95 これは偶然です
結からの爆弾発言は、冗談なのかそうではないのか判断に迷う。当の本人はポーカーフェイスであるため、判断に困った楓は眉を顰めた。楓のその難しい顔を一見しても、結は自身の表情を崩さない。
夕月の事で相談を持ちかけたのは楓からであるため、何か理由があるのは察しているものの、どうもその真意は掴めそうにもない。
爽やかな風に揺らさせた綺麗な髪は、結の気分を表しているかのようにサラサラと揺れている。
結があまりにも堂々としているため、悩んでいるのも馬鹿らしくなってしまいそうだ。
「まぁ、たまにはいいか。長く付き合っていく相棒なんだしな」
「神代くんか思考の切り替えが早くていいですね。話が早くて助かります」
「助かるのは俺なんだろ? この茶番にも意味があるんだろ?」
「茶番とはなかなか言ってくれますね。まぁ意味はあります」
楓の皮肉に結は楽しそうに笑う。口元に指をあてながら上品に笑う様は、普段の結とはあまりに違っていてドキッとしまいそうだ。現に先程からすれ違う男性陣は、結の顔を見ては少しビックリしたように惚けている。
(ま、相手が俺じゃなきゃ骨抜きかもな)
夕月という彼女がいなければ、楓でさえ惹かれていたかもしれない――。一瞬そう思ったが、すぐに考え直した。
そもそも今の楓を作ったのは、ある意味夕月の力が大きい。夕月と出会っていなければ、きっと楓は一人でボクシングに没頭していただろう。明との思い出を唯一の糧にたった一人で。夕月を暗闇から強引に引っ張りあげたのは楓であるが、その楓もまた夕月に救われている。
目の前の結と、頭の中で思い出した夕月を重ねていく。少し間を置いて、楓は抑えきれずに笑顔を零した。
「どうかしましたか? 楽しそうですね」
「いや、俺はあいつが大事なんだな、ってな」
「……デートの相手が目の前にいて、早速惚気ですか」
そう話す結はどこか楽しそうだ。二人とも笑顔になりながらショッピングモールを物色していく。
本屋に行って、ゲームセンターに行って、服を見て。雑貨屋で「ちょうどマグカップが欲しかったんです」と結が見繕っている間、隣で楓は考えていた。
(……)
あまりに静かな楓の様子に、結は少し困ったように笑う。
「何を考えてますか?」
「ん? ……あぁ悪い」
「言い当ててみましょうか?」
人差し指を自信満々に目の前に翳しながら、結は楓の返答を待たずに話し始める。
「本屋に行っても、ゲームセンターに行っても、服を一緒に見ていても。そしてこうして雑貨屋にいる今でも。あなたは隣に夕月さんがいるのを想像したでしょう?」
「……」
「彼女の言葉、行動、表情。……絶えず浮かんでいたのではないですか?」
「…………まぁな」
反論の余地などなく、全て結の言う通りだった。結の隣を歩いていながら、実際に考えているのは夕月の事で「夕月なら怒るな」、「夕月なら喜びそうだな」などと、そんな事ばかりが頭に浮かんでくる。
考えていたら無性に会いたくなった。
「いますよ」
「は?」
「夕月さん達も今日ここにいます。響さんと相談して、本当は終わるまで黙っているつもりでしたが」
「そうか」
「私はあくまで神代くんの味方です。夕月さんに嫉妬させるために頑張ってみました。今日これから偶然に夕月さん達と遭遇します。それが計画の一部です」
「そうなのか」
「はい。もう一つサプライズがありますが、きっと神代くんには効果は薄いでしょう。響さんは効果があると言っていましたが、私はそうは思いません」
話についていけなくなった楓は、話を進めようとする結は制止して頭を整理していく。
全ては響と結の企みだった。結の言動から、夕月に嫉妬させるために楓と結がデートしている様子を見せつける、これはわかった。とすれば響サイドも同じ事を考えているはずだ。
――夕月が他の男とデートしている様子を楓に見せる。
楓が察したのがわかったのか、結はじっと顔を見つめながら首を縦に振る。
「……なるほどな。響が考えそうだ。くだらない」
「まぁそう言わないでください。夕月さんも響さんも本気なんですから」
結は少し困ったように眉尻を下げた。その表情から、今こうして楓に暴露するのは計画外という事がわかった。
――ではなぜこのタイミングで楓に伝えたのか。
夕月と他の男が一緒にいる姿を楓に見せて、嫉妬心を煽るのが目的だっただろう。ついでに楓と結の姿も見せつける、という目的もあっただろうが。それはあくまでついでだ。
結の真意がどうにも見えてこない。そんな楓の思考を先読みするかのように、結が説明を加えていく。
「神代くんには、逆効果になりそうな気がしたんです」
