Survival
ー序ー
私はその時、街中にいた。
娘を幼稚園へ送った帰りだった。
ふと、耳に誰かの悲鳴が入る。
物珍しさを感じつつ、声のする方に目をやる。
あおむけに倒れた人に向かって、覆いかぶさるように何かをする人。
状況から判断するに、心臓マッサージでもしているのだろうか。
しかし、それだけでは悲鳴が上がる理由には弱いと感じた。
私は興味本位でそれらに近づく。
そしてその全貌を目の当たりにしたとき、私は「物珍しい」などと感じた自分をひどく呪い、絶望した。
いたるところで悲鳴が上がる。
これは比喩でも冗談でもない。
人が人を食っていたのだ。
ー1ー
早く逃げなければ
私は本能的にそれを察知した。
これは映画でも作り話でもないのだ。
死体を食べ終えた「それ」は、もう次の獲物を狙っているかの如く周囲を見渡した。
私はおぼつかぬ足取りで走り出し、何とか逃れようと急ぐ。
どこへ逃げるべきか
真っ先に思い浮かんだのは警察署。
現状を通報しなくては
ここからそう遠くはない。
次に思い浮かぶのはハザードマップで指定された避難場所だが、自然災害ではないから無意味だろう。
私は警察署へ向かうことにした。
あたりはパニック状態で人が入り乱れていた。
走り逃げ惑う人々を避けながら、ゆっくり、しかし着実に警察署へと急ぐ。
もう警察署は目前。
大通りを挟んだ奥だ。
しかし大通りにいざ差し掛かったところで、不意に「それ」と目が合った。
目が合ってしまった。
「それ」は低い唸り声をあげて私に走り寄ってきた。
逃げなければ殺される
私の理性が悲鳴を上げる。
突然のことに驚き、足がもつれる。
半ば体制を崩し、足首があらぬ方向へと曲がる。
捻挫し横転しまった。
ああ、ここで終わりなのか
みんな、ごめん
私は死を覚悟した。
-2-
パァン!
乾いた音が走り、目の前の「それ」が倒れる。
助かったのか...
大通りの奥から人が駆け寄ってきた。
紺色の服装。おそらく警官だろう。
「おい!大丈夫か?」走り寄ってきた警官に声をかけられた。
私は、大丈夫だが足を捻ったと答える。
「さあ、立て!行くぞ!」
警官の肩を借りて大通りを急ぐ。
不意に警官が黒い物体を取り出したかと思えば、凄まじい爆音が耳を襲った。
拳銃だ。
音の正体はこれだったのか
ついに大通りを渡り、警察署の入り口にたどり着いた。
警察署の中へと入っていく。
中は避難してきた人であふれかえっていた。
警官は私を椅子に座らせ、医療箱を持ってくるから待っていろと言った。
私は言われた通り、おとなしく待つ。
あたりを見渡すと、泣きわめくものや、ただ呆然と立ち尽くすものなど様々だった。
ようやく冷静になれたところで、不安に思うことが一つあることに気が付いた。
夫や息子、そして今送り出したばかりの娘は大丈夫だろうかと。
夫と息子は今週はキャンプに出掛けている。
夫に携帯で報告しなくては
ポケットから携帯を取り出し、連絡を試みるもうまく繋がらない。
遠出しているため、息子は夫に任せるしかないようだ。
となると問題は娘だ。
なんとかして合流したい。いや、合流しなければならない。
などと考えていると、先程の警官が医療箱を持ってきてくれた。
ー3-
警官は快くテーピングまでやってくれた。
礼がしたいができる状況ではない。
せめて名前だけでもと思い、まだ交わしてすらなかった挨拶をする。
「さっきはありがとうございました。私は木下と申します。あなた名前は?」
「俺は井上といいます。礼には及びませんよ。」
軽く挨拶を済ませ、続ける。
「あれはいったい何なんでしょうか?」
「俺にもわかりません。ただ言えることは、”ランナー”は人を食らう。そして噛まれた人はすぐに奴らと同じ化け物になってしまう、ってことぐらいです。」
