背中に視線を感じるとき、実は幽霊は自分の正面にいる
続きました。
またまた久しぶりの投稿です。今度はリアル多忙のため遅くなりました。
仕事柄、中々まとまった執筆時間がとれないのが辛い。もっとゆとりがほしい今日この頃。
深度3魔界。この大陸にはあり得ざる、熱帯の植生を備えた魔界。
その魔界の中を一条の鈍い銀のきらめきが走る。
「はぁっ!」
「ギュイッ!?」
烈迫の気合いと共に放たれたミリアの斬撃が、殺人蜂の羽根を切り飛ばし、バランスを失ったそいつは盛大に地面に突っ込む。
「やっ!」
「ギィッ!」
地に落ちた殺人蜂が再び舞い上がるよりも早く、ミリアの剣が再び閃いて、まだ残っていた羽根と外骨格の一部を切り飛ばした。
「飛行、昆虫、撃破1! 残1、1時方向、戦闘継続します!」
羽根をもがれて、実質戦闘不能になった殺人蜂を脇に蹴り飛ばすと、ミリアが素早く報告をあげる。その視線は油断なく次の殺人蜂へと注がれている。
へぇ、思ったよりも悪くないな。
向かってくる魔物を軽くいなしながら、ミリアの戦闘を眺めている俺は、内心で軽く舌を巻いていた。
ミリアが初の深度3魔界に潜ってから今日で3日目。外部からの補給を入れることなく、魔界に籠って戦い続けてきた俺たちではあるが、ミリアの機動力は些かも衰えていない。
それどころか、戦う相手の情報を手に入れるにつれて、動きが洗練されてきている。殺人蜂も、出会った当初は羽音の大きさにビビりながらむやみやたらに剣を振り回していたが、今では的確に一番脆い羽根を狙って切り落とすまでになっている。
こういったコツコツとした積み重ねに関しては、ミリアは決してアホではない。時間をかければそれだけ伸びるタイプである彼女の性質が、今まさに遺憾なく発揮されているようだ。
ま、それでも口に出しては誉めないけどな!
当初の想定よりも遥かに動ける弟子に対して、それでと俺は決して誉め言葉を放ったりはしない。
無論、それは調子に乗ったミリアの絡みがウザくなるからである。
加えて言うなら、調子に乗ったときこそミリアはとんでもないポカをやらかすので、できれば誉めるのは魔界から抜けた後にしておきたかった。魔界では、同行者のヘマは必然的に自分にも降りかかってくるものだからだ。それを知っていて、あえて同行者を誉めるほど俺はマゾではない。
……とりあえずは、ダメ出し材料でも集めておくか。
誉めることができないなら、師匠として俺ができることと言えばミリアにダメ出しすることぐらいだ。
ミリアにはもっと早く成長してもらわなければならないし、そのためには徹底的に隙を潰していく必要がある。いくら長所を研こうとも、戦場で隙を突かれれば人は死ぬのだ。
そんな訳で、俺は再び跳びかかってきた一匹の灰狼をスクラマサクスで力任せに両断して、ミリアの方を注視する。
それにしても、3日間の戦闘であんまりダメ出しすることがなくなったな……。なんかミリアの癖に生意気だな。まぁ、いいんだけどさー。なんだかなぁー。
実際、本当にミリアはよくやっていると思う。戦いの度にダメ出しを受けては「へぎょー!?」などと奇怪な叫び声を上げて凹みながらも、次の戦闘ではすぐにそれを修正してくる。何だかんだでこちらの指導を受け入れる根の素直さがある。
新米悪魔狩りがよく陥りがちなミスとして、少し力が付き始めた頃に、自分の力を過信しすぎて周りの忠告を聞かず、実力以上の振る舞いをして窮地に陥ってしまうことがよくある。雑魚ばかり狩っていて、自分が強いと勘違いしてしまうのだ。
その点、ミリアは多少調子に乗ることはあるものの、決して身の丈に合わない大物を狙いに行くような愚は犯さない。こちらの指示をしっかりと守って、例え相手が格下の魔物であろうとも雑に戦ったり、リスクを犯して冒険することはほぼない。
