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どうしたら会えますか?  作者: 花崎有麻
29/41

4-5

 結局イコは、水着はおろか買い物ひとつせずに帰宅していた。

 鏡子に手を引かれて家まで帰ってきた。途中、鏡子が苛立たしげになにかを言っていたがまるで覚えていない。

 イコは家につくと着替えることもせずベッドの上に膝を抱えて座り込み、そのまま夜を迎えた。

 部屋の中は真っ暗だが、ずっとそこにいれば目も慣れる。ベッドの向かいにある姿鏡には自分が膝を抱える姿が薄らと映っていた。その格好は、家を出たときと同じまま。尋人のことを思って選んだ服のままだった。

 会うことを楽しみにしていたのだ。だから何時間もかけて服を選び、髪型を考え、モールのどこを回ろうかと思案した。それもこれも、全て尋人に喜んでもらうため。尋人と楽しく時間を過ごすため。

(でも、尋人は違ったみたい……)

 尋人はまるでイコのことを知らない人のように扱った。他人のそら似かも知れないと何度も思ったが、あの顔も、あの声も、尋人のものだった。それに本人はちゃんとイコの前で名乗ったのだ。『境野尋人』と。

 顔も声も名前も同じ人間なんているわけない。だからきっと、あの彼は『境野尋人』に間違いない。

 何度考えても結論は一緒だった。でもだからこそ、悲しい

 尋人の表情を忘れることができない。本当に嫌そうにイコを拒絶し、手を振り払った。

 会いたいと思っていたのも、話したいと思っていたのも自分だけだったのだろうか。あんなに楽しいと感じていた尋人とのお喋りの日々は、全て自分が思っていただけの幻想だったのだろうか。

 自分だけが、一人で舞い上がっていたのだろうか。

「う……」

 鏡の中の自分の頬を、涙が一筋伝った。

 出会ったのも、お互いのことを知ったのもアリスの中だった。名前を知って、年齢を知って、顔を合わせて、住所を知ったのもアリスの中だった。二人はアリスで繋がる、アリス内だけの関係だった。

 アリスでの関係を現実に持ち込もうとしたからいけないのだろうか。だから尋人はあんな態度を取ったのだろうか。

 嫌なら嫌と初めから言ってくれればよかったのだ。

 話すのが嫌なら嫌だと。会うのが嫌なら嫌だと、初めからそう言ってくれればよかったのだ。そうしてくれていたら、ここまで悲しい気持ちにはならなかった。

「あんな、初対面のフリまでしてさ……」

 恨めしく呟いた声は鼻声で、涙が混じっていた。

「もう、話をすることもできないのかな……」

 尋人の拒絶は本物だった。声も口調も表情も、それら全てがいっさいの容赦なくイコを拒絶していた。歩み寄って、掴んだ手を振り解かれた。

 机に置かれたパソコンが目に入った。もう、顔を見る勇気がない。電源を入れてアリスに接続することすら怖くなっていた。また拒絶されたらどうしようと、あの部屋で一緒にいることすらもうできないのかもしれない。

 いや、違う。

 かもしれない、ではないのだ。

 尋人は明確に拒絶した。つまりそれは、そういうことなんだ。

 もう、顔を合わすことはできない。

 もう、話をすることはできない。

 もう、一緒にいることはできない。

「…………あはは、そっか」

 乾いた笑いが部屋に響き、そこまで思ってイコはようやく気づいた。

 なんでこんなに悲しいのか。なんでこんなに辛いのか。なんでこんなに胸が締め付けられるのか。

「イコは、尋人のこと好きだったんだ……」

 たぶんそれは、本人だけが気づいていなかった気持ちだ。

 きっと鏡子は気づいていた。だから尋人と海に行くと言ったとき協力してくれた。友達の恋を応援するために、成功させるために協力してくれた。

 今日だってそうだ。イコと尋人が上手くいくように。緊張などして失敗しないように。なんだかんだ言いながらついてきてくれていたのだ。そんなことにすら、イコは気づかなかった。せっかく気遣ってくれたのに、鏡子にも悪いことをしてしまった。

