2-6 心の仮面
「何か変わった?」
その言葉を聞いて、レリアは自らの心が予想以上に乱れていることに気づいた。
普段のレリアは、辛い仕事や残酷な状況に耐える為に自己を厳しく律している。それは、いわば心の仮面のようなものだ。
これがあることで、フーレの処断の際のように、感情を挟まずに正しい判断を迅速に下せる。心が乱れ、心の仮面が外れるということは、すなわち今のレリアは素の状態であることを意味しており、この状態で仕事をする事は避けるべきだ。
なぜなら、生来のレリアは活発で感情豊かな性格をしていたからだ。もし、感情を乱して、本来の自分が顔を出せば、血塗られた魔女ハンターの職務に耐える事は難しいだろう。
だからこそ、レリアにはこの仮面を外せない。
レリアは気持ちを切り替える為に小さく咳払いをすると、何事もなかったかのようにバッグの底に乱雑に転がっていた紫色の丸い水晶を十個ほど取り出し、呪文を唱える。
同時に水晶が淡く輝くが、一瞬で輝きは消え元の水晶へと戻った。
「ん?」
レリアは水晶を一つ選び、それを指に挟みながら太陽にかざした。
しばらくそうして水晶を観察したが再び水晶が光ることは無かった。レリアは、推奨の輝きをただの光の反射だろうと結論付けた。その後、レリアは水晶を一纏めにしてアメリの方へ突き出す。
「魔女が近くにいるとこの水晶が光るから、光ったら教えて。効果時間は今から丸一日」
「ほほ~。これがマギクリスタル……お高い石だ~」
両手をお盆のように合わせて突き出したアメリは、レリアの手から落とされるマギクリスタルを受け取った。
それを見たロベルは興味深そうにマギクリスタルを見ながら口を開いた。
「あの……マギクリスタルってなんですか?」
「一三七年前にこの惑星に落下してきた赤い彗星の砕けた破片。六柱の精霊と契約をしている人が魔力を付与すると、魔女に共鳴反応を起こすようになるの」
ここには複雑な理論が存在するらしい。以前、レリアは王都で魔女研究に従事する者からその内容について説明を受けたことがある。
しかしその説明には、専門用語が多用されている上に説明時間が三時間にも及び、レリアは途中から話を聞き流してしまった。
理屈はよく分からないが、これを使用すれば魔女を見分ける力が無くとも魔女を特定できる。
それだけ分かれば十分だったので、それ以降、レリアは外部の人間に力を借りる際にはマギクリスタルを貸与している。
「明日には私のところにきて。もう一度クリスタルに魔力を付与する」
「わかった。ありがとう。ほら、フーレも行くよ?」
アメリはフーレの肩をパンと叩く。
「は、はい!」
アメリに触られて素っ頓狂な声を上げたフーレは、背中を押されながら先ほどまで十字架に架けられていた女性の元へと向かう。
去り際にフーレはレリアの方を向き、軽く会釈をして女性に話し始めた。
それを見送ってからレリアはロベルの方を向いた。
「それじゃあハンター協会に行こう」
「はい。あ、バッグ持ちますよ?」
「え?」
ボロボロになってようやくその大切さに気が付いた形見のバッグを、ロベルに預けるべきかどうかで迷っているのを見抜かれたのか、ロベルは屈託なく笑った。
「大丈夫です。さっきの話を聞いて乱雑な扱いをしようとは思いません。」
「そっか……ありがとう」
顔を赤らめたレリアはロベルにバッグを渡すと、ロベルに背を向けハンター教会へ向かった。
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二階建ての建物の両開きのドアを開くと、人で賑わった酒場が目の前に広がっていた。
ハンター協会は、魔物討伐から街の人の悩み事まで様々な依頼を請け負っているのだが、同時に情報収集の場として酒場を提供している。
サンティマン・ヴォレのハンター協会の一階は酒場となっているようで、様々な人々が楽しそうに昼間から酒を飲み、空腹を満たし今という時を謳歌している。