丁寧に、堅実に戦うことは悪魔狩りとして長生きするコツだ。故に、ミリアは俺のような一流の指導者の下でなら、時間はかかるが十分に通用する悪魔狩りに育つはずだ。
ただ、今はその時間が惜しいんだよなぁ。マジで、めんどくさいがしゃーないか……。
俺とミリアを待つ未来は中々にハードだ。
そういう道を選んだ、というよりは選ばざるを得なかった。
しかも最悪なことにその未来は向こうから勝手にこちらに向かってくるのだから性質が悪い。せめて、こちらから進むタイミングを決めさせてくれと言いたいが、ぼやいて未来が変わるわけでもないのでどうしようもない。
今はとにかく粛々と、ミリアに未来へ立ち向かうだけの力をつけるより他はないのだ。
そんなことを考えつつ、俺が「もっと早く獲物を処理しろ」とミリアを叱咤激励しようとしたそのとき。
それは起こった。
「……っ!?」
突如、粘度の高い液体のなかに突き落とされたような不快感を覚え、俺は辺りを見回した。魔界では、障気の濃い《魔力溜まり》と呼ばれる場所で、しばしばこのような感覚に陥ることがある。そんな場所では他よりも強い魔物が湧く、所謂《変異湧き》が起こることがあるため警戒する必要がある。
しかし、これは違う。
……見られている。どこからだ?
《魔力溜まり》で感じる息苦しさは、受動的なものだ。だから、そこを離れれば息苦しさも消える。しかし、今の俺が感じているそれは能動的なそれだ。例え、俺がここを離れたとしてもこの感覚は付きまとってくるだろう。
つまり、それは明確な悪意を持った何者かの手による殺気。「一寸でも隙を見せればお前を殺す」というメッセージに他ならない。
……少なくとも、この殺気を放っている奴は、今相手している魔物程度の雑魚なんかじゃない。こいつには、《《殺しを愉しむだけの余裕がある》》。
通常、狩りをするなら獲物には極力気付かれない方がいい。
万が一、獲物に気付かれてもいいとするなら、それは不意をついて獲物の前に現れ、獲物が硬直する一瞬を狙って仕留める場合か、あるいは相方がいて、そちらの方へと獲物を誘導する場合だ。「獲物を狩る」という核心的な行為をするときにしか、基本的に狩人は獲物の前に姿を晒さない。
だが、こいつはこれだけの殺気を放ちながら、仕掛けてくる気配が微塵もない。あるいは、今戦闘中の魔物と連携するのかとも考えたが、それにしても初動が遅すぎる。
まるでそれは、「殺気を放って、こちらが動揺するのを見て楽しんでいる」ような動きだった。
「たぁ! ……っ!? ア、アッシュさん……これは!?」
戦闘に気をとられていたミリアも、どうやらそれに気づいたようで、忙しなく辺りをキョロキョロと窺い始める。
「落ち着けミリア。お前は目の前の敵に集中してろ。向こうが仕掛けてこない以上、驚異度は目の前の魔物の方が高い。こいつは俺が探る。その間に残った魔物は片付けとけよ。できてなかったら説教だからな」
「は、はい!」
戦場では心の平衡を失った者から死んでいく。
俺は努めて冷静な声色でミリアに指示を出す。こういうときの新人には、行動に選択肢を与えない方がいい動きをする。
ミリアが再び魔物と対峙し始めたのを確かめてから、軽く目を閉じる。一瞬の静寂の後、俺は自分の《加護》を発動した。
「……そっちか。すぐに行くからせいぜい震えて待ってろ」
俺が持つ《身体強化》の《加護》が増幅するのは、なにも筋力だけではない。聴力や視覚を司る感覚器官や、あるいは「虫の知らせ」のような第六感すらも拡張してくれる。
そうして増幅された俺の感覚は、俺に向けられた殺気、その先に紐付けされたそいつの気配を掴んでいた。
「ふっ……!」
鋭く短い呼吸で、地面を蹴る。恐らく、蹴った地面は陥没しているだろう。
