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どうしたら会えますか?  作者: 花崎有麻
34/41

5-4

 尋人のその言葉を聞いたとき、不思議と驚きはしなかった。

 それはたぶん、彼の言葉があまりにも現実的ではなくて驚きようがなかったからだと思う。

 だって、イコは死んでいない。今ここで、ちゃんと生きている。

 息もしているし、体温もあるし、他人と喋ったり触れあったりできる。現に今、こうして尋人と会話をしているではないか。

 だから、イコは死んでいない。

「……ごめん。言い方が少し悪かった。正確には、キミは生きている。でも、イコは死んでいるんだ」

「……意味が、わからないよ。尋人」

「僕が図書館で古山から見せられた新聞には、十年前の水難事故のことが載っていた。大雨による河川の氾濫。そして増水した川の水に呑まれた少女が一人と、その少女を助けるために川に飛び込んだ青年」

 そう。そしてその少女とはイコのことで、少女を助けるために飛び込んだ青年とは高倉のことだ。

 高倉が身を挺して助けてくれたから、イコは今もこうして生きて――。

「僕の読んだ新聞にはさらにこう書かれていた。『川に呑まれた少女と、少女を助けようとした青年、共に死亡』――って」

「……え?」

「イコは川に呑まれた。そしてその高倉という人はイコを助けるために川に飛び込んだ。でも、予想以上に川の水位は増していて、流れも速くて、結局、高倉さんはイコを助けることができずに、二人とも……」

「ちょ、ちょっと待って。なに言ってるの、尋人。そんなわけないよ。だって」

 自分はこうして生きている。死んでいるなんてあるわけがない。

「僕は十年前のこの事故のことをずっと忘れていたけど、新聞を読んで思い出した。隣町のことだし、地元のニュースでもやっていたし、学校でその話を教師からされた。間違いなく、あのとき犠牲者が二人出ていたんだ」

「それが、イコと高倉さん?」

 尋人は頷いた。

「しーちゃんは、なんて?」

「そもそも古山が言い出したんだ。僕のスマホの画面に映っていたのは誰だって。僕がイコのことを教えると、ありえないって言ってた。そして図書館に連れてかれて、十年前の新聞を見せられた。そこには顔写真も載ってて、幼いイコが、写ってた」

 尋人が嘘や冗談を言っていないのはわかっている。でも本気でこんなことを言っているとすれば、自分はどうなんだ。柏木憩はなぜここにいるのだ。

「その後、古山にイコの家に連れて行ってもらったんだ」

「え、イコの家?」

 尋人が家に来た?

 イコは尋人がログアウトしてから家に真っ直ぐ戻ったが、来客なんてなかった。一階には母親がいるが、母親からはなにも聞いていないし、インターホンの音だって鳴っていない。

「そこで、幼いイコの遺影を見て、お線香をあげてきた。イコのお母さんに、昔のアルバムを見せてもらって、昔のイコの話を聞いてきた」

 そう言って尋人が語ったのは、確かに自分が昔経験したことだ。

 幼稚園の運動会で転んで大泣きしたことや、家族で行った旅行の話、古山家と一緒にホームパーティをしたときの話など、尋人は決して知らない話だ。そしてその中には、古山でさえ知らない、家族しか知らない話もいくつかあった。

