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どうしたら会えますか?  作者: 花崎有麻
35/41

5-5

 尋人の話の全てを理解できたわけじゃないし、全てを納得したわけじゃない。受け入れたわけじゃない。

 ただ一つわかったことは、このままアリスのベータテストが終了してしまったら、最悪の場合、二度と尋人と話をすることできなくなるかもしれないということだった。

 もちろんそれは尋人の仮説でしかない。でも妙な確信のようなものはイコにもあった。

 自分が今まで信じてきた運命。そして直感。その直感は尋人の話を肯定している。尋人の仮説は正しいと言っている。だからたぶん、尋人の仮説は正しいのだと思う。

 パラレルワールドと、アリス。二つの世界を唯一繋ぐ、あの部屋。そこだけが、尋人と繋がれる場所だった。

 でもそれももう、終わろうとしている。

 尋人と会うことは、できなくなる。

 ベッドの上で縮こまりながら抱える膝の上に、頬を伝って涙が落ちた。

 頭では理解なんてしたくない。納得なんてしたくない。でも、気持ちの面でイコは理解してしまっていた。たぶんきっと、このベータテストが終わったら二人は会えなくなる。そう思うと、これ以上、あの部屋で尋人と過ごすことが辛かった。

(でも、一人になったからって、気分は変わらないけど……)

 尋人といると、これからの未来を想像して悲しくなる。でも一人になると、これからの自分の姿を見ているようで、より悲しく寂しくなる。

 また一筋、涙が落ちた。

 それは頬を伝い、膝から落ち、近くに置いてあったスマホの画面の上に滴となって落ちた。と、同時にスマホの画面に明かりが灯り、着信音が響いて電話が掛かってきたことを知らせた。

 一瞬、相手は尋人かと思った。しかしそんなことはありえない。画面を確認すると相手は鏡子で、そういえば夜に電話する約束をしていたのだ。

 今日、イコが尋人と会うことを鏡子は知っていたから――。

「……もしもし」

 このまま一人でいるのが耐えられなくて、イコは電話をとった。

 その声は沈んでいて、涙混じりで、それを少しも隠そうとしなかったから、イコの今の状態はすぐに鏡子にも伝わった。

 きっと茶化したりして昼間の結果を聞くつもりだったであろう鏡子は、電話の向こうでイコの様子に戸惑い、しかしすぐに、なにかがあったことを悟って訊いた。

『どうしたの?』

 なんだかもう、考えることが億劫だった。

 世界の壁を越える方法なんて自分には考えつかない。どこをきっかけにしていいのかすらわからない。解決方法なんて思いつかない。

 気づけば、ほとんど無意識のうちにイコは鏡子に話をしていた。

 出会えなかったことも、パラレルワールドのことも、十年前の事故との関係も。涙を流し、鼻水を啜りながら話をした。鏡子は、それを黙って聞いてくれた。

「――ということで、イコと尋人はもう会えないんだよ」

 言葉にするとなんだかそれは可笑しかった。笑ってしまう。

 でも仕方がないのだ。だってどうすることもできないのだから。

(うん、諦めよう)

 一度、深呼吸して、そう決めた。

 無理なものは無理なのだ。これは叶わぬ恋だったのだ。漫画やドラマではなく、これは現実で、都合良く世界が繋がって二人が出会うことなんてあるわけない。そんなハッピーエンドはきっと訪れない。

 想っていても辛いだけ。求めていてもなにも手に入らない。なら、やっぱり諦めよう。すっぱり忘れて、新しい恋を見つけよう。

 たぶんそれが、イコにとっても尋人にとっても最良の選択なんだ。

『……それで、イコはどうするの?』

 だから、それは――。

『まだ、告白もしてないんでしょ? 気持ち、伝えるの?』

 だから――。

『このまま別れて、本当にいいの?』

 それは――。

「……っ。……。……いい、んだよ」

 だって、どうすることもできないんだから。

「忘れるよ。不思議な経験ができたねってことで、終わりにしようと思うんだっ」

 異世界の人と交流して、しかもその人に恋をするなんて、きっとイコくらいしか経験したことがないだろう。それはとても貴重な経験だ。絶対にこれから先、イコの糧になってくれる。

 そうだ、よくよく考えれば凄いことなのだ。一生に一度だって普通はありえない出来事なのだ。とってもレアなのだ。そんな経験が、できたのだ。

「だから――」

 もう、いい。

 もう、いいんだ――。

『世界を越える恋ってさ、映画みたいで素敵だね』

「……かーちゃん?」

『そういう映画ってさ、最後はどうなるんだろうね』

「どう、って……それは、ハッピーエンドになるんじゃない……?」

 そうしないと物語として終われない。映画はエンターテイメントだ。観る人にカタルシスを与えるものだ。そのためには、物語はハッピーエンドで終わるのがいい。そうすれば感情移入していた視聴者も気持ちよく終わることができる。