「どういう意味だ?」
「神代くんは夕月さんの事が大好きなのでしょう。それは見ていればわかります。きっと他の誰にも渡すつもりもないのでしょう」
「それもわかります」とゆっくりとした口調で足していく。
「夕月さんが他の男性と楽しそうにしている姿を見て、神代くんがどう思うのか。考えすぎかもしれませんが、響さんは少し軽率な気がしました」
「どういう事だ?」
「夕月さんが幸せなら、相手は自分じゃなくてもいいのではないか? もしかしすると神代くんはこのように考えてしまうのではないか、私はそう思いました」
「……そうか」
「ですから響さんには悪いですが、暴露させていただきました。夕月さんのお相手は男装をした女の子です」
「そうなのか」
「半日ですが、私と一緒にいてよくわかったでしょう? 神代くんは夕月さんじゃないとダメなんです。それが理解できたら充分だと思いました」
結は今日一番のとびきりの笑顔を作る。楓の目の前に立つと、肩幅ほどに脚を広げファイティングポーズをとる。軽く振った左ジャブは楓の掌に当たり、「パンッ!」と気持ちのいい音が鳴る。
軽い拳のはずなのに重い気がした。しっくりと馴染んだファイティングポーズは、駿河結という女性がどれだけボクシングに懸けてきたのか――。その一端が垣間見えた気がした。
「これは貸しです。次は私を手伝ってくださいね?」
「慧との事か?」
「はい。そうです」
「割に合わないだろう」と思いながらも、笑顔でジャブを打ってくる結の顔を見てしまっては、楓は苦笑いしながらも頷くしかなかった。
◇ ◇ ◇
「で、あのファミレスで偶然に夕月達と会うんだな?」
「はい」
時刻は十三時半。若干昼のピークを過ぎたせいか、客はあまり多くはないようで、空席もちらほらと確認できる。
どうやら結の話だと、ここで夕月達と会う計画らしい。もっとも夕月には、楓は陽と一緒だと伝えているようで、結がいることは伝えていない。
端的に言うと、知らないのは夕月だけである。
「さて、んじゃ行くか」
「はい。夕月さんの反応が楽しみです」
結はニヤニヤしている。実に悪そうな表情だ。
店内に入ると、早速夕月らしき後ろ姿が確認できた。入り口方向には背を向けた形で、男(女)と向かい合って座っている。
店員に席を案内されたものの、結が「あそこの席でもいいですか?」と夕月達の隣のブースを指差す。それほど混んでいないので、店員は快く了承してくれた。
楓はゆっくりと夕月の背後まで歩いていくと、トントンお軽く肩を叩く。
「よう夕月、奇遇だな」
「……か……楓……偶然」
「なにが偶然だよ馬鹿野郎が」と内心で思いつつ、通路を挟んだ隣の席に腰掛ける。テーブルを挟んで対面には結が座った。
「これは夕月さん。偶然ですね」
「……え…………え……あれ? 藍原さん……じゃ?」
楓はというと、そんな二人のやりとりを適度にスルーしつつ、早速メニューを広げていた。
「今日は神代くんとデートでして」
「…………楓!」
ジムで見る姿とは違い、明らかにデート仕様の気合いの入った結の姿を見を見て、夕月は限界まで頬を膨らませて楓に抗議する。
「……楓!」
「あぁ、このボタンか。腹減ったしがっつりいくかな」
「……むー!!」
「どうした夕月、おまえもその人とデートじゃねえのか?」
「……」
夕月は少し考えると、あっさりと暴露し始めた。結の存在が相当効いたらしい。
「……クラスの……お友達」
「ん? 男か?」
「……女の子」
「はは、夕月さん。バラすの早いって」
夕月がそう言ったのを聞いて、夕月の対面に座っている人物は自己紹介を始めた。
「はじめまして青柳凪です。夕月さんと同じクラスです。……なんか神代さんには全てバレてるみたいですね。ははは」
力なく笑った凪を見て、楓はただ頷く。
「ま、そういう事だ。残念だったな、あのゴリラ女とお前の計画は終わりだ」
「……むぅ」
「そんな事より」と夕月は無理矢理楓の隣に座ると、腕にしがみつきながら猛抗議してくる。
「狭いんだよ! そっち戻れ!」
「……浮気!!」
「は?」
「……結さんと……私服だし……髪も」
楓と夕月のやり取りを、結と凪はニヤニヤと眺めている。そう、結はこのやり取りを見たかったのだ。
「浮気なんかしねぇよ。アホか」
「…………許さぬ」
「って、なんだよ! おい! やめろ!!」
周囲の視線などおかまいなしで、夕月は全力で楓に抱き着く。結を睨みながら「楓は私の!」と威嚇している。
あまりに怖さのない威嚇であったため、結は気にせずニコニコとメニューを眺めていた。




