93 それぞれの思惑
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響との一悶着を終えた楓は、憎まれ口を叩きながらも響の講釈の意味を考えていた。表面上は興味ないふりをしてみても心は正直だ。一度気に掛かってしまうと小さな棘が刺さったようで気持ち悪い。スルーしようと思えば思う程に考えてしまっているという矛盾。
――今回は響と陽は頼れない。奴らは敵だ。
陽に関しては完全にとばっちりであるが、それも陽というキャラクター、諦めるほかない。
色々と考えていくと、夕月を喜ばせる手段は実際には様々思い付くのだが、それは普段から実行している事ばかりであって、「特別喜んでくれるか」と考えてみるとどうも腑に落ちない。
沸騰しそうな程頭をフル回転させるが、残念ながら思い付かないようで、結局はまた睡魔に襲われるという繰り返しとなった。その度に響に皮肉を言われるのは堪ったものではない。
とはいえ、他人のために何かを考えるというだけで、楓にとっては大きすぎる進歩だ。以前の楓からは考えられないぐらいの変貌ぶりである。
(響&陽の息が掛かっていなくて、頼れそうな人物……。あぁ、適任が一人いたな)
結局は、何度考えてみてもいい案は思い浮かばなかったため、他者の力を借りる事にした。「そもそも女の思考なんてわかる訳ねぇだろうが」という開き直りの末の帰結である。
「くしゅん! ……風邪ひいたかしら。気持ちが緩んでるわね」
店内の服を綺麗にたたみ直しながら、結は突然の悪寒を風邪のせいだと結論付けた。
◇ ◇ ◇
「さて、貴様は何でここに呼ばれたかわかっているか?」
放課後の生徒指導室であずみと向かい合った楓は、悪びれる様子もなく、欠伸をしながら明後日の方向を見ている。
秋色も強まり、最近は日の入りも早くなってきた。逆光のせいかあずみの表情は確認できないが、きっと呆れているのだろう、それぐらいはさすがの楓でもわかる。
(ま、今日は派手に寝落ちたしな。素直に怒られてやるか)
「すいませんでした」
「ほう。いきなり謝罪とは神代にしては珍しいな」
「このほうが手っ取り早いですしね」
「少しは心の声を隠す努力をしろ。はぁ……まったく。馬鹿者が」
どこか諦めたように小さく息を漏らしたあずみは、自らの額に手を当てながら「どうしたものか」と狼狽している。
場に沈黙が訪れる――。だが、それも時間にして数分。
「仕方のない奴だ」とクスりと笑いながら口を開いたあずみの表情は柔らかい。もともと本気で説教をするために生徒指導室へ呼び出したわけではない。
あずみは只々嬉しい。こうしてこの部屋に足を踏み入れる度に、楓は人としての成長が見て取れる。教師としてこれほど幸せな事があるだろうか。
他の生徒に比べると、介入しすぎている事はあずみとて自覚している。だが神代楓という人間のスケールの大きさ、そして他の生徒とは明らかに毛並が違う。才能に溢れ、それでいて決して慢心せずに真っ直ぐに努力する。
――努力できる事も才能なのだ。
大きく眩いばかりの可能性の塊である。それを前にして高揚するなというのが無理な話だ。教師という職業なら尚更だ。
だから期待もするし介入もする。無論、教師と生徒という一線はきっちりと引くが。
なんにせよ、こうして二人で話している時間は、あずみにとって心地良いものだった。
「ボクシングのほうはどうだ? 二年になったらすぐにプロテストを受けるのだろう?」
「順調……だと思います。小姑みたいにうるさいトレーナーに目を付けられました」
「ほう。それはいい事じゃないか」
「まぁ確かにいい事かもしれませんね。弱点だらけだと正面から言われましたよ」
「ははっ!! それはいい!! お前が弱点だらけか!!」
「ま、さっさと克服して黙らせてやりますよ」
「そうだな。見返してやれ」
ボクシング談義も終わりを迎える頃になって、楓は思い出したように「あ」と小さく溢した。
「旦那さんとのツーショット、必要ですか?」
夕月とのデートの時に撮った(盗撮した)写真の話である。バッチリと夕月のスマホに保存されている。
「な、ななななんで!! 撮っていたのか!? 見せろ! そしてすぐに削除しろ!」
「そう言われても俺はスマホなんて持ってないですよ。夕月のスマホです。まぁ夕月も消すつもりはないでしょう」
「ぐっ……なんて事だ」
「普段と違って乙女なあずみ先生は、とても魅力的でしたね」
「セリフと表情が合っていないぞ! その顔を止めろ!」
あずみの弱みを握った楓は、「これは何かあった時の切り札だな」と心の中でほくそ笑んだ。
◇ ◇ ◇
響は今、夕月の教室へと向かっているところだ。要件は一つ。神代楓の事だ。
楓と言い合いをした結果、響は確信した。
(あいつ、自分で考えるの諦めたわね)
伊達に長い付き合いではないので、ある程度は楓の考えている事が理解できてしまう。腐れ縁なのでそれも仕方のない事だろう。
話していても埒が明かないと思った響は、夕月と作戦会議をする事にした。