「噛まれた人も同じになってしまうんですか?まるで映画みたいな話ですね。」
まるで映画みたいな話だ。
だがそれもすべて真実なのだろう。
事態は思った以上に深刻だった。
今後、ランナーは指数関数的に増えていくだろう。
なるべく早い段階で娘と合流しなければ、間に合わなくなってしまう。
幼稚園までは警察署から徒歩10分の場所にある。
銃のある警察署の防衛は厚い。
幼稚園を出たのち、ここに戻ってくるのが賢明だろう。
私は井上に対し、こう言い放った。
「私は娘の保護のため、これから近くの幼稚園へ行きます。」
「いいえ、ただでさえ危険な状況で、あなたは怪我をしている。行かせるわけにはいきません。」
全うな意見だった。
生きて帰れる保証はどこにもなかった。
しかし、足を捻挫していようとも行かないわけにはいかなかった。
「娘は幼稚園で今頃震えています。そんな娘をほおっておけるとお思いですか?私はあなたに何と言われようと必ず行き帰ってきます。異論は認めません。」
しばらく沈黙が続いた。
その後、分かりました、と井上は言った。意外な一言を付け加えて。
「分かりました。なら俺もついていきます。」
ありがたい話だ。
これ以上迷惑はかけたくはなかったが、この助け舟に乗らない手はなかった。
潔く、ありがとうございます、と礼を言った。
-4-
「それで、どう行くおつもりなんですか?こんな混乱の中ではパトカーなんて使えませんよ。」
井上は疑問を投げかけた。
それについては考えがある。
「ではバイクならどうでしょうか?細い路地にも行けますし小回りも効きます。」
なるほど、と井上が声を漏らす。
「では、バイクを2台用意します。あと無線も。携帯が使えない今、唯一の連絡手段です。あと役立つかわかりませんが警棒もお渡ししておきます。」
井上はしばらくの沈黙を置いて続けた。
「作戦をお話しておきます。まず園までバイクで移動します。問題はここからです。あなたのお子さんが生きている場合、園にはまだ生き残りがいると考えられます。その時は、無線で署へと応援を呼び、俺は園に残ります。あなたは自分のお子さんを連れて先に署へ戻ってください。」
盲点だった。
幼稚園にいる生き残りのことを考えていなかった。
一人で行っていれば何もできないところだった。
至れり尽くせりだ。
なぜ井上はここまでしてくれるのだろう。
聞きたかったが今は一刻を争う時。
気になどしていられなかった。
-5-
準備にはそう長くはかからなかった。
2人で裏口からそっと出て、バイク駐車場へと向かった。
バイクへまたがりエンジンをかけ、井上に先導してもらう。
大通りを避け、なるべく人気のない道を選んで走る。
途中生存者を数人見かけた。
全員に警察署へ行くよう促した。
ようやく幼稚園にたどり着いた。
何度かランナーともすれ違ったが、うまく切り抜けることができた。
心臓の鼓動が早くなる。
娘は無事なのだろうか。
どうか無事でいて
扉の前に立つ。
ドアノブを持とうとする手が震える。
後ろを振り返ると井上が心配そうに私を見つめていた。
一拍おいて一気に扉を開く。
そこには大勢いた。
これまで園児”だった”ものたちが
ー?-
きょうもいつものメンバーであそんでた
きゅうにせんせいがさわぎだしてみんなをへやのなかにいれた
どうしたんだろう
せんせいたちはまっさお
きゅうにさわぎだしたこがいる
ともだちのてをかんでる
いたそう
やめよっていったこもかまれた
あれ?かまれたこもともだちにかみつきはじめた
どうしたんだろう
あ、ひとりちかよってくる
はやくにげなきゃ
あ、いたい
おいしそう