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76話目 泥のように眠りたい 敦人side

「しまった!警察か!」


外へアインと向かうと、実際に攻め込んできているなんてことはないが、金原公爵家の紋章を印した警察の旗が幾重にも見える。館はぐるりと取り囲まれている気配だ。


恐らくは阿良々木家から連絡がいったのだろう。

コーリア国所有の建物をしらみつぶしに当たったのだとすれば骨の折れることだ。ここは軽井沢の別荘地だ。


俺はミーシャ···じゃないな、右子、を連れてここから逃げないと。舘の方へ向かいかけると、アインに止められる。


「もう、夜だ。俺たちはここであいつらを撃つんだ」

「いいや俺と右子は人質だぞ?戦う必要はない。

でも警察というのはまずいな。見つかる前に、ここから右子と二人で逃げる。その方が早い」


「寝てる」

「あん?」

「右子様はきっと寝てるぞ」

「それがどうした」


「今日は色々あった······きっとすごく疲れておいでになる。休ませてやろう。ここにはオンドル(床暖房)もあるし。こちらにはこの規模ならまだ対抗できる兵力もある」


はあ·····どうしてここまで態度を変えられるのか。教室でのあっちの右子との関係を思い出して欲しい。

いや、話巧みに俺を使おうとしているだけなのか。

ただ、布団に包まれて寝ている彼女の様子が思い浮かぶと、それを叩き起こしてこの冬空を走り抜けるほど、鬼にはなれないと思う自分がいた。


「だけど、どうする?まだ攻められてもいないが、こちらから撃って出るのか?」

「侍従の話によると、交渉には金原宮若那生隊長が出てきて、交渉は決裂した」

若那生(わなお)、金原家の三男か·····」

こんなに東京市から外れた小さな部隊の隊長とはご苦労なことだ。

若那生(わなお)は屈強な男とは聞いているがまだ若いし、妙策をしかけてくることもなさそうだ。

俺は警察隊隊長の長男の木里生(きりお)を思い出していた。東京市街を奴を躱して逃げるのは本当に大変だった。何度となくお縄になりそうだったが、奴は最後の爪が甘くて俺たちを既の所で逃していた。

阿良々木家に保護されてからはまるっきり襲ってこなくなったが。



「交渉の内容は?」

「阿良々木ミーシャの引き渡しだ」

「阿良々木?·········右子じゃないのか?俺については?」

「いや、こちらからは僕、アイン王子のこの国での安全を確保するまでは帝女を人質として預かると伝えてあるだけだ。そもそも敦人(シウ)は今の立場が微妙過ぎて伝えてないよ」


「実際に、あいつらが、ミーシャが右子だって気づいてないってことはことはないかな·······」

「この大軍だよ?一市民の捜索とは思えないよ。それは無いんじゃない?」


「で、交渉が決裂したのに、なんで攻めてこない?」

「国際問題にしたくないのかもね。『投降しなさい』との一点張りだったとか」


東京市内に潜伏した時に拡声器でよく聞いた警察の常套句ではある。


「それか、寝静まった時に一斉にズドンのつもりかな」

「まあ、········そうかな」


そうならそれまでは右子を寝かせておける。

「時間に余裕ができたな。悪いな。敦人(シウ)にもいい部屋を用意するよ」


「いい。右子に会わせろ」

アインは肩をすくめた。




「敦人!」

彼女は寝ていなかったが、寛いだ様子だった。

············なんだこの部屋は?

豪華だ。

高い天井にぶら下がったシャンデリアが落ちてこないかと落ち着かない気分にさせる部屋だ。

アインがコーリア国の王族だということを忘れてはいけない。


「良かった!体調はどう?さっき顔色悪かったわよ?私心配で········」


おそらく部屋着だが、ドレスのような綺羅綺羅しい衣装を自然に着こなしている。彼女の長いサラサラの黒髪が首周りで揺らいでしなやかに下に流れている。

すごくいい香りが俺の鼻腔をくすぐった。


「あああぁ」


「どっどうしたの!?」


どうして気づかなかったのだろう?

俺は、本当に気づかなかったのだろうか。

ただ、ミーシャでいて欲しかったというだけではないのか。


彼女はいつもこんな風に豪華な部屋でかしづかれ嫋やかに佇む事が似合う存在だったのに。

おまけに全ての公爵家から降嫁を切望され、近隣諸国の王族から婚姻の打診が矢のように来ているというのが、右子という帝女の立場だ。


帝居では脱走に加担させて、東京の下町を引き摺り回して、警察から追われて、安宿に潜伏して、爆発に巻き込んで!

それが良かったはずはない。


でも一緒にいてどうしようもなく嬉しい自分がいる。

いないと不安でどうしようもない自分がいる。


この湧き上がる感情は、何というものなんだ?

·········この感情に名前をつけることはない。

つけてしまえば、他にも数多いる輩と同価値になってしまうということを、前世から俺は嫌というほど魂に刻みこんでいた。

姉さんは、··········こう、人を虜にしてしまう。

そう、きっと病気なんだ。

前世からの、不思議な···········


「敦人?休んでね?」

右子に肩を支えられて、この部屋の豪華なベッドへ誘導される。


「いや、待て待て」

ちょっとおかしくなった俺を止めるのはアインだった。


敦人(シウ)、眠いなら自分の部屋のベッド使ってね?使用人が案内するから」


「あ、ああ。そうだな」


「後さ、さっき連絡が来たんだけど、明朝、近衛師団代表と宮内省からも人が来て交渉再開だってさ。今夜の襲撃は無しだ。一応こちらの武装はとかないけど、敦人(シウ)は休んでていいよ」


「近衛師団········宮内省········もう、完全に帝女誘拐って体だよな」


俺は呆れたが、それより疲れていた。


部屋に向かいながら、

このままだと泥のように寝てしまうと思った。


読んでいただきありがとうございます!

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