164話目 私の紅茶は何回淹れても苦い 右子side
さわ·······さわ·······さわ········
私は顔を上げる。
数鳥様がすっと立ち上がり部屋のドアを開けた。
誰が来たかすぐに分かるのはさすがだ。
奏史様が歩く所、あらゆる使用人が手を休めてお辞儀をするので、近づいてくる気配が伝わってくるのだ。
あれから李鳥公爵家に来て数日、私もこの立派なお屋敷での生活に慣れてきた。
「ようこそお越しくださいました、奏史様」
私も数鳥様と一緒に頭を下げる。
「いや、様子が気になってね。どうかな調子は?」
「はい。透水さんの侍女教育はとても順調です。
透水さんは元々教養等の知識については完璧でした。
他の手作業もとても飲み込みが早くて驚いております。
とっても器用なんです。
今は刺繍をやらせていたところです。
見て下さいませ!この出来栄え!」
私の膝上には華やかな花鳥風月を円形にデザインした図案を模して、一針一針刺繍したハンカチがある。
こんなのは朝飯前というやつで、大方出来上がっている。
それを奏史様に見やすいように手渡した。
「これは、刺繍の·········天才では·········」
奏史様は目を丸くして刺繍を眺めていた。
「他も問題ありませんわ。立ち振る舞いは美しいし、行儀作法も既に身についていて、粗方の基礎は出来ております。
ただ、化粧、髪結い、服装・装飾品・靴などの選択、衣装の管理など、侍女として他と差をつけられる応用の部分は足りないようですね。
奏史様が北の地へ出征される前に仕上げるとの事ですが、
それまでに、まだまだ教えることはいっぱいあります」
どれも苦手そうな分野で、私はうっとなる。
「···········そうか。まだ時間はある。
ゆっくりやればいいだろう」
奏史様は私と目が合って微笑した。
それをぼうっと眺めていると、
「透水さん、視線!」
「はっはい!」
不躾に主人を見てはいけないと聞いていたのに。
「いいのですよ。私は貴女の主人というわけではありませんので幾らでも見て下さい」
「幾らでも見て下さい·······?」
ゴホンッと数鳥様が咳払いをして、私の肩に手を置いた。
「奏史様、お茶にしましょうか」
つまり私がお茶を淹れるようだ。
私は急いで、教えてもらった手順でお茶の用意を始める。
執事を務める数鳥さんを始め、この李鳥公爵家では見知った顔が不思議と多かった。
帝が帝居にいらっしゃった時は、御所の人員を埋める為に、宮内省を統括する李鳥公爵家から家人を派遣していたらしい。なので帝居でその時に見かけているのかもしれない。
私の記憶はすごく怪しい。
生活や身の回りの人などは覚えているけれど、曖昧な所も多い。神官の仕事内容はあまり覚えていなかったので侍女への転職はちょうどいいかもしれないと思った。
とにかく早く転職しなくては。
その気持ちは焦燥感を孕んでいる。
コーリア国の屋敷の侍女になれ、アイン王子に補償しろ、と頭の中で心が渦巻いて煩くて仕方がないのだ。
というか、『右子様』って私じゃない?
と思わなくもないけれど、先日帝妃様のお話を伺って納得した。
私は右子様の眷属で、右子様ととても近い間柄なのだ。
私の記憶は曖昧になっている状態なので、自分こそが右子様だと勘違いしてしまうようだ。
自分が帝女だなんて、あまりに図々しい勘違いなのだろう。
「············それにしても、透水さんはそれなりのお家のお嬢様なのでしょうね?
侍女採用は、出身のお家が一番重要視される事も多いです。
いずれのお屋敷に侍女として上がる予定なのですか?」
えっ、
これだけ腕を磨く必要があると思いきや、結局は家の格が物を言うの?
私は今まで騙された気になる。
「透水家とは、私一切聞いたことがないのですが」
「それはそうだろうな、どうやら八咫烏の系列の大きな家のようなんだが········」
「ええっ!?あの存在自体隠匿される影の一族ですか!?宮中祭祀を裏で取りしきっていると言われている秘密結社で、帝族に陰ながらお仕えしているという·········
そのような家の娘がなぜ一般お屋敷の侍女になりたいなんて言うのですか!?」
「一般屋敷というか、コーリア国の屋敷の侍女を考えているそうだが··········
尚更難しいだろうな」
私はお茶を注いでいたポットを落としそうになってしまう。
む、難しいの!?
「コーリア国の!?あそこは隣国の第二王子様がいらっしゃる大邸宅ですわよね!?
あまりの綺羅びやかさに、『宮殿』なんて呼ばれている!
人気もありますし、影の秘密結社出身の娘なんて、普通に隠密行動だと思われて採用選考から落とされるに決まっています!
そういった安全面に特に厳しいお屋敷ですから!」
私の出身家は、普通にスパイだと思われるぐらいヤバいらしい。
私は完全に血の気が引いてしまった。
顔面蒼白というやつだ。
「と、透水さん!?
だ、大丈夫だ。どこかに養子縁組すればいい。
そういった面で、帝妃は頼りにならないかもしれないが·······」
「養子縁組·········阿良々木家·········」
「阿良々木家?確かに右子様が養子縁組したことのある大きな家だが、そのツテで頼めるかな?
しかし、最近は金原公爵家と密接な関係を結んでいるからコーリア国側から嫌厭される可能性があるかもしれないな。
数鳥、コーリア国の屋敷の採用者の経歴を調べてくれ」
「分かりました」
そんなこと簡単に調べられることなのかしら。
だけど、奏史様は真面目なお顔だ。
「透水さん、安心してください。出身家や経歴を含め、私が完璧に貴女を優秀な侍女······もとい、スパイに仕上げますからね」
そこは侍女で良かったのに、言い直した。
奏史様は、また優しそうに笑うのだった。
「·········奏史様········せっかくのお茶が冷めてしまいますわ」
「そうだな。透水さんも一緒にどうぞ」
「あ、ありがとうございます。では」
私はもう一客、紅茶を用意する。
数鳥様が頬を引きつらせているような·········
怒ってる? 気のせいかしら?
ごくり
「「に、苦い··········」」
奏史様も数鳥様も項垂れていた。
「········どうして直ってないのかしら?
あんなに教えたのですが、手順も間違っていないようでしたのに?
他がどれだけできてもお茶がこれでは、どこのお屋敷でも、致命的ですわね··········」
数鳥様の顔が曇る。
私は再び顔面蒼白になるのだった。
「他は及第点なんだ。ゆっくり練習すればいい。この公爵家で。
そう、何年でも」
奏史様が言う。
何年も?
それはちょっと··········
奏史様の北の地への出征に間に合わせると言っていたのに?
「ふふ·········いっそ、こちらの侍女になってはどうでしょう?」
数鳥さんはすっかり呆れてしまったようで、
お手上げだというポーズをして戯れ言を言うのだった。
無理もない、私のお茶は何回淹れても苦いのだから。
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