2-13 ロベルと母
急にヘビーな話題が飛んできて、レリアは一瞬思考を乱される。
「き、記憶障害って……大丈夫なの?」
「はい。過去の記憶がないだけで、お仕事に支障はありません。ご安心くださいませ」
「アメリが家族みたいなものって言ってたのはそういう事ね……」
おそらくアメリは記憶がないシトリの面倒を見ていたのだろう。そう考えれば、シトリがアメリに懐いている事には納得ができる。
そうこう考えている間に、シトリは食事の準備を終え壁際へ移動した。
レリアはロベルと共に並べられた食事を前に神への祈りを捧げる。
「それじゃあ、食べよう」
そう言いながらもレリアが手を伸ばしたのは、淡いレモンのような黄色い液体の注がれたグラスだった。それを一口飲み込んだ後、レリアはナイフとフォークを手に取り、テーブルに置かれた鮭に切り込みを入れ、口に運ぶ。
そうしている間にロベルに聞きたい事があったことを思い出し、彼の方を向いた。
「ロベルって今までどんな生活をしていたの?」
「え、生活ですか? 毎日畑を耕していました。うちは農家でしたから。でもどうして急にそんな事を聞いたんですか?」
「うん……食事中に聞くことじゃないのは分かってるんだけど、ロベルってさ。強いよね」
「え? どういう意味ですか? 俺レリアさんより全然弱いですよ?」
ロベルが変な勘違いをしているようだったので、レリアは首を横に振る。
「いや、そうじゃなくて、心の強さの方。それって生まれつき?」
「あぁ、そういう事ですか」
なぜレリアがそんな質問をするのか理解したロベルは、しばし考え込むようにナイフとフォークから手を離し、机の上で組んだ自分の手を見つめる。
「レリアさんがそんな事を聞いたのって、色んな人が亡くなっても動じない自分に、レリアさんが疑問を覚えたからですよね。……正直に言って、俺も驚いているんです。家族が亡くなっても涙が出てこないんです。泣くべきだろうに、感情が動かないんです。……俺ってこんなにも冷酷な人間だったんだって、こうなるまで気づきませんでした」
レリアはその話を聞いて少し考える。
「もしかしたら精神的ショックが強すぎて感情が麻痺しているだけかも」
「ショック……ですか」
「うん。私にもそういう現象に心当たりがあるし」
「え、もしかして魔術的な?」
「違うと思う。私の話。私って元々活発な子だったんだよ。おてんば娘とかよく言われてた」
「え、本当ですか? ……正直今の姿からは想像できません」
「でしょ? 私の場合はいろんな人の死を目の当たりにしちゃって、全てがどうでもよくなった。今は人の死を見ても何も感じない。だけど心の奥底には本来の自分がいて、たまに表に出てくるの。今日もそういう機会が何度かあった。でも本当の自分が表に出てくると、辛くなるから自分の意志で封じ込めているの。そうすることで自分の心を守る事ができる」
レリアは自分の話を切り上げる為に咳払いをする。
「とにかく、何が言いたいかって言うと、ちょっとした事で内側に眠ったロベルの感情が表に出てくるかもって話。今はショックで、心を閉ざしているだけかもしれないでしょ?」
レリアがそう言うと、ロベルは少し安心したような表情で何度か頷いた。
「確かに……俺が感情を取り戻すには、具体的にはどうすればいいんですか?」
顎に手を当て小さく唸りながらレリアは考える。
「そうだね……ロベル。昔話をしてみてよ。自分の中の大切な話。そういうのを改めて思い出せば内に眠った感情が蘇るかも」
感情を言葉にすることは、抑圧された感情を開放する手段となり得る。今は、ロベルの心に溜まった感情を開放してあげることが大事だとレリアは判断した。
「……分かりました。レリアさんからしたらどうでもいい話かもしれないですが話します」
ロベルがそう言った途端、壁際に立っていたシトリが動く。
「あの……私退席した方が良いですか?」
「ん? 居てもいいよ。というかせっかくだし、シトリも何か話してよ。あまり暗くなりすぎてもしょうがないしね」
レリアはそう言って、シトリを招いてから自分の隣の椅子を引いてシトリを座らせた。
「あ、あの……こういうのは」
「職業倫理に反する?」
シトリがこくりと頷く。
しかし、レリアは邪悪な笑みを浮かべる。
「大丈夫、お客さまがお願いしているんだから……ね?」
