第3話 令嬢の食改革
「レーナ、傷が治るまではまだ大公家に居てもいい、という許可がでた。まずはゆっくり傷を治してくれ」
「はい父上、ご配慮痛み入ります」
聖女に危害を加えた罪で、身分はく奪と大公家追放を言い渡されたレーナだったが、腹切りの傷が癒える
までは大公家にいることを認める、という温情判決が下された。なかなか傷が治らないという理由でそのまま
大公家にずるずるを居続ける、ということもできたのだが、前世を思い出した彼女はもちろんそんな姑息な
ことは一かけらも考えていない。傷が治り次第大公家を飛び出して、新しい道へ踏み出す気満々なので
あった。
「・・・・・・」
「どうしたのレーナ、食欲がないの」
「いえ、そういう訳では、、、、」
フローレス家では、残り少ないレーナとの家族として過ごせる日々を、精一杯楽しもうとしていた。食事も
その例に洩れない。大公家の財をもって最高の食材で毎食レーナにご馳走を振る舞っていたのだった。
しかし、その肝心のレーナは何だかそれが口に合わないようだ。それがまた、家族の心配を増幅させて
しまう。これが口に合わないようでは、平民として暮らしていくことができないでのでないかと。
「レーナ、平民の食事はこれよりはるかに質素なものだ。これがだめなら今後、相当苦労するぞ、、、」
「い、いえ、父上、違うのです、、、むしろ豪華すぎて食べられないというか、、、、」
「「「ええっ!」」」
「何と言いますか、、、脂っこすぎて胃が受け付けないのです。正直に申し上げて、麦粥に塩を振っただけ
の方が、今の自分の口には合うと言いますか、、、、」
「「「・・・・・・」」」
レーナの言葉に大公家の面々は沈黙してしまった。しかし、これは前世を思い出してしまった彼女には
仕方のないことであった。ここの料理は確かに高価な食材を使った贅を尽くしたものだが、ただそれだけだ。
バターなども多用しており、今のレーナの口には単に脂っこい、という感想しかなかったのだ。
「レーナ、、、私たちはあなたを喜ばせようとしたのに、それは逆だったのね、、、、」
涙ぐむ母の姿を見てレーナは、自分の過ちに気がついてしまった。両親は平民に落とされる自分を、最後
の瞬間までできるだけ愛情を注いでくれているのだと、この料理もその一環なのだと。口に合わなかろうが
美味しそうに食べるべきだったのだ。彼女は床に平伏し、土下座して涙ながらに詫びを入れるのであった。
「父上、母上、このレーナまたも思い違いをしておりました! お二人の心遣いを無下にしてしまったこの罪、
命をもってお詫びいたします!」
そうしてまたもやナイフで腹を斬ろうとするレーナを、一同は慌てて止めるのであった。
「レーナよ、、、そう簡単に腹を斬ろうとするな。この父は娘の自害なぞ目にしたくないのだぞ」
「真に申し訳なく、、、、」
レーナが落ち着いた頃合いを見計らって、父ケリーが彼女の前世について質問をする。それは料理の
ことだった。
「それでは、ニホンという国は我が王国よりもはるかに食文化が進んだ国だったと、、、」
「はい父上、もし日本の一般市民、こちらでいう平民が王城の晩さん会で出る料理を食べたとしたら、
私と同じような感想しか出ないでしょう」
「そこまでの差があるのか、、、、」
レーナが前世長く暮らした日本は、地球世界でも有数の食文化が進んだ国だ。素材の持つ味を引き出したり、
昆布などから”出汁”といううまみを抽出する技法などは、ケリーたちの理解を越えた食文化であった。
彼も親バカなところはあるが、大公家の当主として優れた手腕を持つ貴族である。しばし考えた末、彼は
レーナにある提案をするのだ。
「ふむ、、、レーナよ、良ければそのニホンとやらの食文化、我が家の料理人たちに伝えることは可能かな」
「しかし父上、私は前世でも料理人ではありません。おおまかなレシピくらいしかわかりませんよ」
「かまわない、後は彼らに工夫してもらうからな」
そして、レーナの日本食講義が始まったのであった。
「レ、レーナお嬢様、、、、本当にこの魚を料理するのですか」
