6話目 二つの公爵家 金原先生side 奏史side
今、目の前には、恐ろしくも、美しい男が冷笑して立っていた。
街の喧騒と吹き募る嵐が、まさに風雲急を告げる。
いや、むしろ地獄直行便を私に告げに来ていたのだ。
彼が社交界で噂の、文武両道、頭脳明晰、才気煥発、16歳にして近衛師団の実権を握りつつ父公爵の補佐を完璧にこなしているという李鳥宮奏史その人だ。
おまけにこんなに容姿が端麗だなんて、感心するよりずっと恐ろしさが際立ってしまう。
私と右子殿下との師弟関係は、永遠に続くと思っていた。
これは大変に愚かな考えであった。
そう、嫌でも気がつかされたのだ。
彼女がどんな存在かということを。
この国のたった三つしかない公爵家の一つ、金原公爵家の四男である私の名は金原宮根津生。
私の身分は、まあ一般的には高い。
ただ、正妻腹ではなく母は平民出身の妾であり、おまけに四男という私の立場は公爵家内ではそう恵まれたものではなかった。
だから死にもの狂いで勉強し、実績をつくり現在は国家研究機関で研究員に就いている。
その功績を認められ、帝女殿下の家庭教師という名誉にも預かることができたのである。
帝族の家庭教師というのは名誉もさることながら、帝族の信頼をもぎ取り、将来は重職へ引き上げて貰えるという実益もある。
特に私のように、家は大きくとも後継の嫡男ではなく予備の次男ですらない、役割からあぶれている者には魅力的なお仕事なのである。
右子殿下のどんな摩訶不思議な質問にも、真剣に調査した上で、冷静かつ懇切丁寧に対応してきた。どんな無理難題な要求にも応えてきたというのに。
今更になって、この崇高な関係が破棄され取り上げられるとは。
宮内省より正式に家庭教師の任を得ている自分がクビになるには、それ相応の理由が要ると思う。
それなのに、···········誠に遺憾である。
罪状は、帝女殿下を市井に連れ出し危険に晒した。ということらしい。
しかし、外出はきちんと届けを出して承認された筈である。
それを言えば、承認は降りてないとのことだ。つまり手違いだという。それでは罪は宮内省側のミスということになるのでは?
しかし、そもそも帝女は気軽に市井になんて降りない。そのことを踏まえ、帝女を諫めることなく危険地帯に連れ出すなど言語道断。家庭教師という立場の如何は、と問われれば、反論の余地はなかった。
家庭教師に不適合の烙印を押され、残された私の身の処し方は、このままこの場を速やかに退散することだそうだ。
確かに、それが唯一無二の方法なのだろう。
そうすれば、罪状を軽くできるかもしれない。
しかし······
「後は私に任せて、貴方は帰りなさい。」
雑踏の中で、李鳥宮はいう。
「で、では、立ち去る前に、殿下にご挨拶をし」
「君にはとても殿下がお世話になったようだ。謝礼をより上乗せしておくろう。餞別にね。安心していいよ。」
せめてと懇願する言の途中で遮られる。
このまま殿下に挨拶すらさせてくれないようだ。
もう、彼女に会えないのだろうか。
即座に帰れば、首の皮が繋がる。穏便に済む。
納得はできないが、彼を怒らせてはいけないと本能が警告する。李鳥公爵家の跡取りがこんなに恐ろしい男だったとは。
帝女を危険に晒した罪を擦り付けられれば、私に選択の余地はなかった。
それでも、諦めきれず俯いて黙っていると。
「ああ、帰り道には気をつけて。危ない輩が跳梁跋扈しているかもしれないよ。」
李鳥宮奏史は、冷たい笑みを深くした。
どうやら私は命までも危ないらしい。
すっかり恐怖で背筋が凍ってしまい、やっぱり後ろを振り返らず一目散に帰ることにした。
「奏史様?ここでお会いするとは、驚きました。」
「本当ですね。私は街に買い物に来ているんです。そうそう、君の家庭教師、金原宮君。彼は帰りましたよ。先ほど偶然に会いまして、何か急用ができたみたいでした。君にお詫びを伝えて欲しいと言っていましたよ。」
「え、そうですか?····仕方ないですね。」
右子殿下は目を瞬かせながらもあっさりと頷いた。
彼女は緻密で精巧な外見に反して、生来の中身はやや淡白な人柄だと知っている。人の感情の機微には疎く、無頓着だと言っていい。何事にも無垢で素直というか、そこが何とも可愛らしい。
まあ、包帯が巻かれた顔からは表情が読み取り辛いけれど。
「家庭教師とは買い物に来ていたのですか?何を買うつもりだったのですか?付き合いますよ。」
殿下の予定を変えるわけにはいかないと思い提案する。
「えっと、ありがたいのですが······金原宮先生でないと私、品物を選べる自信がないので、残念ですがまた後日にします。」
残念だけど彼に後日は無いんだよ、と妬けつつも秘かにほくそ笑む。
今日彼は殿下の家庭教師を解雇されたのだから。
もともと彼は三大公爵家の金原公爵家とはいえ平民の妾の子で地位は末席だ。秀才と名高いが、李鳥公爵家の嫡男の私に比べたら立場は天と地の程の差があるといえる。この処置に反発は起こらないはずだ。
「いいえ、李鳥公爵家の家名を懸けて、殿下所望の品々を買い揃えてみせましょう。」
彼女のためなら幾ら家名を懸けても惜しくはない。
私は満面の笑みを向けた。
殿下は、やはり無表情。
だけど納得してくれたようだ。
これからは、私こそが彼女を家庭教師の面からも支えよう。
母が平民だという庶民丸出しの教師が何を教えていたかは知らないが、彼女には尊い身に相応しい教育を受けていただきたい。
衷心よりそう思う。