91 ゆづきちゃん
文化祭前日早朝ーー。
最近は、お祭り前のような妙にそわそわした雰囲気が学校全体に漂っているが、それさえも楓には関係のない事であった。
言われるまでもなく文化祭準備は手伝っていたが、正直なところ楓の中ではあくまでボクシングが優先されていた。
結と共に練習していると、まるで催促されているかのようにすら感じる。自分を律してここまで来た楓にとっては、それは未知の感覚であった。
「よし、じゃあタイム測ってくれ」
「……任せよ」
早朝のロードワークに付き合ってくれている夕月は、楓にそう言われると手元のストップウォッチを構える。
夕月の合図でスタートしようと構えているわけだが……。
「……」
「どうした?」
今朝の夕月はずっとこの調子だ。ぼーっとしているというか、何か考え事をしているように見える。心当たりがあればいいのだが、あいにく楓には全くわからない。
「……ごめん……はい……スタート!」
「よし!」
間隔を置きながら短距離ダッシュを10本ほど終えると、クールダウンも兼ねて自宅へと戻る。夕月は自転車で並走しているが、その表情は相変わらず何かを考えているように思える。
モヤモヤしたままなのも気持ちが悪い。ストレートに聞く事にした。
「何か悩みでもあんのか? それとも俺が何かやらかしたか?」
「……違う!」
「だったらどうした? 言ってくれなきゃわからねぇぞ」
夕月は少し考えるような素振りを見せた後、両頬を膨らませて楓を睨む。
(なんで睨んでんだよ)
睨まれたところで心当たりはない。だがどうやら楓に関わる事だというのは察した。沈黙したまま夕月の出方を伺う。
小さく溜息を一つ零した後、話し始めた。
「……最近……深刻に……モテる」
「は? おまえにとってモテるのは日常茶飯事だろうが」
「……私じゃなく……楓」
「何言ってんだ? 意味わかんねぇぞ」
「……むー!!」
どうやら夕月の説明によると、一週間前の燕尾服の試着が原因らしい。元の素材が悪くないため、燕尾服を試着した楓はかなり注目を集めていたようだ。
長身である事もあり、クラスの男子の中でも相当人気があったとの事である。
陽が光であるなら、楓は影。
どこか危なげな雰囲気は、女子連中には堪らない魅力として映るらしい。楓本人にその自覚はないが、周りで見ている者は誰だって気付く。夕月も勿論一瞬で全てを理解した。
楓に限って他の女子に目移りするなどあり得ないが、それでも心配事は尽きない。夕月の悩みはまさにここであった。
ーーカッコいい楓を自慢したい! でも見せたくない。
夕月の心の中はこの思考が延々と巡っている。「コスプレはやめて!」と言うわけにもいかず途方に暮れていた。
「なるほどな、考えすぎだろ」
「……楓は……全然……わかってない」
「俺からするとお前のほうがよっぽど心配だ」
「……え?」
夕月のクラスでは全員が浴衣を着る予定だ。楓からすると夕月の浴衣姿のほうがよっぽど危険だと感じる。
――ただでさえ文句のつけようがない美少女なのだ。浴衣など着た日には。
それを本人に伝えると、これ以上なく調子に乗るのは火を見るよりも明らかだ。ただでさえ最近はスキンシップに躊躇がなくなってきており、これ以上悪化すると楓自身の理性が崩壊すると危惧している。
だがどうやら楓の失言だったようである。その言葉の意味を理解した夕月は「むふふ」などと不気味に笑っている。
(チッ、余計な事言ったなこれ)
時すでに遅し。夕月は目を輝かせながら話し掛けてくる。
「……心配? ……何が?」
「さあな」
「……何が? ……何が?」
「うるせぇ!!」
「…………ケチ」
不満そうな夕月をスルーしながら自宅を目指して脚を動かす。
◇ ◇ ◇
夕月が作ってくれた朝食を一緒に済ませると、二人並んで登校する。するとポツポツと雨が落ちてきた。
自宅を出る前に天気予報は確認済みであるため、手元にはしっかりと傘を携えている。早速傘を開くわけだが、なぜか隣の美少女は自分の傘を開こうとはしない。
夕月も毎日ニュースで天気予報を確認しているらしく、傘を忘れるなどとは考え難い。ぼーっとしているように見えてもしっかり屋なのである。それでもたまに忘れるのが可愛いところではあるが。
つまり夕月が傘を持っていないのは確信犯、そうとはわかっているが念のため確認する。
「雨降ってきたぞ。傘出せよ」
「……ない」
「嘘つけ!! いつもカバンの中にあるじゃねぇか! カバン見せろ! 寄越せほら!」
「……うぎぎぎ!」
無理矢理カバンの中を確認すると、やはり携帯していた折り畳み傘。クマ(ウサギさん)のワッペンが付いているので間違いようもない。
「あるじゃねぇか。早く開けよ」
「……こ……壊れて……いる」
「そうか。じゃあ濡れて学校まで行けよ」
「……むー!!」
「いじわる!」と言うのと同時に楓の傘の中に入ってきた。勿論腕を組んで密着するのは基本だ。
「離せこら!!」
「……うぐぐぐ!」
振り解こうと腕を動かしてみるものの、片手には傘を持っているためなかなか上手くいかない。夕月はというと「離れてなるものか」と必死にしがみついている。
相合傘で密着しながら登校。楓にとってはまさに悪夢のような状況だ。誰にも見られないようになどというのは不可能であり、何より厄介な者に見られたならばーー。想像したくもない事態となるだろう。
と、思っているとやはり悪い予感ほど的中するようで。
「うっわ、夕月ちゃんは可愛いけど、楓は気持ち悪っ!! 相合傘とか死ぬほど似合わないわねあんた」
「おはよー!! 楓! 夕月さん! ラブラブだねラブラブ!! 熱いよ!! いいよ二人とも!!」
(はぁ……めんどくせぇ)
後ろを振り向くと陽と響が立っていた。さらに悪い事に委員長までいた。
「おはようございます。神代くんもそういう事するのね。意外だわ」
「……おはよう。あぁこれか? あれだ、虫みたいなもんだ」
夕月は楓の腕をバシバシと叩いている。「虫じゃない!」と言いたいようだ。
「……虫じゃ……ない」
「ひっつき虫だろうが、間違ってねぇだろ」
「……私は……ゆづきちゃん」
「おう、夕月虫か」
さらに機嫌の悪くなった隣の美少女は、叩くだけじゃなく脛をゲシゲシと蹴ってくる。残念な事にノーダメージなのだが。
陽、響、音無は何か微笑ましいものを見るかのように夕月を見ている。響は若干ながら不満そうにしているが。
夕月の攻撃を無視しつつ登校を再開、五人揃ってワイワイと学校へ向かう。夕月と二人で登校するよりも、五人揃って登校のほうが楓にとってはありがたい。
二人で相合傘で登校などあずみあたりに見られたら、オモチャにされるのは必至である。とはいえ注目度が分散しているだけで、相合傘をしている事に変わりはないのだが。
「……虫じゃ……ない」
「はいはい、そうだなゆづきちゃん」
「……な……な、なな……何を!」
「不意打ちは卑怯」と呟いたその意味が、残念ながら楓には理解できなかった。