 気持ちを自覚してよくよく考えてみれば、確かにイコは尋人のことが好きだった。そしてそれは、イコのいつも通りの言葉で言えば運命だったに違いない。

 アリスで出会い、話をするのが楽しかった。顔を合わせるときは恥ずかしかったが、それでも嬉しさのほうが勝っていた。突然、話をしたくなってアリスにログインして、でも尋人がいなければとたんに寂しくなって部屋で待ち続けた。

 心の中にはいつの間にか尋人がいて、その存在は自分でも気づかないうちに大きくなっていた。

 知らないフリをされて、こんなにも心が痛むほどに――。

「…………やっぱり、このままなんてやだ」

 イコは膝に埋めた顔を少しだけ起こし、目だけを出して鏡を睨んだ。そして服の袖で目元と頬の涙を拭って立ち上がる。

 好きになったのだ。好きになって、その気持ちを自覚してしまったのだ。自覚したばっかりで、いきなり失恋なんて嫌だった。

「イコは、運命を感じたんだっ」

 言い聞かせるように叫んだ。

 あのとき、部屋で会ったあのとき、確かにイコは尋人に運命を感じた。そしてそれを証明するようにイコは尋人を好きになった。

 じゃあ、好きになってどうしたい?

 そんなもの、考えるまでもない。そもそもイコは考えることが苦手だ。自分の思ったことを感情に任せて突っ走る。それがイコだ。嘘かホントかなんてわからないけど、尋人が褒めてくれたイコなのだ。

 だったら、そのままの自分で想いを告げよう。

 たとえ本当に嫌われていても、それでもこの想いは伝えよう。

その結果が自分の望むものではなかったとしても、きっと後悔だけはしない。

イコは椅子に座るとパソコンの電源を入れた。今ほどパソコンの立ち上がりが遅いと感じたことはない。

パソコンが立ち上がると、イコはすぐにアリスにログインした。

電話やメールでもよかったが、どうせ想いを告げるなら顔を見て告げたかった。それに電話やメールでは尋人は出てくれない可能性もある。かといって、尋人がアリスにログインしている可能性も、今となってはとても低いのだが。

尋人が来るまで待つ。いなければメールで部屋にいることと、話があることを告げて部屋で待つ。幸いにして今は夏休みだ。どれだけ遅くまで起きていても、何日徹夜しようと問題はない。

そんな決意の下、イコはマンションの部屋に入室した。

――が、とたんに拍子抜けした。

 何時間でも、何日でも待ってやるつもりだった。しかし部屋に入ると、そこには見慣れたアバターがすでにいた。画面の右上にワイプが開き、そこに尋人の顔が映っている。

「イコ!」

 迷惑さなど微塵も感じさせず、尋人がイコの名前を呼ぶ。

 それはほとんどいつもの調子で、昼間のことが夢だったんじゃないかと一瞬考えてしまったほどだ。

 本当なら出会って開口一番に恨み言のひとつでも言って、それから盛大に告白してフラれてやろうなんて、直前までは思っていた。しかし尋人の顔を目にするとその気が一気に萎んでしまった。

 我慢していた悲しさが溢れてきて、目を伏せる。

「イコ?」

 その様子を見て尋人が優しげに名前を呼ぶ。

(……なんで、そんな風に呼ぶのっ)

 拒絶するならきっちりしてほしかった。優しくされると、昼間の彼が実は人違いだったとか、なにか理由があったのかと思ってしまう。

 でも昼間の彼は間違いなく尋人だったし、尋人がわざわざそんなことをする理由は思いつかない。だから、どうせなら今も突き放してほしかった。

 もう、怒る気力はなくなっていた。

「……どうして?」

 目を伏せたまま呟く。尋人が息を呑むのがわかった。

「どうして、知らないフリなんてしたの?」

「え?」

「本当は、イコと会いたいなんて思ってなかった? 本当は、イコのこと迷惑に思ってたの?」

 思い当たる節はあるのだ。

 期末テストの勉強のときは、尋人に自分の勉強時間を削らせてまで教えてもらったし、ライブのときはドタキャンして尋人を一人で行かせてしまった。冷静に考えればよく思われていなくても仕方がない。