そんな酒場の入口から左手には二階へと繋がる階段が設置してあり、壁に張られた案内板によると、二階部分がハンター協会としてのメイン部分らしい。
レリアは酒場には寄らず、二階の階段へと進む。
どこの街でもハンター協会に入ってしばらくすると不遜な男どもが声をかけてくるのだが、本日はロベルが側にいるおかげか全く声をかけられずにレリアは二階にたどり着いた。
二階部分は依頼者達の待合室が設けられており、一階よりもスッキリした内装に見える。
悲しい事に狩人はほとんどおらず、カウンター前は閑散としていた。
レリアは暇そうに大あくびをしている受付嬢のもとへ歩み寄り、胸元からアクセサリーを取り出した。この街に来た当初から多用しているこのアクセサリーは、魔女ハンターの中でもトップクラスの力があると国が認めた証。そして、男爵と同等の貴族の地位も認めるものだった。
「救援要請を受けてきたレリア・サージュ。支部長と話せる?」
狩人からしてみれば支部長に会って取引をするなどありえない事だが、魔女ハンターになると立場は魔女ハンターの方が上になる。
基本的に魔女ハンターは支部長などの立場ある者との対面で依頼を引き受け事になる。それには、魔女の情報をあまり外に漏らさないようにするという意味も含まれている。
故にレリアは直接支部長を呼び出したのだが、何故か受付嬢はレリアのアクセサリーを見て顔を引きつらせて固まっていた。
「どうしたの? 支部長がいないとか?」
「ハッ……いえ、申し訳ございません。少々お待ち下さい!」
受付嬢は、緊張と焦りであたふたしながら立ち上がる。
次の瞬間──ドンッという鈍い音と共に受付嬢が地面に膝をついて涙目で腰の右の方を両手で抑える。
どうやら慌てて立ち上がったせいで腰を強打したらしい。
受付嬢は痛みに呻きながらペコペコとレリアに頭を下げ、すぐに支部長を呼んできますと叫んで消えていった。
ロベルは風のように去っていった受付嬢を眺めてぽかーんとしている。しばらくして、ハッとしたロベルはレリアの方を向いた。
「あの、聞くのが怖かったんですけど、レリアさんって俺が思ってるよりもすごい人ですか?」
「そんな事はないよ。でもまぁ──前に国王を叩いた事があるけど許されたね」
以前、前国王と揉めた際に彼の一発顔面を叩いた事を思い出しながら、おどけるようにレリアが言った。その直後、受付のカウンター裏のドアが開く。
そこから出てきた口ひげを蓄えた年配の男性は、どうやらレリアの話を聞いてしまったようで、困った顔をしながら口ひげをなぞった。
「レリア様。そのような冗談は困ります」
そう言いながら、年配の男性はカウンター裏からレリアの正面までわざわざ移動し、レリアの目を見て軽い会釈をした。
「はじめまして、サンディマン・ヴォレのハンター協会支部長のセロンと申します」
一方レリアは会釈もせずに、支部長の前に立って顔をプイとカウンター裏への扉へと向ける。
「案内して」
「かしこまりました」
先導を切って歩く男性の後ろに付きながらレリアは応接間に案内された。
部屋の中にはローテーブルが一つ。それを挟み込むようにソファーが二つ配置されている。
レリアは一直線にフカフカのソファーに座り、その場でフーっとため息を吐く。あまりに失礼な態度だが、支部長は不愉快な顔一つせず、失礼しますとレリアに言ってからレリアの対面に腰を下ろした。
レリアは支部長が対面に座った事を確認して、ソファーの側に立っているロベルの方へ顔を向ける。
「ロベル。バッグの中に入ってる書類を出してくれる?」
「は、はい!」
ロベルはその場にしゃがみ込み、バッグをゴソゴソと漁る。
そして──
「う、うわっ!」
何かに触れてしまったらしいロベルは短い悲鳴をあげると、手をぱっと上へ振り上げる。同時にレリアの下着が宙を舞って支部長の頭部に乗っかった。
しかもレリアの降らせた雨のせいで下着はずぶ濡れになっている。
