレリアはゆっくりと目を覚ました。

 布団を剥がした途端、不意に肌寒さが襲い、レリアはぼんやりとした思考の中で自身の身体を見下ろすと、下着姿であることに気づいた。目を閉じ、いつ服を脱いだのだろうかとレリアは考え込む。


 しばらくして、昨晩ついついワインを大量に飲んでしまったせいで、身体が火照ってしまい服を脱ぎ散らかした事を思い出した。

 雑談も盛り上がった気がするが、ムニエルをナイフで切り分けた辺りから記憶がおぼろげだ。

 恐らくこの部屋に戻ってきた時には、ベロベロに酔っていたのだろう。

 ドアの方へ視線を向けると、床には脱ぎ散らかした服が転がっている。

 それも見ても畳もうとは全く考えないレリアは、羽毛布団の上に積み重なった服から適当に一枚手に取り、中でもそもそと着替えてからベッドから転がり出た。


 未だに眠い瞼を擦ってから部屋から出ると、レリアが部屋から出るのを待ち構えていたかのようにロベルがドア横に立っていた。

「レリアさん。おはようございます!」


 朝から元気な声を響かせるロベルは、廊下に響き渡るほどの大声でレリアへ向けて挨拶をしてくる。彼の声が二日酔いの頭に響き、レリアは顔をしかめながら頭を抑えた。

 一~二秒そうして、レリアはゆっくりと顔を上げる。

「おはよう……昨日は眠れた?」

「はい。剣術の特訓で疲れていたみたいでベッドに入ってからすぐに寝落ちしました」


「そっか。なら良かった。村から離れて丸二日経ったけど……辛くない?」

「? はい。特に問題ないです」

 ロベルは、レリアの質問に対して不思議そうに首を傾げてそう言った。家族を失ってから二日しか経っていないのに、随分と元気そうだ。

「……ロベルって割とクールだね。私がロベルと同じ年で同じような境遇にあっていたら、しばらくは立ち直れなかったと思う」

「……それ、昨日話しましたよね? 夕食中に」


「そうだっけ。……ごめん。泥酔しちゃったみたいで、あんまり覚えてない」

「まぁ、酷い酔い方をしていましたからね。昨日、俺とアメリさんで酔いつぶれたレリアさんを部屋に運んだんです。そしたら俺がいるのに部屋に着くなり、暑いとか言って服を脱ぎ始めて、正直、目のやり場に困りましたよ」


「……そ、そうなんだ。なんというか……見苦しいものを見せちゃってごめん」

「そんな事無いです! 体のラインとかすごく綺麗でしたし、出るところもちゃんと出ていてっ……」

 ロベルの必死なフォローの言葉を聞いて、自分の顔が赤面していくのをレリアは自覚した。


 部屋の隅にある鏡に視線を向けると、自分の顔がトマトのように真っ赤になっている事に気がついた。同時にロベルは、自身の発言の危険さに気がついたらしく、口を慌てて口を閉ざし、素早く頭を下げた。

「す、すみません。失言でした。忘れてください」

「う、うん。……昨日の件も含めて……お互いに忘れよ」

「そう……ですね」


 レリアは俯いて顔を見られないようにダイニングへと歩く。

 その途中、先程の会話に全く知らない情報があったことに気がついた。あまり話を掘り返したくないとは思いつつ、好奇心に負け口を開く。

「そう言えば、さっきロベルとアメリで私を運んだって言ってたけど、なんでアメリがいたの?」


「夕食をほぼ食べ終えた辺りで、職務を終えたアメリさんがシトリさんに会いに来たんですよ。その流れで、レリアさんが一緒にご飯食べようってアメリさんを誘ったんですよ」

「そう……だっけ? そっか……私そんな事言ったんだ。私、そんなにお酒に弱い訳じゃないんだけど……そんな事も忘れるレベルで飲んだっけ?」

「俺が見る限りワインを三~四杯ってところですね」

「そっか……おかしいな。疲れてたのかな」


「まぁ、昨日は俺の村から結構歩きましたし、疲れていても仕方がないと思いますよ」

 そんな会話を交わしながら、ダイニングに着くと、机には既に朝食が並べられていた。


 部屋の隅でレリアが来るのを待っていたシトリは、レリアがダイニングへ入ってきたことに気づき、礼儀正しくお辞儀をして挨拶をした。

「おはようございます。レリア様、ロベル様」

「うん。おはよう。今日の朝食は?」


「本日の朝食には、焼き立ての麦パンをご用意しております。こちらは、当地で収穫された麦を使って、毎朝私が焼き上げておりますので、ふんわりとした食感と香ばしい香りをお楽しみいただけます。また、この街で作られた新鮮な野菜をふんだんに使用したサラダもございます。ドレッシングには、バルサミコ酸とオリーブオイルをベースに当家独自のレシピで調合したものをご用意しております。さっぱりした味わいが、朝の目覚めにピッタリです」