 だがそのどれもが、幼稚園時代までの話しかなかった。事故に遭ったあとの話は、尋人の口からは何一つ語られなかった。

 本当に、尋人は柏木家を訪れ、そこで母親と話をしてきたのだ。でなければ、この情報を知っているわけがない。

 もうなにがなんだかわからなくて、イコは黙り込むしかできなかった。頭の中が整理できない。

「どういうことだと思う?」

 わからない。イコは黙って首を横に振った。

「……イコ。僕は、一つの可能性を思いついたんだ。でもそれは、凄く突拍子もなくて、ありえないような可能性だ。でも僕には、それしかもう思いつかない」

「…………それ、は?」

 モールの出来事から先、いろいろなことがあった。

 食い違う事実、出会えないこと、十年前のこと。

 それら全てが繋がる可能性なんて、本当にあるのだろうか。もうイコにはわからない。だから大人しく尋人の言葉を待った。

「たぶん――」

 尋人が言葉を区切り、息を呑む。

 そして――。


「――パラレルワールドなんだ」


「……パラ、レル?」

 本当に想像もしていなかった単語に言葉を失う。

 もちろんイコもパラレルワールドのことくらい知っている。要するに、異世界だ。自分の世界と似通った、もう一つの可能性の世界。

 それが、パラレルワールド。

「僕とイコは、住んでいる世界が違うんだ。だから、僕らは出会うことができなかった。同じ場所に立っても、そこは世界そのものが違うから出会うことはできない」

「そんな……そんなこと……」

 到底すぐに信じられることじゃない。いきなりそんなことを言われて納得して理解できるわけがない。

 困惑していたイコの頭はさらに混迷へと落ちていく。

「でもそれなら納得できるんだ。僕の世界ではイコはもう死んでいる。だから僕からイコに電話は通じない」

 それは尋人の世界で、今イコが使っている番号は使われていない、もしくは、使っている人間がいない。少なくとも、柏木憩ではないということか。

「じゃあ、イコの出会った尋人は……。イコが掛けた電話は……」

「イコの世界の、境野尋人なんだと思う」

 本当に、ありえない可能性だ。

 でも確かに、それなら納得はできる。

 イコの出会った尋人は、そもそもイコのことを知らなかったのだ。初対面のフリではなく、本当に初対面だった。だからあの尋人はあんな態度を取ったのだ。

電話が通じたのもそれならわかる。イコの世界の尋人と、尋人の世界の尋人は、同じ番号を使っている。だからイコからの電話は通じて、尋人からの電話は通じないのだ。

「たぶん、僕らの世界は限りなく近しい、でも僕の知る限りたった一つのことが違っているだけの世界なんだ」

 限りなく近い世界で、たった一つだけ違っていること。

 さすがに、わざわざ確認せずともわかった。今までの尋人の話の中で、二つの世界の明確な違いは一つしかない。

「……イコが、生きているか死んでいるか、ってこと?」

 正確にはイコと高倉だ。

 この二人が十年前の事故で生き残るか、それとも死ぬのか。それが二つの世界の大きな違いだ。

 尋人は頷く。

「だから、僕はモールを見つけることができなかった。僕の世界では、高倉さんはもう死んでる。会社を経営していないから、そもそもモールなんてできていない。僕は最初からモールには行けなかったんだ」

(イコが、もう死んでる? 十年前に……?)

 尋人の話には理解できる部分もある。それなら今までの異常にも辻褄は合う。でもだからって、すんなり納得はできない。

 いくら柏木憩が死んでいると言われても、実際に自分は生きているのだ。実感は湧かないうえ、今までの人生でパラレルワールドに関わるような出来事はなかった。すぐに受け入れられるほうがどうかしている。

「……たぶん、二つの世界の分岐点はイコと高倉さんの死なんだ。二人が生き残るか死んでしまうか。それが一つの世界が分かたれた分岐点。僕の世界とイコの世界。どっちが正史の世界なのかは、わからないけど」

 あの日。十年前のあの事故で、確かにイコは運命を感じた。あの事故から生還したことを運命だと感じ、それからは運命を信じて生きてきた。

 でもその運命の果てが、こんなにも残酷な結末だったとしたら――。

 それに、もしも尋人の話が本当に正しいことなら、もっと重要で残酷な結末がまだ残っている。

「……じゃあ、さ。イコたちは、絶対に会えないってこと?」

「……っ」

 二人は違う世界に住んでいる。それぞれの世界の同じ場所に立っても、そこに会いたい人はいない。見えない大きな壁の向こう側にしか、会いたい人の温もりと姿はないのだ。

 ここまで聞けば、誰でも気づく。なら、その可能性にたどり着いて、そして頭の良い尋人がそれに気づいていないわけがない。

 尋人は全部わかったうえで、この話をしているのだ。

「……たぶん、そうだと思う」

 絞り出すような尋人の声。その声を聞くと、この可能性が俄然、真実味を増してきた。

(尋人に、会えない?)