一瞬でトップスピードに乗った俺は、魔界の森の中を文字通り「飛ぶように」走った。行く手を遮る木の枝や蔦は、俺の肉体に耐えきれず千切れ飛び、それでも行く手を阻もうとする太い枝や幹は、超人的な筋力によって振り回されるスクラマサクスが残らず刈り取っていく。今の俺はまさに放たれた砲弾そのものだ。
そして、そいつも俺の接近に気付いたのか、駆け出してすぐに俺と結ばれていた殺気の糸が急にほどけ始める。
急速におぼろ気になっていくそれに、俺の感覚はそれでも食らいついていく。
……問題ない。このままほどけきる前に辿れる。
そう思いながら、木の幹を足場に、幹がしなる反動で体を打ち出して、そいつに向かって最接近しようとしたそのとき。
「……!? 糸が消えた……?」
俺とそいつを結びつけていた殺気の糸が突然なくなった。
ほどけたわけではない。まさに唐突に、糸がすっぱりと切断されてしまったのだ。しかも、千切れた糸の残滓すらも残さなかったため、これ以上辿ることは不可能だ。
「ちっ……何だったんだ一体……」
先ほどまでとは別の不快感を覚え、俺は思わず舌打ちする。
消えた気配の主は、恐らく高位の、少なくとも深度6以降の魔界に出るレベルの魔物か、あるいは悪魔の可能性が非常に高い。この逃走の見事さは、明らかに高度な知性がないとできない芸当だ。
しかし、そんな奴が一体、何の目的でこのような接触を図ってきたのかが分からない。まるでこちらの反応を窺うか、あるいは自分の存在を誇示するだけのような行為。その意図が分からず、それが拭い去れないわだかまりとなって胸の内に残る。
「……これから仕掛けにいくというアピールか? しかし、それなら俺たちがここから去ったら意味がない。なら、俺をここから遠ざけたかったのか? それなら、目的に対して手段のリスクが高すぎる。……駄目だな、分からん」
様々な推測を巡らせてはみるものの、手持ちの材料では判断は付きそうにない。憶測で論を進めすぎるのも思わぬところで墓穴を掘る可能性がある。
幸いにも、これは結論を急ぐ話題ではない。こんなときは保留の一手だ。
「とにかく、ここの魔界からは早く出た方がいいな。ギルドの依頼も達成してるし、同業者に声をかけたらさっさと撤退だ」
奴がこの魔界の主的な存在であれば、ここから抜け出すだけで問題は解決だ。今後襲撃されるリスクを鑑みても、なるべく早くミリアと合流してここを出るべきだろう。
そう判断を下した俺は、迷うことなく来た道を辿ってミリアの下へと戻った。
元の場所に戻ると、そこでは先ほどの件で動揺したのか、明らかに精細を欠いた動きをしているミリアが、剣を振り回しながら二匹の殺人蜂と泥仕合を繰り広げていた。
俺は無言でミリアの側に歩み寄ると、スクラマサクスの一閃で殺人蜂を一瞬で屠り、今度は手刀を一閃ミリアの脳天にお見舞いした。
それから、キャンプに戻る道すがら、「この程度のことで平常心を失うな」ということを、両手で頭を押さえたミリアが涙目になるまで懇々と説き、キャンプに戻ってからは、周囲に後からキャンプを張っていた(魔物を避ける《忌避の香》を効果的に運用するために、複数のパーティがキャンプを共有するのはよくあることだ)パーティたちに、「かなり強力な《変異湧き》の魔物か、悪魔が湧いた可能性がある」ことを告げた。
すると、他のパーティもリスクを避けて撤退することを選んだので、俺たちは互いに周囲を警戒しながら魔界を後にすることになった。
結局、俺たちに殺気を放ってきたそいつは、その後は一切こちらにアクションを仕掛けてくることはなかった。そのことが更に俺の胸の内に深い靄となって残ったのだった。
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