 呪文のようにペラペラと説明をするシトリの話は、寝起きでぼんやりとしているレリアの頭の中を素通りしていく。だが、シトリの話はまだ続く。

「さらに、庭で採れたばかりの新鮮なゆで卵もお召し上がりいただけます。デザートには、季節の果物をご用意しておりますので、お好みでお選びいただけます。今の季節には特に、リンゴやぶどうがオススメです」

「……あ、終わった?」


「はい。なにかご不明点はございますか?」

 レリアは二日酔いで頭が痛いにも関わらず、全力で首を横に振る。

「ううん。ないない。十分伝わった。ありがとう」

 レリアはそう言って、逃げるように椅子に腰を下ろした。レリアの背後では、レリアの椅子を引くタイミングを失ったシトリが、仕事を奪われ不満そうに頬を膨らませていた。


 視界の端でシトリが不満そうにしているのが見えていたレリアは、気まずさから逃げるように、神への祈りも忘れフォークを手にして、サラダをつつく。

 しばらくそうしていると、一通りの仕事を終え、手の空いたシトリがレリアの傍らに立って、ロベルの方を向きながら申し訳無さそうに口を開いた。


「あの……無理を言うようで恐縮ですが、お時間がある際に昨日のようなお話をまたお聞かせいただけないでしょうか?」

「昨日みたいな話って?」

 レリアは、好奇心からかシトリの言葉を遮り、首を傾げた。それに対し、シトリは昨晩の記憶がレリアに無いことに驚いた様子で、目を丸くして何かを言おうと口を開いた。


「昨晩、ロベル様が話していたロベル様のお母様についてもう少し詳しくお話を伺いたいです。昨日も少し触れましたが、私には過去の記憶がありません。ですので、両親という者がどのようなものなのか、想像もつかないんです」

 そんな会話が交わされても、レリアにはそんな会話があったことは全く記憶にない。酷すぎる記憶の欠損にレリア自身、困惑してしまった。

「……そんな話してたんだ……全然おぼえてない」


 ポツリと呟くように言うと、それを聞いていたロベルが目を細めた。

「流石に悪酔いし過ぎですよ。お酒は飲んだこと無いので分からないんですけど、酒って飲むと酒を飲む前の記憶も飛ぶんですか?」

「いや……そんな事は無いと思うけど。その話をしたのは、お酒を飲む前?」

「一応飲んではいましたけど、飲み始めって感じで全く酔った様子は無かったです」

「そうなんだ……変だね。病気かな……」

 レリアは記憶を失う病気について考えてみたが、何も思いつかないまま顔を上げた。


「まぁいいや。ロベルが話してもいいなら、さっきの話、シトリに話してあげて」

「分かりました。でも先に言っておきますけど、大した話じゃないですよ?」

 そんな前フリをしてからロベルは話し始めた。

「昨日の続きで、結局家出はせずに家に留まる事にした後の話です。年齢的には一三歳くらいですね」


 その前振りを聞いても、やはりレリアは全くその部分の記憶がなく、目を閉じて頭を抑えた。

 しかし、シトリはロベルの話を聞きかじるように前のめりになって話を聞いていた。


 **ロベルの回想**


 十三歳の俺は、自分探しの途中壁にぶち当たりました。

 母のおかげで以前より前向きになった俺は、自分にも妹に匹敵する何かしらの才能があると信じて様々な事を試していたんです。

 父親の農業の手伝い、魔法の勉強、製薬、運動、その他様々な事。

 だけど、総じて平凡な才能しかなくて、俺には突出した能力は無かった。この辺りになると、自分は優れた人間ではないのだ、と理解して受け入れる事ができるようになっていました。


 それでも、諦めきれずに最後に手を出したのが、料理でした。

 母の家事負担を少しでも肩代わりできれば、と思ったのがきっかけででした。

 だけど、俺には料理の才もなかった。何年も家族の為に料理をしてきた母と比較するのが愚かしい事だと自覚していても、何もできない自分自身が情けなかったんです。

 その日は、最後の挑戦だと思い、わざわざ生肉を買いに行き、料理しようとしていました。田舎の村では、肉自体が高級食材です。だから、食材が高級であれば、料理も上達するだろうと考えていました。


 でも、実際に俺の眼の前に出来上がったのは、焦げた肉でした。

 俺は、悔しくて……その場で肉を睨みつけて悪態をつきました。同時に、後方で足音がして俺は振り返った。そこには、母さんが声も発さずに立っていました。

 そして、俺と目があった母さんは優しい声でこう言ったんです。

「どうしたの? ロベル」


 その優しい声だけで、俺は肉を焦がしたことに対する罪悪感や、どうしようもない自分への寂寥感に苛まれました。思わず、背中にある焦げた肉の塊を隠すように移動して、「いや。何でもないよ」と言ったんです。