 この部屋で出会って、運命を感じて、勉強を教えてもらって、お礼にライブに行こうとして、でも行けなくて、話をして、仲良くなって、尋人に惹かれて、海へ行くことになって、泳げないからプールで練習をして、尋人に見られる水着姿を気にして、新しい水着を買いに行って――。

 そして、自分の気持ちに気づいて――。

 会いたいと願った。いや、それは今も願っている。いますぐにでも家を飛び出して尋人に会いに行きたい。会って、触れて、安心したい。

 でも、それはできない。二人は住んでいる世界が違う。近くて遠い、そんな場所にお互いはいる。

 世界の壁なんて超えられない。そんな術は存在しない。

 じゃあ、どうするのか。

(諦める……?)

 住んでいる世界が違うのだ。この恋は、絶対に叶わないものなのだ。

 だったら、もう諦めよう。悲しい恋は忘れて、新しい恋を見つけよう。出会うことができないのなら、触れあうことができないのなら、たぶんイコにとっても、そして尋人にとっても、そのほうがいいに違いない。

 諦めよう。

 忘れよう。

 ちょっと不思議だけど良い経験だったね、と、笑い合おう。

 そうだ。

 たぶん、きっとそれが――。

「…………いいわけ、ない」

「……イコ?」

「いいわけ、ないよっ」

 そうだ、いいわけなんてない。

 会いたいと思う人に、好きだと自覚した人に会えなくなる。そんなことをいいと思えるわけがない。

 尋人が嘘をついていないのもわかっている。尋人がそんな人間じゃないこともわかっている。でも、尋人のこの話だけは――。

「信じられるわけないよ、こんなことっ。だいたい、だったらなんで今、イコたちは話ができてるの? 住む世界が違うなら、そんなことだってできないはずだよっ!」

 会うことができないのだ。だったら当然、会話することだってできない。

 でも二人は何度もこうして話をしてきた。その事実は変わらない。だったら、パラレルワールドなんて信じられない。

「……たぶん、この部屋が特別なんだと思う」

「この、部屋?」

「ネットとかで探せばいくらでも見つかるんだけど、異世界――つまりパラレルワールドと繋がる場所ってのはけっこうあるんだ。とある場所に行ったらいつの間にかよく知らない場所にいて、気づいたら帰ってきていた、とかね。神隠しとかが良い例だけど。それはきっと二つの世界が何らかの理由で重なる場所に迷い込んだということなんだと思う」

 イコもその手の話は少しだけ知っていた。旅行中に急に消えた家族とか、飛行中に突然消えた飛行機とパイロットとか、一晩で集団失踪した村とか。

「あくまでも僕の推察だけど、二つの世界でアリスというSNSが生まれ、同じようにベータテストが開始された。その際に造られたこの部屋が、二つの世界で重なりあう場所になった」

「そんな……。だってアリスは、ネットワーク上の……」

「うん。だから僕も確証はない。そんなことはありえないとも思う。でも、現実同士が繋がって異世界に行ってしまうことだって、十分にありえないことじゃないか。それがたまたま今回はアリスというネットワークを通じて起こってしまった」

 ネットワーク上で二つの世界が繋がる。そんなこと、本当にあるのだろうか。いまいち信じがたいし、これならまだイコが実は死んでいて、幽霊として彷徨っていると言われたほうが納得できる。

