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オープン初日ということで、モールは来客でごった返していた。
その入り口の、邪魔にならない場所に、イコは壁に背中を預けて尋人を待っていた。その隣には長い髪を指先で遊ばせながら鏡子が立っている。
「ねぇ、やっぱ帰っていい?」
居心地悪そうに鏡子が言う。しかしイコはしっかりと鏡子の腕を掴んで首を横に振る。
「明らかにあたし邪魔じゃない?」
鏡子に電話してモールに一緒に行ってもらうお願いをしたときから、鏡子はずっと同じことを言っている。しかし鏡子からすればそれも当然だ。デートに行く男女の後ろをただついていくだけなんて、ただのお邪魔虫でしかない。居心地が悪いことこのうえない。
「邪魔じゃないよっ。イコはね、かーちゃんのことを邪魔だなんて思ったこと一度もないよ?」
「……いい話のような空気だしてるけど、通じないからね」
ジトッとした目で睨まれる。イコは開き直った。
「だって恥ずかしいんだよっ。ねぇ、この服どうかなっ。髪型はいつもと同じにしたんだけど、変かなっ!?」
服と髪型を決めてから、それでも何度も何度も試行錯誤した。今日も家を出る一時間前から鏡の前に立った。おかしくはない、変じゃない。そう思いつつもなんだか自信が持てなかったのだ。
瞳を潤ませて縋るイコの頭に、鏡子がポンと手を置く。
「大丈夫だから、少し落ち着け」
そんなことを言われても落ち着けない。昨晩は緊張してあまり寝付けなかった。まるで遠足前の小学生の気分だった。
「とにかく、ここまで来た以上もうどうしようもないでしょ。腹をくくりなさいって。それで、時間は?」
言われてイコは腕時計を確認した。待ち合わせは午後一時。時計の針は、そこからさらに十五分先を指していた。
(迷ってるのかな)
隣町に住んでいても、どうやら尋人はあまり茅埜には来たことがないらしかった。しかもモールのできた南口は住宅地と田園が広がっていて、北口のように遊びに行ったりする場所ではない。だから地元の人間以外はあまり南口方面に足を向けないのだ。
もしかしたら南口は初めてなのかもしれない。そう思ってイコと鏡子は尋人のことを待ち続けているのだが、流れてくる人の波の中に彼の姿を見つけることはいまのところできていない。
「ちょっと連絡してみる」
そう言ってスマホからアリスにログインし、部屋へ向かう。しかしそこには誰もおらずすぐにログアウトした。
「なんで連絡するっていってアリスなの。電話かメールでしょ、普通」
「う。だって」
なんだか気恥ずかしいのだ。
今までずっとアリスの中で話をしてきた。だから急にメールとか電話とか、そういうことをするのがなんとなく気恥ずかしい。だから連絡先を交換しても、今までアリス内でしか話をしてこなかったのだ。
しかしアリスに尋人がログインしていない以上、もう連絡をとる手段はこれしかない。
イコはメールを送った。内容は簡単に、今どこにいるのか、というもの。初メールがこんな洒落っ気のないメールなのは少し残念だった。
だが、尋人からの返事はない。エラーメールが返ってくるわけではないので届いてはいるはずだった。もう一通送ってみる。しかし結果は同じ。
「電話してみる」
なんだか少し不安になった。
イコは尋人の番号に電話をかける。コール音が鳴り――すると近くで電話の着信を知らせる音が鳴った。音は、目の前の人の波の中から聞こえている。
これだけ大勢の人間がいるのだ。もしかしたらたまたまイコの電話とタイミングが重なった尋人ではない他人かもしれない。いや、可能性としてはそのほうが高い。
しかしイコは目を凝らし、耳を澄ませ音の発信源を探した。
そして、人波の中、目的の人物を発見した。
その人は、尋人は、イコが掛け続ける電話の着信音を響かせながらスマホを手に画面を見ている。
