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27話目 紅い錠剤(上) 右子side

私が今夜も座敷牢から帰る途中、

医局までの渡り廊下を進んでいると、

外の庭園に佇んでいる人がいる。


月明かりに浮かんでいるのは、

キラリと光る眼鏡にふんわりとした栗色の髪で、インテリジェンスな雰囲気の男だった。

医局の服を着ている。

突如話しかけられた。


「何処に行ってたの?ミーシャさん」


「はい!?」


私にタメ口の人ってものすごく少ないから、驚く。


「何だお前は」


久留米医師が前に出る。


「お前········最近医局に来た奴だな?こんな所で何をしている。馴れ馴れしくて怪しい奴だな」


「僕は穂波 保(ほなみ たもつ)と言います。先日来たばかりの病理研究員です。よろしくお願いいたします。」


「はぁ!?なんで俺の方にこそ敬語なの!!?」


「や、先輩なので。

ミーシャさんは····医局はそんなに長くないって聞きましたけど」


彼は······顔を知らないのに知っているような。そんな不思議な男だ。眼鏡が邪魔で分かりにくい。



「うん、もちろんタメ語でいいよ!」


私はにっこり笑うと、相手もにっこり返してくれる。

久留米医師は舌打ちしているが、正体を明かせない限り仕方ないだろう。

私はただの平民の薬剤師ミーシャなのだから。


こういう関係ってなんだろ。懐かしい。

ああそうか、前世みたいだ。

タメ語最高!


「あっそうだ。久留米先輩のラットが、ダウンしてましたよ」


「えっっ!?」


久留米医師の顔が一瞬で硬直した。

久留米医師の病理研究中のラットに異変があったようだ。

私も慌てて促す。


「た、大変!先に行っていいよ。私は後は勝手に部屋に戻るから」


久留米医師は躊躇ったが、


「大丈夫ですよ。

これからミーシャさんは荷物を置きに調合室に行くんだよね?僕と一緒に行こう」


穂波くんがそう言ってくれた。

私は久留米医師に早く行けとしっしと手で払う。久留米医師は仕方なく頷いて走って行った。




「僕、仕事で研究室にずっと籠もってるんだけど、頭が疲れるとこうやって中庭を歩くんだ。たまには動かないとおかしくなっちゃうからね。」


二人連れ立って歩くと穂波くんは軽やかに話す。


「へえ·······でもこんな夜に?」


「うん、こんな夜に。本当は目立ちたくないんだよ」


彼は社交的に見えるけれど、内向的そうで繊細な雰囲気もある。


「僕って内気なんだよ。だから君に声をかけたのは特別」


「そ、そうなんだ?·····散歩は体に良いけど、夜は気をつけてね」



雲をつかむような会話を嗜んでいるうちに、

医局の内の調合室へ戻ってきた。


ドアを閉めると、そこで眼鏡の奥がキラリと光ったような気がする。

やっぱり彼の眼鏡が邪魔だ。

何か大事な事を思い出せそうなのに。


(たもつ)ってよんでね。ミーシャ、でいい?」


「ははは······流石にそれは馴れ馴れしいのでは?」


「じゃあ、右子、にしようかな」



「·····!?········?·················!?」

············はいぃ!?誰それ?

おかしな名前ですね!?


って言おうとしたけど、声にならなかった。

突然に素性がバレたかと背に冷や汗が流れる。


「何言ってるの。おかしな名前じゃないでしょ?お父さんがつけた大事な名前だよ」


「··············?」

あわわ、こ、心の声を読んで?


「いや、何となく分かるだけ。僕らの仲だからね」


それからもにっこりと笑みを崩さないで保くんは、私の手の中にそっと小箱を落としてきた。



「こ、これは?」


「印籠。金蒔絵が綺麗でしょ?

·········中に薬が入ってるよ。記憶喪失を解消する薬だから、誰かを思い出したい時に、飲んでね」


まさかの印籠。前世で水戸黄門がかざしていたやつだとすぐに分かった。ひかえおろう!でこの印籠をかざせば皆が平伏するやつだ。

わあ〜この葵の御紋·············!


「もしかして、徳川公爵家の方、ですか?」


「うん。俺はそこの長男だよ。徳川公爵家って徳川家の分家だから名字は徳川じゃなくて穂波なんだ。」


徳川家とは、前世と同じく今世でも江戸幕府を興して時代を治めた一族だ。

一族の大半はアサヒ国に移ったと聞いているが、唯一残った穂波家は公爵家としてニホン国で優遇された。

前世では時代劇は守備範囲外だったけれど、葵の御紋の印籠なんてさすがに感動する。これはプラスチックでもセルロイドでもないちゃんと漆塗りで金蒔絵。本物感ある、レアだわ。


でも私に徳川公爵家に知り合いなんていないし、やっぱり知り合いだというのは気のせいじゃないだろうか。


「僕は公爵家の後継ぎだけど、養子でね。前は全然違う家にいたんだ」


「えっと、私達どこかで会ってるとか?」


「うん。すっごく会ってるよ」


「ごめん。私って、人のことよく忘れちゃうみたいで」


「うーん。君は良い子なのにね·········

だからさ、その薬飲んでみてくれない?」


えっ········この薬を···········?

さすがにそんな勇気は···········


印籠を開け中身を掌に広げると、小さな紅い粒の錠剤が幾つか入っていた。


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