「レーナよ、さすがにこれは無理だと思うぞ、、、、」
レーナが探してきた食材を目の前にした料理長とケリーは、思わず絶句してしまった。ちなみに母はそれを
見るやいなや、悲鳴を上げて逃げ出してしまったのだ。
その魚はこの世界ツーロンではとても食べられたものじゃない、と認識されていた。しかし、レーナはそれ
が前世ではご馳走だったことを知っている。その魚とは、日本人が目の色を変えるほどのものであった。
その名を”うなぎ”という。
「こんな蛇のような魚がご馳走とは、、、信じられん」
「父上、日本の調理法ならこれはご馳走に変わるのです」
幸いこの世界にも、醤油や味噌、みりんに類似した調味料は存在していた。遠い国からの輸入品のため
高価ではあるが、大公家の財力なら揃えることが可能だ。製造法もおぼろげながらレーナの前世の記憶
に残っている。後は料理人たちの腕と工夫に期待である。
「まず、目打ちをしてからうなぎをさばきます。それから串に打って、、、、」
レーナは記憶に残る限りのうなぎの調理法を、大公家の料理人たちに伝えた。特に蒸して余分な脂を
落とし、タレをつけて照り焼きにする技法は彼らにも驚きの連続であったのだ。
「これはうなぎだけではなく、他の魚や肉料理にも応用できるからな。後はそなたらの創意工夫で何とか
ものにしてくれよ」
「かしこまりました」
そして、この世界初のうなぎの蒲焼が完成したのである。早速試食をする大公家の家族や料理人たちは、
一口目で目を見開いてしまう。まさか、あのゲテモノのうなぎがこんなにふんわりパリッとした食感になるとは
思わなかったからだ。
「むうっ、、、これは、なんとも香ばしい味わいであることよ」
「この”タレ”というソースとの相性も抜群ですな」
ケリーや料理長たちはこの世界初のうなぎの蒲焼に舌鼓をうっている。レーナも口にしてみたが、初めての
調理にしてはまずまずといった評価であった。もちろん、日本の専門店に比べればまだ遠く及ばないが、
それはこれから大公家の料理人たちの努力で、差を詰めてもらうことにする。
「レーナお嬢様、他にもニホンのレシピがあるようでございますね。ぜひ私どもにご教授をお願いいたします」
「うむ、私の知る限りのレシピは残しておこう」
こうして、レーナは和食、洋食、中華などの覚えている限りのレシピをノートに書き留めて渡した。カレーなど
スパイスの調合が必要なものは、そう簡単に再現できないだろう。これは今後の料理人たちに期待である。
「この”トンカツ”なら、今ある食材で再現可能だな」
「はい、さっそく調理してみましょう」
豚肉はこの世界でも一般的な食材だ。それにレーナも前世で何度もとんかつは手作りしたことがある。
油の温度や揚げる時間なども完璧に覚えていたことも幸いし、これは日本のものとそん色ない出来栄え
となった。
「おおっ、これは脂っこいかと思いきや、サクっとした食感であるな」
「ええ、これが平民の食べ物とは、にわかに信じられませんよ。不敬ながら王城の晩さん会でもこれほどの
肉料理は出ませんね、、、、」
ケリーや料理人たちは、自分達よりもはるかに進んだ日本の食文化に思いを馳せる。
「私も、ニホンで修業してみたかったですなあ、、、」
「料理長よ、これはニホンを始め地球世界各国の先人たちが、長い歴史の中で努力を積み重ねて実現
したレシピなのだ。これを元に、今度はそなた達がプリエール王国、いや、この世界ツーロンで食の先達
となるよう努力してほしい。これが、今まで迷惑をかけた私のせめてもの罪滅ぼしだ」
「はいお嬢様、、、、そのお気持ちしかと、、、しかと承りました、、、」
料理長は涙を流しながらレーナに答える。後に彼らは王国の優秀な料理人たちと共同で、レシピの再現
に挑むことになる。王国府もこの重要性を認識し、全面的にバックアップした。そして後世、レーナの書き
記した”大公家のレシピ”は、ツーロンに食の革命をもたらした聖典として、国宝に指定され神殿で大事に
保管されることになったのである。