(見つけたっ)
初めて見る、画面越しではない尋人がそこにいた。画面越しではわからない、尋人の身長や体型、新しい尋人の情報が視界に映る。
イコは尋人を見つけることができたが、尋人はスマホの画面を見たままでイコのことをまだ見つけていない。このままでは人の波に流されて見失ってしまう。
緊張していた。でも声をかけなくてははぐれてしまう。イコは一歩踏み出し、尋人へと駆けた。
「尋人!」
人の波に潜り込み、そこにいる尋人の手を取って名前を呼んだ。それに驚き、尋人も手を取ったイコのことを見る。
初めて見る生の尋人は、イコよりもずっと背が高かった。背伸びしても全然届かない。頭一つ分ほど高い位置から尋人はイコを見下ろし、目が合った。
「尋人、もう、遅いよっ」
そう言って笑いかけた。
もちろん怒ってなんていない。来てくれたことが、初めて顔を合わせることができたことが嬉しかった。だから、満面の笑顔を向けられた。
――そう、思った。
「えっと、キミ、誰?」
「……え?」
しかし返ってきたのは、困惑した尋人の視線と、まるで初対面であるかのような尋人の言葉だった。
「え、イコだよ?」
「いこ……? キミの名前?」
なにを当たり前のことを言っているんだ。もう何度も何度も呼んできた、呼ばれてきた名前だ。
なのに、その初めて聞いたような顔はなんなんだ――。
「あの、人違いじゃ?」
立ち止まっている二人を、後ろから来た客が迷惑そうに睨んだ。しかしイコはそんなことを気にしてられない。
「なに、言ってるの? 尋人でしょ?」
「……。確かに、僕は境野尋人だけど」
尋人の目つきが変わった。それは、明らかにイコのことを不審に思っている目だった。イコの知っている尋人の目じゃない。
だが目の前のこの男は尋人だった。名前も顔も、尋人だった。
でも、なにかがおかしい。
目の前にいるのは確かに尋人なのに、自分の知っている尋人とは違う。そんなありえない考えが脳裏を過ぎった。
違うはずない。目の前の彼は、間違いなく尋人だ。
なのに――。
「キミは、誰?」
尋人はそんなことは言わない。言うわけがない。
こんな、冷たい目をしない。
「イコだよっ。柏木憩!」
ぎゅっと尋人の手を握る自分の手に力を込めた。
もう一度、顔をよく見る。間違いない。名前も、声も、顔も、尋人だ。イコの知っている尋人だ。
「――っ。知らないよっ」
尋人の声に明確な苛立ちが混じった。
今まで知らなかった尋人の一面。それを知るのは本来なら嬉しいことのはずなのに、今はそんな風に思えない。いつもはあんなに優しい笑顔をする尋人の顔が、今の怒っている尋人の顔と重なる。
やはり、表情は違っても同じ顔だ。
恐怖心があった。言いようのない不安と、夏の暑さを忘れるほどの冷たさがイコの全身を包んでいた。
この先へ行ってはいけない。なんとなくそう思った。いつもイコの直感だ。いつもならそれに素直に従う。でも今は、その感覚を無視した。
「尋人、イコだってばっ!」
縋るように、そう言った。
しかしイコの求めている言葉は、目の前の尋人は口にはしてくれなかった。
「だからっ、知らないって言ってるだろっ! 誰なんだよ、お前!」
明確な拒絶の一言。それに次いで力ずくで握っていた手を振りほどかれた。さっきまで尋人の手に触れていた自分の手が、空しく宙を彷徨う。
「あ……」
尋人は最後にイコを一瞥した。その瞳からは苛立ちが感じ取れ、明らかに気分を害したような表情をしていた。
イコはその場に立ち尽くすしかなかった。尋人は人の波の中に戻り、そのまま姿が見えなくなる。
後ろからは波が続き、立ち止まるイコのことを迷惑そうに見つめる。それでもイコの足は動かず、異変を感じて走り寄ってきた鏡子に手を引かれて人の波の中から脱出した。
「……」
もう、視線の先に尋人の姿は見えなかった。




