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第六話:将軍たちの評議と影の協力者

利来が剛鬼宗正を竹刀一本で打ち負かしたという一件は、燎原の火のように瞬く間に天帝軍本部に広まった。その衝撃は大きく、兵士たちの間では畏敬と恐怖が入り混じった噂が飛び交った。「あの老人はただ者ではない」「鬼神か、あるいは物の怪か」「いや、あれこそが真の武術だ」…。しかし、軍の上層部、特に保守派の将軍たちの反応は、より複雑で、そして険しいものだった。


数日後、再び将軍たちの評議の間が招集された。議題は、言うまでもなく「天軍武導師・上方利来」の処遇について。前回にも増して重苦しい空気が漂う中、上座の伴百道将軍が、威圧的な視線を亜瑠紗に向けた。


「橘将軍。先日の訓練場での騒動、聞き及んでおるぞ」伴の声は、静かだが怒気を孕んでいた。「貴女が推挙した上方利来なる人物、軍規を乱し、あまつさえ隊長格の剛鬼殿に重傷に近い辱めを与えたとか。これは断じて許されることではない。軍の規律を根底から揺るがす行為だ!」


「お待ちください、伴将軍!」亜瑠紗は毅然として反論した。「あれは剛鬼隊長が一方的に仕掛けた決闘であり、利来師範は身を守ったにすぎません。むしろ、師範は相手を殺めず、最小限の力で事態を収拾された。その技量こそ、称賛されるべきではありませぬか!」


「詭弁を弄するな!」伴は卓を叩いた。「結果として、軍の秩序は乱れた! あの老人の存在そのものが、軍にとって害悪となりつつあるのだ! 速やかに天軍武導師の任を解き、辺境へ送り返すべきである!」


伴に同調するように、他の保守派将軍たちも次々と亜瑠紗を非難し始めた。「橘将軍の独断が招いた混乱だ」「若輩者に軍を任せたのが間違いだった」「やはり、橘家は信用できぬ」…。亜瑠紗は四面楚歌の状態だった。彼女は必死に利来の必要性を訴えるが、その声は老獪な将軍たちの声にかき消されていく。利来は末席で、ただ黙ってその光景を見つめていた。自分が口を開けば、さらに亜瑠紗の立場を悪くするだけだと分かっていたからだ。評議は、利来の処遇を「保留」としつつも、亜瑠紗への風当たりがさらに強まる形で幕を閉じた。


その夜。

利来は、自室で一人、静かに茶をすすっていた。昼間の評議での亜瑠紗の姿が脳裏から離れない。彼女の孤立は深刻だ。自分にできることは何だろうか…と思考を巡らせていた、その時だった。

控えめなノックの音がした。


「…どなたかな?」

「師範、夜分に申し訳ありません。海斗かいとと申します。…蓮司れんじさんと共に、お話が…」


戸を開けると、そこには若い兵士と、少し年嵩の、実直そうな顔つきの兵士が、緊張した面持ちで立っていた。海斗と蓮司。彼らは、先日の決闘を目の当たりにした兵士たちの中でも、特に利来の技に強い感銘を受けていた者たちだった。

「師範…我々に、どうか、貴方の武術を教えていただけませんか!」

二人は、深々と頭を下げた。その目には、真剣な光が宿っている。

「俺たちは、今の軍のやり方に疑問を感じています。形だけの訓練では、本当に国を守ることはできない。師範の技こそが、俺たちが必要としている『活きた』力だと信じています!」


利来は、驚きながらも、二人の真摯な目に心を動かされた。絶望的な状況の中で差し込んできた、小さな、しかし確かな希望の光。

「…顔を上げなさい。わしでよければ、喜んで教えよう。ただし、わしの稽古は厳しいぞ」

「はい! 望むところです!」

海斗と蓮司の顔が、ぱっと明るくなった。利来の心にも、温かいものが広がっていく。


二人が退出した後、利来は一人、窓の外の月を見上げていた。すると、背後にふと気配を感じた。振り返ると、そこには意外な人物が立っていた。右腕を布で吊った、剛鬼宗正だった。


「……何の用かな、剛鬼殿」

利来は静かに尋ねた。剛鬼は、苦々しい表情で利来を睨みつけていたが、その瞳には以前のような単純な敵意だけではない、複雑な色が浮かんでいた。

「……上方利来。あの時の、あの技は…一体何なのだ?」

絞り出すような声だった。彼は、己の敗北を受け入れられないながらも、利来の力の根源を知りたいという、武人としての純粋な好奇心を抑えきれないようだった。

「…ただ、古くから伝わる技を使ったまでだ。特別なことではない」

利来は多くを語らなかった。

「ふん…」剛鬼は鼻を鳴らし、それ以上は問わなかった。「俺は、まだあんたを認めん。だが…あんたを陥れようとしている連中がいるのは確かだ。…気をつけろ」

それだけ言うと、剛鬼は踵を返し、闇の中へと消えていった。


利来は、剛鬼の後ろ姿を見送りながら、静かに息をついた。敵意の中に芽生えた、奇妙な関係性。彼は敵か、味方か。あるいは、そのどちらでもないのか。

だが、確かなこともある。自分には、海斗と蓮司という、最初の理解者ができた。そして、敵対していたはずの剛鬼からもたらされた、警告。状況は、少しずつだが、動き始めているのかもしれない。


その頃、自室に戻った亜瑠紗は、評議での屈辱を噛み締めながらも、窓の外を見ていた。利来の部屋の灯りがまだ点いているのを見て、彼女は小さく微笑んだ。

(師範…貴方なら、きっと…)

利来に弟子ができたことを、彼女は自分のことのように嬉しく思っていた。彼への信頼と、そして日に日に募る個人的な想い。困難な状況の中、二人の間には、師弟でもなく、単なる将軍と武導師でもない、言葉では言い表せない強い絆が、静かに育まれ始めていた。

この都の、そして天帝國の運命は、まだ誰にも分からない。だが、小さな希望の灯は、確かに灯されたのだ。

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