 でもそうならそうと、口ではっきりと言ってほしかった。あんな態度はとってほしくなかった。

「え、イコ? なにを」

「イコね、今日のことを本当に楽しみにしてた。尋人と会えるの、とても楽しみだった。それは、イコだけだった?」

 顔を上げる。尋人の顔を見ると、昼間の彼の顔が浮かんで、また拒絶され、イコの言葉を肯定されるかもしれないと思った。涙が流れそうになるのを必至に堪える。

「え、なに言ってるの、イコ。僕も楽しみにしてたよ。でも――」

「ならっ、なんであんな態度取ったのっ!?」

 尋人の態度の原因は自分にあるのかもしれない。そう思ったから、本当は声を荒げるつもりなんてなかった。でも話をしているうちに感情が溢れて、それがそのまま言葉に乗って外へと出てしまった。

「初めて尋人と現実で会って、尋人の手を握って、イコは嬉しかった。でも尋人は迷惑そうで、初対面のフリして、凄く怒った!」

 あのときの言葉も、表情も、振り解かれた手の痛みも、まだしっかりと覚えている。

 あのときの気持ちも、しっかりと胸に刻まれている。

 フラれてもいいと思った。そのことを覚悟して尋人に会うことを選んだ。でも尋人と話をしていると、そんな気がどんどんなくなっていく。

 ここで終わってしまうのは嫌だった。尋人ともっと話をして、直接会って、遊びに行きたかった。

 もっと尋人に見てほしかった。

「尋人、イコは――」

 気持ちだけが溢れてくる。自分でも止められない、初めての感情。勢いのままに、口を開く。

「――待って、イコ!」

 しかし尋人がそれを遮った。

 ハッとしてワイプに視線を送ると、今度は尋人が顔を伏せていた。様子がおかしいことには、すぐに気づいた。

「……尋人?」

「イコ。僕はキミの言っていることがよくわからないよ」

 顔を伏せたまま尋人は言う。そしてその言葉は、イコの胸を抉った。昼間、知らないフリをされたときと似た感覚が蘇ってくる。

 また涙が溢れそうになった。

 しかしその涙は、次の尋人の言葉を聞いて乾く。


「僕、モールには行ってないんだ」


 最初は嘘だと思った。

 いや、嘘がどうとかではなく、イコは実際に尋人に会っている。そしてそこで辛いことがあった。だから今、こんなにも感情的になっているのだ。

 あれは間違いなく尋人で、本人も自分は境野尋人だと認めていた。他人のそら似とか、実は一卵性の双子だったなんてことはないはずだ。

「ううん、違う。正確には、モールへはたどり着けなかったんだ」

「……どういう、こと?」

 尋人の顔も、声も、嘘をついているような感じはしない。むしろ尋人はイコの話を聞いて困惑しているような印象を受ける。

 だが、困惑しているのはイコも同じだ。

 モールへたどり着けなかった? じゃあ、昼間の彼は何者だというのだ。

「違う。これも正確じゃないんだ。モールにたどり着けなかったんじゃない。――モールそのものが、なかったんだ」

「――……え?」

 さすがに耳を疑った。

 モールそのものがないなんて、言い訳にしても酷すぎる。でも酷すぎるからこそ、賢い尋人がそんな嘘をつくとも思えなかった。

 じゃあ、尋人は嘘をついていないということなのか? だがそれでは、尋人の言うとおりモールは存在しなかったということになる。なら、自分が行ったあの場所はなんだと言うのだ――。

「イコに教えてもらった住所に行ったんだ。駅で道順を聞いて。でもそこは田んぼばっかりで、大きな建物なんてなんにもなくて。電柱で住所を照らし合わせて、でもやっぱり間違ってなくて」

 尋人は右手で頭を抱えた。そのまま続ける。

「どうしても見つけられなくて駅に戻って、そこでモールのことを聞いたんだ。何人も、何人も。でも誰もモールのことを知らなかった。そもそもモールが建つなんて計画すら話に上がってないって言うんだ」