夕月の教室に着いた響は、一切遠慮する事なく室内へ足を踏み入れる。夕月以外にこのクラスに友人がいる訳でもないのに、躊躇なく歩を進める。
歩いているだけで周囲の目を惹く美少女は夕月だけではない。響も夕月に負けず劣らずの美人なのだ。他クラスで、しかも多くの視線を集めながらも、それでも響はまったく気にしない様子である。真っ直ぐに夕月へと近付いていく。
「やっほー! 夕月ちゃん!」
「……あ……響ちゃん」
「楓の事で作戦会議に来ちゃった。……あれ、そちらの方はお友達?」
「……うん……そうだよ?」
「わ! 響さんですよね? 夕月さんと二人でいると壮観ですね!」
「そんな事ないよ。夕月ちゃんは確かに超可愛いけどね。私はそんなに。……というか、あなた……へぇ……これはこれは」
夕月が話していた人物を見て、響は悪巧みを思い付いたのか妖しく笑う。唇に指を当てながら吟味している。
「ねぇ、夕月ちゃん」
「……なに?」
「私ね、いい事思い付いちゃった。これはいける気がする。あのボクシングバカでも」
「……おぉ」
夕月の友人を含めて、その内容を説明していく。「きっと今なら上手くいく」という自信があった。
一通り響が説明し終えると、夕月とその友人は「なるほど」と頷いている。
「……やってみたい……でも」
「夕月さん、いいですよ手伝いますよ! 友達じゃないですか! というか楽しそう」
「…………いいの?」
「勿論! がんばりますね!」
「……ありがとう!」
「これは楽しい事になりそうだ」と上機嫌に響は笑う。
◇ ◇ ◇
ジムの皆が帰り支度を始める時間に、楓と結はリングへと上がる。タイトルマッチや前哨戦を控えている者がおり、練習生がリングを使用するのはさすがに心苦しい。楓なりの精一杯の気遣いであった。
リングの上で練習している二人の姿は、やはり他者の目を否応なく惹きつける。帰り支度をしながら他の面々はリングに注目しており、メキメキと力をつけている楓の姿を興味深く眺めている。
「左が遅い! 余計な力を抜く! 何度言えば分かるんですか!! 足も止まってますよ、真面目にやってるんですか!?」
「くそっ!!」
「右!!」
力を振り絞った楓の右ストレートを結は両手で受け止める。形容しがたい重い打撃音が室内に鳴り響く。
結は大きく目を見開く。
疲労困憊な状態でリングに上げたのは結の考えだった。今の段階ではひたすらに基礎体力の向上、これが何よりも優先される。そして、敢えて疲労が溜まった段階でリングに上げる。
一番きつい時に培ったものが本番での力となるからだ。練習生の練習内容ではない。遠く見据えた先にはあくまで世界だ。
(それにしても……)
楓の右ストレートを受けた手がビリビリと震えている。疲労困憊の状態なのにこの威力――。喜びたい、そして叫びたい気持ちを必死に抑える。
(成果は出ているわ。まずは新人王)
日々物凄い速度で進化している楓に、それでも結は手放しで褒めたりはしない。現段階で日本ランカーの実力は間違いなくある、チャンピオンですら余裕で射程圏内だ。
だが、神代楓という大器ならそれは必然、この程度で満足してもらっては困るのだ。
(神代くんがベルトを取れなかったらそれは私の責任だわ)
手元のタオルで額の汗を拭いながら再度決意する。
「まだまだですね。パンチが芯をはずしています。スタミナ不足です。もっと真面目に走ってください」
「ぐっ……好き勝手言いやがって!」
「え? まさかこの程度で満足しているのですか? 笑えませんよ?」
「いい性格してるな!! 見てろよ!? いずれそのミッドぶっ飛ばしてやるからな!」
「ふふ、楽しみにしています」
「そういえば」と結は室内をキョロキョロと見渡す。
「今日は夕月さんはいないのですね」
「あぁ、なんか用事があるらしい。響と一緒に帰った」
「へぇ、そうですか」
最近は夕月も頻繁にジムに顔を出しており、いないと何か物足りないという空気すら漂う。ジムの連中のやる気を上げる起爆剤のようなものか、あるいはマスコット的なものかもしれない。
楓が来た時に夕月が隣にいないと、あからさまに気を落とす連中の多いこと多いこと。まぁ、そんな様子をニヤニヤと眺めている楓も大概に性格が悪いが。
練習を終えて帰り支度をしながら楓は結に話し掛ける。少し言いづらいが、もはやなりふり構っていられない。
「あー、ちょっといいか?」
「はい? なんでしょうか?」
「途中まで一緒に帰らねぇか? 相談がある」
意外な楓の申し出に結は少し考える。
「ボクシングの事ですか? それならここでいいでしょう?」
「ボクシングは今回は関係ない」
「…………浮気はよくないですよ?」
「は?」
「ふふっ、冗談ですよ。あんな可愛い彼女がいて他に目がいく訳ありませんからね」
「おまえも相当な美人だろうが」
「それはありがとうございます。まぁいいですよ、私で力になれるかはわかりませんが」
「悪いな」
「いえ」と短く一言だけ返すと、楓と結はジムから出た。




