101話目 夢の中では死神な俺 保side
その夢の中は、暗い森の中だった。
明らかに何か良くないことが起きていた。
「っっっきゃあああ〜っっ」
·······右子の叫び声が夜の森にこだました。
右子は何かに追いかけられている。黒い服を着た男が馬で追っている。そしてそいつは大きな鎌を擡げている。
あれはいかにもテンプレな、死神、か?
これはいわゆる『悪夢』というやつだろう。
俺は驚いた。
帝や八咫烏の学の夢に入ったことは何度かあるけれど、こういったストーリー仕立ての『夢』に出会した事がなかったからだ。
帝から、我々が入れるのは人の意識の深層心理の部屋のみと聞いている。
本人が見ているストーリー仕立てのいわゆる『夢』みたいなものは、本人だけの泡沫の幻で他人が踏み込めば立ち所に霧散してしまう煙だ。
意義のないものだから、まともに入ることはない、と聞いていたのに。
『夢』が、こんなにリアルで実体を伴なうものだなんて聞いていない。
とにかく右子の意識を覚醒して深層心理の部屋に行ってもらわないといけない。
死神から逃げ惑う右子だが、馬に乗っている死神は追いつくことなく同じスピードでつかず離れず執拗に右子を追いかけ続けている。
これは·········終わる気配がないな·······
そう思った瞬間。俺はなぜか馬の上にいた。
黒い装束を身に纏い大きな鎌を担いでいる。
俺が、死神に、なっていた。
「右子のやつ······」
どうやらそもそもこの死神は俺のイメージなのだと気がついた。
彼女は俺の事をやっかいな死神だと思っているらしい。
まあ、今日の現実世界での出来事を踏まえると、気持も分からないではない。俺は死神ならぬ、疫病神だった。
まさか和珠奈があんな暴挙に出るとは全く予想もしていなかったのだ。
もしや一生右子役を演るのではという会話はしたことがあった。
だけど人一人の一生を演じ続けるなんてことは現実的ではないし、軽い冗談のつもりだった。
まさか、本気だったとはな。
だが、和珠奈は義父の意志を受けてもともと謀叛を起こす気だったのかもしれない。
和珠奈は徳川公爵家の私兵を大勢校内に配備していた。義父から用意されていたボディガードより明らかに多数いた。これは計画的な犯行だったのだ。
一体いつから、和珠奈はこんな大それた事件を起こすつもりだったのか。
俺と和珠奈は、現実世界ではそれぞれ別に牢屋に入れられて別に事情聴取を受けている。今は牢屋のベッドで寝ているはずだ。
右子の奏史への働きかけで、今回出番の少なかった警察隊が取り調べを行っているが、事情が掴めずのらりくらりで証拠の和珠奈の手紙も無いしで、後日に実家である徳川公爵家の方への捜査が終わり、大した罪状もなければ釈放されるとの事だ。
俺は奏史が前にもまして右子の言いなりなのが気にかかっていた。『病の力』を使われて操られているようだったし、少々潔癖な彼が怒りそうなものだけど、今の彼はヘラヘラしていた。
と、そんな事を考えながら、死神になって馬を駆らせている内にとうとう右子を捕まえてしまった。
俺は役柄に徹して死神の鎌を掲げた。
右子は下の木の根に足を取られて転んだようで、死神の鎌を見て顔面蒼白になると気を失った。
死神に捕まると死んでしまう設定だったのだろう。
目を瞑ってもう微動だにしなかった。
俺は馬と鎌を捨てて、右子を抱き上げて暗い森の中を歩き出した。
すると場面は一転して、俺達は広い部屋にいた。
部屋の壁には全面に絵が描いてあり、上部は空の絵と下部には海原の絵と、所々絵の具が乱れているので絵だとは分かっていても、宙を浮いているようで落ち着かない部屋だ。
·······もう何も出来事が起きないので、
ようやくここが右子の深層心理の部屋だと思い当たる。
右子の夢の中は全てがリアルだった。
帝や学だってもっと、ふんわりと漠然とした空間だった。
この様に、酷く疲れるので、帝も学も右子の夢の中に入るのを嫌がるのかもしれない。
ベッドが部屋の中央にあるのでそこへ右子を下ろす。
夢の中で寝るなんて事があるんだな········
俺は眠り姫のような右子の顔に自分の顔を近づけた。
パチッ
右子の両目が開いた。
俺を見て不思議そうな顔をした。
「あなた、誰ですか?」
右子は俺を忘れていた。
恐らく現実でも薬がちょうど切れた頃なんだろう。
自分の夢に人を呼びつけておいて、
と軽い怒りを覚える。
現実世界なら分かるけど、深層心理レベルで忘れられていることに俺はショックを隠せない。
というか、これでは話し合いたいという右子の希望も聞くことができないではないか。
右子の頭を掴んで記憶回復の施術をやってみたが無駄だった。そりゃそうか、この右子は単なるイメージで頭の中はカラッポだ。言うなればこの空間全体が頭ということになるが、俺の手はそんなに大きくない。
「じゃ、帰るかな······」
そう言ったくせに、俺はベッドに座る右子の隣に腰を下ろす。右子に惹き寄せられるこの感覚、いつも不思議なんだよな。我が妹ながら恐ろしいやつ。
こいつは人間じゃなくて神的や魔物的な領域の生き物なのではと疑いたくもなる時がたまにある。
事実、右子の母親は右子を身籠る際に神の啓示を受けたとかで、右子が神の子だと盛大に勘違いして今でも崇め奉っている。つまり、育児放棄して宗教活動にのめり込んでいる。
右子も可哀相な子なのだ。
出産してすぐ忘れ去られた俺よりはマシかもしれないけどな。
しばらくこうしていると、
「あっっ」
右子が驚いたように言った。
「あなたは前世で、私に指輪をくれた人ではないですか?」
「はあ?」
「ほら、前世ではあったんですよ。お互いが左手の薬指にお揃いの指輪をつけるやつ······」
俺は前世の記憶は一切ないけれど、確かにあったような、いや、無かったような。
「今世では無いけれど結婚の風習ですよ。
プロポーズしてくれましたよね?」
と、恥じらいもなくあっけらかんと言う右子。
なんてこった。
プロポーズって、結婚してくれって依頼するやつだよな?
「お前な········俺が一生やらないランキング、それ一位のやつなの、そんなのするわけないだろ·······」
「いやいや、前世ですよ?
前世だからほぼ別人です。別に恥じらわなくていいのでは」
俺が恥じらってるとでも?顔でも赤かったか?
いやいや、·······もっと恥じらいを持つべきはお前の方だ!
万が一、プロポーズしていてもこの調子じゃな。
暖簾に腕押し、
「糠に釘」「豆腐に鎹」「焼石に水」「泥に灸」「馬の耳に念仏」って感じだよな。
前世での右子との関係、ヤバすぎる。
俺は薄ら寒くなった。
「俺、帰るわ·····」
あ、そうだった。
「右子も今日は事情聴取で、学校に泊まってるんだって?阿良々木家に帰ったら身辺に気をつけな。
徳川公爵がこのままコケにされて黙っているはずない。
········義父の性格を考えると、嫌な予感しかしないんだ」
「えーと、私、和珠奈さんに攫われそうになったような·····了解です!知らないご親切な方」
ご丁寧に俺の箇所だけ忘れ去ったのだろうか?
器用な事だ。
明日には、記憶回復の薬を人づてで届けさせると心に決める。
「ありがとう、ご親切な方!」
右子は立ち去る俺に、夢の中で手を振ってくれた。
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