「……分かりました。お話に参加させていただきます」
抵抗しても無駄だと思ったのか、シトリは素直に頷く。
レリアはそれを見て満足気に頷いた。
「よし、それじゃあロベル。話して?」
「なんか、遊んでません?」
「そんなことないよ。これはロベルの為だよ」
ロベルは白々しい目をレリアへ向ける。
しかし、レリアの期待するような眼差しに押し負け、ぽつぽつと口を開いた。
「あれは……まだ俺が十二歳の頃です」
**ロベルの回想**
当時十二歳だった俺には、ミリアという姉がいました。
ミリアは十歳にして、才色兼備で、早くから魔法の才能が開花した優秀な人間で、村人からはいつも天才と称賛されていたんです。
将来は立派な狩人になるだろうという期待の声が、毎日のように俺の耳にも届いていました。
だけど、俺には姉のような才能はありませんでした。魔法の使い方も分からなければ、姉のように秀でた才能も持ち合わせていない。
村人からは「お前は姉の絞りカス」と馬鹿にされ、比較され続ける事に耐えられなくなってしまったんです。どう逆立ちしたって姉には勝てない。姉は嫌いだし、それを揶揄して馬鹿にする村人も憎んでいました。死ねばいいとすら思った事があります。
そして、そんな生活に耐えられなくなった俺は、家を出る覚悟を決めました。
俺は二度と家には帰らない覚悟で、部屋に置いてあった荷物をすべてリュックの中に押し込んで、パンパンになったリュックを背負って部屋のドアを開いたんです。
だけど、実際には家を出ることは叶いませんでした。俺の母さんが部屋の前に立っていたからです。
そして、頭に血が上っていた俺は噛みつくように口を開いてこう言いました。
「俺を止めるつもりか?」
そう言ってから、俺は母がなぜか巨大なリュックサックを背負っている事に気がついたんです。正直ヒヤッとしました。母さんも俺とは関係無く家出をするんじゃないかって……。
父と喧嘩した様子も無かったので、なぜそんな事をするのか分からず俺は困惑しました。
そんな俺の様子を見た母は不敵に笑ってこう言ったんです。
「別に? 私、ちょっと家を出たくなっちゃってね。家出ってやつ。ロベルにはお別れを言いに来たの」
そう言った後に母は、俺が背負っているリュックを見て、息を飲んで驚くような下手な演技をしたんです。今思い出しても、笑えるくらいに本当に下手くそな演技でした。
そして、母はこう言ったんです。
「あら? ロベルも家を出るつもりなの? だったら私も一緒していい?」
母は決して俺を止める事はしませんでした。俺が自分を取り巻く環境に耐えられなくなったと見抜いた上で、怒るでも、止めるでもなく、ただ一緒にいると言ってくれたんです。
母は俺に対して家での理由も聞かなかったし、慰めの言葉もありませんでした。それでも……言外に俺を見てくれていると、教えてくれたんです。
そういう寄り添い方が上手い人でした。いつだって子供の事を大切に思い、行動してくれる人だったんです。
だから……俺は、母さんが大好きでした。
**回想終わり**
「うぅっっ……」
ロベルの話を聞きながら、レリアの隣でシトリが号泣していた。
双眸からポタポタと涙を流すシトリは、それを隠そうとして、必死に袖で涙を拭う。
「す、すみません。私、こういう家族の絆みたいな話に弱くて……。」
レリアはポケットからハンカチを取り出し、シトリへ渡す。
「すみません」
申し訳なさそうにレリアからハンカチを受け取ったシトリは、いきなり鼻を噛んだ。
その様子をロベルは困った顔をしながら見つめている。
「どうしたの? ロベル」
「い、いえ……そんなに泣かれるような話のつもりは無かったので」
「…………」
ロベルの口から聞かされたロベルの母の話には、愛が詰まっているように聞こえた。
本当にロベルは母親の事が大好きだったのだろう。
そんな人物を殺してしまったのだ。レリアが会った時にはすでに理性がなく、彼女の理性を取り戻す手段は無かった。それでも今の話を聞かされてしまうと、罪悪感が湧いてくる。
ただ、間違った事をしたとは思っていない。レリアがやらなければ、ロベルの母は他の魔女ハンターに殺されていた。その場合はロベルも死んで、被害者はもっと増えていただろう。
だから感想を述べる事も謝罪をする事もなく、レリアは話を移す事にした。