 尋人の表情が少しずつ青ざめていった。イコの背筋にも、なにか冷たいものが走る。

「そ、そんなことあるわけないよっ! イコは今日、モールに行ったよっ。そこで尋人を待って、尋人と会って――」

「僕は、イコには会ってないよ。モールにも、行ってない。そもそも、僕がイコと他人のフリをする理由なんてあるわけない。僕だってイコに会いたかった。海に行くって、約束したじゃないか」

 そうだ、確かに約束した。そしてその約束は、尋人がもちかけたものだ。イコと一緒に海に行きたいと、そう言ったのは尋人だ。

 尋人が本当にイコのことを煙たがっていたのなら、海に行くなんて約束はしない。ライブの埋め合わせなんてしなくていいよと、そう言えばいいだけのことだ。

 じゃあ、どうして昼間出会った尋人はイコのことを知らないと言ったのか。わざわざそんなことをする理由は――。

「ねぇ、イコ」

 今までに聞いたことがないほど、尋人の声は冷え切っていた。

 怯えすら含んだ目で、尋人はイコを見る。

「イコ。キミは――そこにいる?」

 イコはモールに行った。そこで尋人と会った。

 尋人はモールを見つけられなかった。当然、イコとも会っていない。

 食い違う言葉。食い違う行動。

 背中を伝う冷たいなにかは、明確な恐怖へと変わった。

「い、いるよっ。イコはここにちゃんといるっ! モールだってあるよ。高倉グループが建てた大きなモールだよっ。今日だって、あんなに人が――」

「その高倉グループって、なに?」

「え?」

「僕、調べたんだ。イコと初めて会うから、少しでもお互いに楽しめたらって。だからモールに出店してるテナントとか調べておこうって思った。でも実際に調べてもモールのことはおろか、高倉グループなんて会社すら見つけられなかったんだ」

「……なに、それ。どういうこと?」

 高倉グループは、確かにここ十年以内に急成長してきた企業だ。

 でもその急激な成長ぶりと、会社を引っ張る若手社長の存在がマスコミにも取り上げられて、今や日本でもかなり有名な企業になっている。会社のホームページだって間違いなくあるのだ。

「僕の学校の友達が茅埜に住んでるんだ。そいつにも聞いてみた。高倉グループと、モールについて。でも、どっちも知らないって言ってたんだ」

 そこで言葉が途切れる。

 なんだ、これは。

 お互いの話がまるで噛み合わない。

 さすがに尋人の言葉でも素直には信じられなかった。だって、イコは間違いなくモールに行ったし、高倉グループも存在している。なのに、尋人はそのどちらも見つけられなかった。探し方が悪いとか、目に入らないとか、そんなレベルのものではない。

 イコには見えているものが、尋人には見えていない。

 尋人に見えないものが、イコには見えている。

 これは、いったい――。

「……わかった、尋人」

 もう、考えてもわからない。それなら、行動するしかない。

「尋人は、イコと会うのは嫌じゃない?」

「もちろん。僕は、イコに会いたいと思ってるよ」

 一切の迷いなく尋人は即答した。そんなことで嬉しくなる気持ちを抑えて、イコは続けた。

「なら明日、もう一度会おうよ。場所は……茅埜駅にしよう。駅は、間違いなくあったんでしょ?」

 実際に会って、尋人をモールに連れて行く。そうすれば、この食い違いも、尋人の気持ちもわかるかもしれない。

「わかった。今度こそ、イコに会う」

「うん。待ってる」

 それからいくつか取り決めをした。

 会う時間、会う場所。それらを大雑把にではなく、明確に決めた。

 そしてもう一つ。

 お互いがアリスにログインし、部屋で会い、そしてスマホのカメラで自分とその周囲を映して、お互いの位置を確認し合う。そうすれば、なにかに気づくことがあるかもしれない。

「それじゃあ、明日ね、尋人」

「うん。また、明日。イコ」


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