濡れた女性下着とそれを頭に乗せた老人という状況が、その場の空気を凍らせた。同時にこの場にいる男性陣の顔色は、真っ青を通り越して蒼白とした色に変化した。
対象的に顔を真っ赤にしたレリアは、必死に平静を取り繕いつつ支部長へ向けて指を振って魔法を使用する。
羞恥心の高ぶりで魔法の制御を誤って、一陣の強風が吹き荒れた。それは支部長の整えられた頭髪をぐちゃぐちゃに乱しながら、同時にレリアの下着は宙に舞い上がる。
そのまま下着はレリアのバッグの上まで移動して、ふわりふわりとバッグの上に着地した。
その際、濡れていたはずの下着は完全に乾燥した状態だった。続けてレリアはバッグへ向かって指を指し、何かを取り払うように指を振るった。その瞬間、バッグ内の水分がほんの一瞬で揮発した。
そしてレリアは真っ赤になった顔で無理やり笑顔を浮かべロベルを睨みつける。
「人の下着を投げないで欲しいかな」
「す、すみません。あと……これ」
おずおずと手を伸ばしたロベルの掌には、レリアがぐちゃぐちゃに丸めた書類が握られていた。
レリアはそれを不機嫌そうに回収して、破れないように慎重に紙を広げる。そして、文字が滲んでいないかどうかを確認する。
下の方の署名辺りは滲んでいるが、提出できない程度ではない、そう判断するとレリアは書類を支部長の方へ突き出した。
「取り敢えず、イニシウム村に発生した魔女狩りの報告書。報酬は大金貨でお願い」
「……イニシウム村ですか?」
未だに気まずそうな顔をする支部長は不思議しそうにシワだらけの報告書を受け取り、報告書に目を通す。すぐに彼の瞳孔は大きく開き、視線が再び報告書の上の方へと戻る。
実は、レリアがぐちゃぐちゃになった報告書を提出する事実は、各地の支部長が知っている。
そのため、支部長は特にその点に何かを言うこと無く報告書の内容を疑うように何度も上から下まで読み直す。
しばらくして、支部長は焦りの混じった顔しながら書類から視線を外し、顔を上げて部屋の隅に立った受付嬢へ視線を向ける。
「君、すぐにイニシウム村へ人員を派遣してくれ。教会の神父とシスターも数人同行させて欲しい。集団葬儀の準備も頼む。土葬用の穴を掘る作業員も連れて行ってくれ」
それだけで受付嬢は何があったか察して、表情を引き締めた。
「は、はい。わかりました」
受付嬢が慌てて部屋から出ていくのを見送ってから、支部長はロベルの方へ視線を向けて、目を細める。
「もしや、その子はイニシウム村の住人の生き残りですか?」
「うん。この街での生活基盤が整うまでは面倒を見るつもり」
「……なるほど。本日の夕刻にはイニシウム村への派遣準備が整うと思われます。その前になにかイニシウム村について追加で報告事項があれば、今のうちに伺いたいのですが……」
レリアには特段報告事項はなかった。
しかし、村に住んでいたロベルなら何かしらの報告事項があるかもと、ロベルの方へ視線を向ける。
「ロベルからなにかある? イニシウム村で起きた変な事とか。些細なものでもいいけど」
「……変なことと言えば一つ。村長の所有する倉庫の地下部屋から化け物の声が聞こえるんです。俺が生まれる前からそうらしくて、倉庫周辺には昔から立ち入り禁止と言われてきました。……もしかしたら魔物とかを閉じ込めてたりするかも」
「私が行った時にはそんな声聞こえなかったけど」
「半年くらい前から聞こえなくなったんですよ。噂話では誰かが化け物を移動させたとかなんとか……でもまだそこに何かがいるかもしれないです」
大体そういう噂の元は隙間風だったりするのだ。レリアはあまり真に受けず、支部長の方を見る。
「そういう事みたい。倉庫の地下部屋も調べてみて? 何か情報があれば教えて欲しい」
「承知いたしました。情報ありがとうございます。では報酬の話に移らせていただきますね。魔女の討伐と先ほどの情報合わせて今回の報酬は大金貨一二枚でいかがでしょうか?」