 だけど、母には俺が料理に失敗したことを知っていたようで、母さんは俺の元へ向かってきました。そしてひょいと、俺の背後をのぞき込んで、俺が焦がしてしまった肉を見た母は、すぐに笑顔を見せました。


「ロベル、料理してくれてるの? お姉ちゃんは自分の事でいつも忙しくて家事手伝ってくれないから嬉しい!」

 そう言って子供のようにぴょんぴょんと跳ねる母を見て、俺は気まずくなって顔を逸しました。そして、言い訳がましくこう言ったんです。

「いや、やっぱり俺には才能がないみたいだから、今回で最後だよ。貴重な肉も焦がしちゃったし、母さんには勝てないや。もう、包丁に触る気はないよ」


 そう言うと、母は台所に置かれていた包丁を手にして、肉の焦げた一部を切り取って口に運びました。

「うん。焦げね」

 母さんにそう言われて、俺は馬鹿にされたと思って噛みつくように口を開きました。

「見れば分かるだろ? わざわざ食べてまで指摘しなくともいいじゃんか」

 すると、母は微笑みながら俺の頭を撫でてきたんです。


「ロベル。ロベルはたった一回失敗しただけで、自分には才能がないとか言っちゃうの? お姉ちゃんだって初めて使った魔法は大失敗だったんだよ。制御できない大きな火を生み出して、危うく家が燃えるところだったんだから」

 そこから、俺は姉の失敗談を母から聞かされました。そんな事を話したのは、単純に自身を無くした俺を励ますためだったと思います。

 自分の娘を下げるような発言をしていることに自覚があったのか、最後には「お姉ちゃんには内緒ね」と言っていました。


 そんな話を聞いて俺は後悔しました。俺は、今まで完璧な姉の姿しか見てこなかったんです。

 俺も他の村人と同じで、姉を完全無欠の天才としか見ていなくて、比較して自分を無能だと思っていました。でも、母は娘の事をちゃんと自分の子供として見ていたんだと思います。

 今思い出してみれば、言葉の節々からそういう考えは見えていました。


 この時、俺は初めて姉を姉として認識したような気がします。姉も失敗もするし、俺の見えないところで精一杯努力をする。母の話では、姉が魔法の練習を始めたのは俺が生まれてからだそうです。生まれたばかりの俺を抱きかかえて尊敬される姉になる、とそんな事を言っていたと。

 だから、姉は俺の前では完璧であり続けた。姉の人間らしいところは父か母の前でしか見せなかったそうです。俺だけが姉の努力を知らなかった。ずっと家族だったのに、俺は、姉をどこか神様みたいな、赤の他人として認識していたんです。

 当時の俺は、母の話を聞いて、深く後悔しました。そして、呟くように「俺は失敗ばかりだ」と、口に漏らしました。


 それを聞いていた母は、申し訳無さそうに微笑んだんです。

「ロベル。私も失敗ばかりだよ。後悔していることがいっぱい。いつか、私はあなた達を不幸にさせてしまうかもしれない。でもその失敗は取り消せないの。だから、その不幸を塗りつぶすくらい今は幸せにしてあげたい。でも、これも失敗ね。ロベル……辛いなら頑張らなくていいの。私は……家族は見捨てないから」


 そんな事を言われたら、もう頑張るしかないじゃないですか。最後まで口にはできなかったですけど、俺は母が大好きでした。そんな母に申し訳無さそうな顔をさせている事が、悔しくて諦めない覚悟を決めたんです。

 その後は母と一緒に焦げた肉の焦げを切り落として可食部分をパンに挟み込んで、手軽な料理を一緒に作りました。


 今振り返ると、贅沢な時間だったと思います。

 **回想終わり**


「えっと……以上です」

 話している間に恥ずかしくなったのか、ロベルは顔を少し赤らめる。

 昔話を幸せそうに語るロベルをレリアは静かに見つめていた。


 一方シトリは、家族というものを想像しているのか、羨望に近い眼差しをロベルへ向けていた。しかし、すぐに表情を引き締めると、ロベルへ向けて頭を下げる。

「ロベル様。ありがとうございました。少し家族というものが想像できた気がします」

「ならかなり恥ずかしいことまで言った甲斐がありました」

 ロベルはシトリへ向けて微笑む。


 その後、ロベルはレリアの方へ視線を向けてきた。

「……レリアさん。どうしたんですか? 変な顔をして」

「ん……。あぁ、ごめん。なんでもない」

 レリアはそう言いながら、誤魔化すようにグラスに入った飲み物を飲んだ。

 ロベルの話を聞くだけで彼の母親は、心優しい人間である事が伝わってきた。


 そんなに人間がなぜ、ロベルが生まれる前に悪魔と契約したのか、そして、十年以上の時を経て、再び悪魔と契約をして理性を失う結果となったのか、レリアには想像もできなかった。


 けれど、その事実が明るみになれば、レリアはきっと罪悪感に押しつぶされるのだろうと、そんな予感だけは強く感じた。


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