「そして僕らは同じ部屋を買って、同じ番号を鍵のパスワードとして設定した。そしてたぶん、同じタイミングで鍵を解除してドアを開けたんだ。もしかしたらこの部屋は常に他の世界と繋がっているのかもしれないけど、僕はたぶん、同じ部屋、同じパスワード、同じタイミングというのがキーだと思ってる」

「じゃあ、それがきっかけでこの部屋は繋がったの?」

 尋人は一つ頷き、

「思い出してみて。部屋を買ったとき、マンションから部屋に向かうとき、そして部屋の前に立ったとき。イコは一人じゃなかった? 僕は一人だった。他には誰もいなかった」

「――っ」

 言われてみればそうだ。確かに部屋を買ったときも、部屋に向かうときも、鍵を開けてドアの前に立ったときも、近くには誰もいなくてイコ一人だった。

 仮に、部屋を買ったときと部屋に向かうとき、そのときにイコが気づかず誰かが近くにいたとしても、部屋の前では絶対に一人だった。他の誰かが近くにいれば間違いなく気づいたはずだ。

(でも、誰もいなかった)

「部屋に入って、それで僕は初めてイコに気づいた。だからたぶん、今同時に部屋を出れば、部屋の外にお互いはいないと思う」

 今こうして思い返せば確かに不思議だったのだ。部屋に初めて入ったとき、間違いなくイコは一人だった。なのにその直後に尋人は部屋にいた。パスワードで鍵はロックされているから、誰かが後をつけてきたなんてことはありえない。

「……試して、みる?」

「…………いい」

 怖かった。もしも本当に、部屋を出た先に尋人がいなかったら。それはきっと尋人の仮説の証明になってしまう。

 いや、たぶんそんなことをしなくてもわかっているのだ。

 きっと尋人の言うことは正しい。仮説はきっと間違っていない。だって自分たちは実際に会えなかった。尋人の言うとおりなら、今までのおかしなことにも説明がつくからだ。

 では、どうする? 本当に試してみるか?

 試す方法は部屋を出る以外にもいくつかある。母親に今日のことを訊くとか、古山に尋人のことを訊いてみるとか、今この場で尋人に電話してみるとか。そのうちの一つでも尋人の異世界説を否定してくれたら、問題は残るが、それはそれでいいと思う。

 でもそのどれも試してみる気にはなれなかった。

 イコが黙りこんで、尋人も同じように黙った。気まずい沈黙に包まれる。

 と、そのときだった。一通のメールが届いた。しかも普通のメールではなく、アリス内にいるアバターに直接送られてくるメールだ。よほど重要な内容らしく、メールは強制的に開かれて文面が画面を流れる。

 メールの差出人は、アリス運営事務局。

 強制的に開かれたメールの文字は、勝手に目の中に飛び込んでくる。そしてその内容とは、ベータテストが近々終了するというものだった。つまり、アリスの正式サービスが近づいているということだ。

「――そんな……っ」

 そんな声がして視線を移すと、尋人が顔色を青くして頭を抱えていた。どうしたのかと声をかけると、尋人は顔を上げ、

「今、アリスの運営事務局からメールが来た。もうすぐ、ベータテストが終わるって」

「うん。イコのところにも来たよ」

 どうやら二つの世界はアリスの正式サービスの日時までも同じらしい。

「イコ、忘れてない? ベータテスト中に得たアリスでの情報は……」

「……っ。……そう、だった。正式サービスが開始されたら、リセットされる……」

 完全に忘れていた。確かそんなことが利用規約に書いてあったことを思い出す。

 ということは、つまり。

「この部屋にも、入れなくなる?」

「うん。……それに、もしも僕の仮説通りこの部屋だけがお互いの世界と繋がっているのなら……」

 正式サービスが開始されたら、ベータテスト中に手に入れたものは全てリセットされてしまう。そしてもちろん、それはこの部屋だって例外ではない。

「イコたちは、テストが終わったらアリスの中でも会えなくなる……っ!?」


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