『そうだね。主人公とかヒロインとかがなんかいろいろ頑張ってさ、それでなんか奇跡的な力でもって世界の壁を越えたりとか、一時的でも触れ合えたりとかね』

 鏡子はなにが言いたいのだろう。

 まさかイコにもその奇跡に縋れなんて言うのだろうか。神様が起こしてくれる気まぐれに期待しろとでも言うのか。

(そんなの、無理だよ)

 だってこれは映画じゃない。現実はそんな簡単に奇跡を起こしたりはしない。

『そういうシーンってさ、映画のラストのほうでさ、もう尺もなくて、でも最後にハッピーエンドにするために奇跡を起こす。それでその奇跡っていうのは、だいたい主人公とヒロインの強い想いとかがきっかけになったりするよね。難しいことなんて考えなくて、ただ気持ちを持って突っ走って、エンターテイメントとしての奇跡を起こす』

「……なにが、言いたいの、かーちゃん?」

『……あたしは、そんな奇跡が起こるなんて信じてないし、起こせなんて無責任なことは言えない。でも一つだけ言えるのは、らしくないじゃんってこと』

「らしい、って?」

『イコらしくないってことだよ。あたしの知ってる柏木憩は、頭なんて使わない。思ったことは口にして、行動してきた。猪突猛進で、バカで、すぐ運命とか口にして、危なっかしくて、でもいつも――笑ってる女の子だ』

「……」

『もう一回訊くよ。……気持ち、伝えなくて本当にいいの?』

「だって、気持ちを伝えても……」

 意味なんてないから。

 なら、伝えるだけ無駄ではないか。

 耳元で、息を大きく吸う音が聞こえた。

『だから考えるなっ! イコ、あんたはバカなんだから、悩んでも仕方ないでしょ! 世界がどうとか、これからがどうとか、そんなことあんたの気持ちに関係あるの? 難しいことなんて考えるなっ。どうせ理解することなんてできないんだからっ!』

 酷い言われようだった。でもその言葉は、すんなりとイコの胸の中に落ちる。

『考えるなよっ、思った通りに行動しろよっ! それが柏木憩だろっ! 世界が違うのがなんだよ。そんなことが、気持ちを伝えない理由になるのかよっ!』

「……っ」

『あんたは、彼のことをどう思ってるんだよっ!』

「イコ、は……」

『出会ったのは運命だったんじゃないのかよっ! その運命は口だけなのかっ!』

 違う。

 尋人に出会ったあの日、本当に運命を感じた。イコの直感がそう告げていた。そしてその直感の通り、イコは尋人のことを好きになった。

 口だけなんてあるわけない。イコと尋人が出会ったのは運命だ。出会うべくして、二人は出会ったのだ。少なくとも、イコはそう思っている。

『本当に運命だって言うのなら、せめて自分の想いくらい伝えてみせろっ!』

 耳元で、電話の向こうから親友の檄が飛ぶ。

 それは酷い言いようではあったけど、でも心強くて、悲しい気持ちも、寂しい気持ちもどこかへいってしまって、そしてなんだかとても可笑しくて。

「……そうだね」

 自分を取り戻した気がした。

 心が軽くなった気がした。

 忘れることなんてできない。不思議な体験だったで済むはずがない。諦めることなんてできない。

(だって、好きになったから)

 たぶん、本当に辛いのは会えなくなることじゃない。今の気持ちを尋人に知ってもらえないことだ。いつか、時間の経過とともに尋人の心から柏木憩という存在が薄れて、思い出になって、そして消えていくことだ。

(これはイコの我が儘だ。でも、尋人にはイコのことを忘れてほしくない)

 好きな人のことは覚えていたい。好きな人には覚えていてもらいたい。そう思うのはなにもおかしいことじゃない。

 でもこの気持ちを伝えないと、尋人の中に柏木憩を刻みつけることができない。

 忘れたくない。忘れられたくない。

 受け入れられなくてもいい。心の片隅でいいから、こんな女の子がいたなって覚えていてほしい。

 そのために――。

「かーちゃん」

『うん』

「イコ、これから告白してくるよ」

『そっか。頑張れっ』

「うんっ」

 イコは最後に鏡子に「ありがとっ」と告げて電話を切った。

 ベッドから立ち上がり部屋の電気を点けると、その足でパソコンの前に座る。

 パソコンの電源を入れ、アリスにログインし、部屋へと向かう。

 部屋に尋人がいるかどうかはわからない。いなければ、いつまでも待つ。

 そして言うのだ。自分の気持ちを。

「……尋人」

 部屋のドアを開けると、そこには尋人のアバターがいた。ワイプに切り替え、声をかけると、尋人の顔がカメラに向けられる。

 尋人の表情はとても暗かった。たぶん、数分前の自分はこんな顔をしていたんだろうと思う。

 でもだからこそ、イコは満面の笑顔を浮かべて、言った。

「尋人。イコは、尋人のことが――」

 人生で初めての告白は、

「――好き」

 思っていたよりも、緊張することはなかった。


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