15話目 クッキーは分け合えない 奏史side
秘書の数鳥が帝宮へのお使いから帰ってきた。
奏史は公爵邸の専用書斎で書類の山に埋もれていた。
「御曹司、こちらを。」
「何だ?こんな時間にお茶の時間を取るつもりはない。」
数鳥は紅茶と焼き菓子をお盆に乗せて持ってきていた。もう夜も更けている。体は生活リズムが大事なので断ろうとすると。
「これは、殿下のお手製で、」
数鳥はなぜか躊躇いつつ差し出す。
「········右子殿下の?」
「え、ええ。」
「なんと······」
右子殿下が製菓が得意とは知らなかった。
そういえば、彼女は絵画や工作を趣味としてるし、最近は園芸も始めたと報告を聞いた。かなり器用な質なのだろう。
「今日は仕事はこのぐらいにするか。せっかくだから頂こう。」
「·········」
奏史はあっさり席を立ち受け取ろうとするが、数鳥はすっとお盆を引いた。
「どうした?」
「あの、これ私が頂いたもので、お疲れでしょうって殿下が労い下さったのですわ。」
「ん?」
ではなぜここに持ってきたのだろうか。数鳥の真意を測りかねる。
「でも!やっぱり、せっかくの殿下のお手製を私が胃に納めてしまうのは、恨まれるというか、罪悪感がありますので。ここは、やはりお裾分けをと思いましたの。」
数鳥はどうやら私に数枚の分前を与えるだけのつもりだったようだ。
「ふ········」
「お、御曹司?」
数鳥はお盆を持ちながら不安気にこちらを見ている。
「······分かった、交換条件だな。」
ちょうどいい。一つ検討していた案がある。
「右子殿下の執事に今空きがある。有能な者を探しているのだが。」
「!」
数鳥が息を飲む気配がした。
数鳥が右子殿下の作品マニアなのは知っているが、私は殿下の手作りクッキーを人と分け合うほど寛容では、
勿論無かった。
ダージリンティーはクッキーによく合う。5月~6月に収穫されるセカンドフラッシュは特に最高のクオリティと言われている。
数鳥が紅茶の銘柄も相応しいものを選んでくれたようだ。少しきつい性格なのが玉に瑕だが、やはり彼女は殿下の執事に相応しい。
軽く目蓋を抑える。
すっかり深夜、目も疲れるはずだ。
最近の李鳥公爵の仕事は格段に増えた。つまり父の補佐である奏史に回ってくる仕事も自動的に増える。
貴族院で議員を務める父は国政から目を離せない。宮内省の改革は代理である奏史にほぼ委任されている状態だ。
右子殿下の家庭教師を請け負ったのは、少々無理しすぎかもしれない。
しかし、これは自ら望んでのことで、他の選択肢はなかったので問題ない。
宮内省の粛清は済んだのだから、後は人事を整えて諸務は他の者に任せればいい。
『ロイヤル危機』は帝族の存在意義を揺るがした。
そのことで一番打撃を受けたのは、もちろん帝族の中でも権野宮家だ。元凶が嫡子の宮子と宮女なのだから当然だ。
帝弟の長女登紅子は、平民の男と恋に落ち、勝手に婚姻を結び、あまつさえ二人で海外に逃亡してしまったという。なんの収拾も決着もせずに。
これが『プリンセス事件』のお粗末な全容だ。
この国唯一の宮家としての権威は失墜した。
帝弟殿下は第一宮女に国益を損ねる結婚を赦したということで責任を負い、近々臣下降籍し公爵か侯爵の爵位を賜り帝籍を離れる。そのため敦人殿下は帝家に養子に入り帝子となり、帝籍に残る処置がなされた。
貴重な帝族の男子を失うわけにはいかないからだ。
こうやって宮家は何かあるごとに貴族たちに帝族から貴族の身分へと引きずり落とされるのが常である。
登紅子の身分差婚には国内貴族はもちろんのこと、意外にも結婚相手と同じ階層である平民たちからも非難された。宮女としての役割を自ら放棄したのだから国民として反発を感じるのは当然かもしれない。
それまでの登紅子は真面目そのもので、しっかり公務もこなし模範的な宮女だったという。
青天の霹靂というやつだ。
かつて彼女は最も帝太女に近い存在だった。
当時は帝に子はおらず、敦人殿下と帝の子右子殿下が生まれるまでの10年間、彼女が帝太女となる為の法整備が進められていた。
帝弟殿下の、息子である敦人殿下が生まれたときの狂喜乱舞ぶりは語り草だ。
飄々として見える優男の帝弟殿下は、長男だからと帝の地位を得た陛下へ実は凄まじい対抗心を燃やしていたのかもしれない。
宮家から帝を輩出するのは、確かにこの上ない栄誉だ。
宮家出身の帝となれば、輩出した権野宮家は帝家に匹敵する権力を掌握できるだろう。
権野宮家で催された敦人殿下の生誕の祝宴は豪華絢爛を極め、この国のあらゆる貴族を招き、この世の栄華を集めたかのような大盛況ぶりだった。
「そういえば、その時に爆発騒ぎを起こしていたな······」
外国から取り寄せたという珍しい花火を宮邸庭園で上げた際に誤って爆発事故が起きたとか何とか。
浮かれ過ぎだ。
さすが登紅子の親。
似たもの親子というか、人騒がせな方々である。
宮家を存続させることは帝族全体の権力を強くし、多数派である貴族たちとの拮抗を保つのに役に立つ。
帝としても、帝族の重要な構成員である宮家を失うのは断腸の思いだろうが、国内の反発を抑える為にはもはや避けられない。
その後に帝宮庭園での敦人殿下の爆弾投下、『プリンス事件』だ。
続く帝族の不祥事により、今回は既に降籍が決まっている権野宮家だけでなく宮内省にも責任が及び、宮内省の大粛清へと繋がった。
今や帝宮を牛耳っているのは三大公爵家である。
公爵たちは宮内省大改革の旗印となり、様々な帝族に纏わる法令を変え始めている。
公爵とは、帝族派と貴族派との中間の立場なので公平に差配できるという建前だが、実際は帝族を裏から操る下準備といえる。
公爵家の開祖は帝兄弟の宮家の成れの果てだ。名字の尻に『宮』の字を残す事といい、帝族に対する執念は他家の者には計り知れないものがある。
長男が登紅子の婚約者であり、『プリンス事件』で泥を被った形となった金原公爵家が独自に裏で動いているとの噂がある。
四男を右子殿下の家庭教師に据え接近させ、年齢も丁度良いことから婚約者候補を狙っていたのは明らかだが、平民腹の四男では役不足だろう。
公爵家も一枚板ではない。
次は鬼がでるか蛇が出るか、だ。
私は生まれてこの方、右子殿下以外の婚約候補が挙がったことがない。
李鳥公爵は最善以外の選択肢を与えない厳しい人だ。
しかし、右子殿下にとって私が最善の相手かどうかは分からないが。
「明日の授業の準備をするか······」
残っっている机の上の山積みの書類を見る。
いや、気持ちの切り替えが大切だ。
金原公爵家から奪い取った新しい仕事には、万全を尽くすと決めている。