レリアは少し考える。
一般的に魔女一体の討伐報酬の価格は大金貨二〇枚だ。白金貨にすると二枚分。
今回は依頼があった訳でも魔女を倒した明確な証拠がある訳でもない。あるのはレリアの魔女ハンターとしての実績とロベルの存在のみ。
その中で大金貨一二枚。質素に生きれば三〇~四〇年働かずに暮らせる額の提示は、悪い条件ではない。特に即金が必要な場合は……。
「わかった。その額でいい」
「ありがとうございます」
支部長は頭を下げると、既に用意していたのか机の下から金貨の入った袋を取り出し、机に置いた。
レリアは袋を受け取ると、中に入った金貨の枚数を数えてからロベルに手渡した。
「ちょっと持ってて?」
目を回すような大金にロベルは顔の筋肉をピクピクと動かしながら、周囲をすばやく見回してすぐにバッグへ金貨を収めた。
ロベルの反応が面白くてレリアは口元を隠して笑った後に、支部長の方を向く。
「それじゃあ本題。私は国王からの依頼に応じてここに来た。魔女狩りに必要な情報の提供と、この街に滞在する間の住処と食料の提供をお願いしたい」
レリアはそう言いながらローブのポケットからぐちゃぐちゃ丸まった国王からの手紙を取り出して、綺麗に伸ばしてから支部長に渡した。
流石に国王からの手紙をぐちゃぐちゃにしているとは思わなかったらしい支部長は顔を引きつらせて手紙を受け取る。
国王の手紙、もとい国王からの勅書はレリアの簡潔過ぎる報告書と違いゴタゴタと長ったらしく書いているため、支部長はそれなりに時間をかけてそれを読む。
しばらくして顔を上げた支部長は、レリアの瞳をじっと見る。
レリアは彼に目を合わせず、支部長の首もとに視線をやりながら彼の言葉を待つ。
少しの間が空いて、支部長は重々しく頷く。
「承知いたしました。こちらに滞在する間の住居ですが、西地区の私の別宅を宿として使ってください。この街で掛かった経費は後で申請してもらえば、お支払いいたします。こちら別宅の鍵です」
「うん。ありがとう」
レリアはそう言ってから支部長の手の上にある鍵を受け取って、立ち上がる。そのまま部屋の出口へと数歩歩いてからロベルの方へ顔を向けた。
「行くよ?」
「は、はい!」
レリアは部屋を出て、ハンター協会の表口ではなく裏口から出た。
もう一度振り返ってロベルが付いてきているのを確認してレリアは街の商店街の辺りを目指して歩く。すると、ロベルが不思議そうに首を傾げつつこちらを見て口を開いた。
「あの、宿には行かないんですか?」
「ん~。まぁ、それは後かな。先にやることがあるから」
そう言ってレリアは顔を引き締めて真剣にロベルの方を見た。
「ロベル……今後のことだけど」
「は、はい」
「ロベルはどうしたい? ロベルは精霊と契約ができたし、このまま別れても普通に生活はできると思う。今なら少しはお金もあるから当面の生活費も保証できる。もちろん、もうしばらく一緒に行動することもできる。剣術の教師を見つけるって話もしたしね」
ロベルはすこし俯いて考える。
しばらくして顔を上げたロベルは、レリアへ向けて頭を下げた。
「もう少し一緒に行動させてください。俺は魔女のことも魔女ハンターの事も何も知らずに生きてきました。俺はもっと魔女のこと、魔女ハンターのことを知りたいです」
「普通に生きるならそんな事知らない方がいいんだけどね」
「でも俺の母は魔女でした……俺は母の事を知りたい。母の行った善行も悪行もすべて知りたい。そして、汚名を被っているなら息子の俺が晴らしたいんです。たとえ晴らしようのない汚名でもなんとかしたい。そのためにすこしでも情報が欲しいんです」
「……そうだね──その気持は、すごくよく分かる」
レリアは頷くと、影の差した表情を隠すように笑顔を作った。
「それじゃあもうしばらく一緒に行動しようか」
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