89 これは偶然
いつも読んでいただきありがとうございます。
遅くなってしまいましたが更新いたしました。申し訳ありません。
活動報告に詳細を書かせていただきますので、良ければ見ていただけたらと思います。
「そういやおまえそのネックレス、あまりつけてないんだな。久しぶりに見た気がする」
「……むっ」
以前、夕月の誕生日に贈ったネックレスであったが、普段夕月がつけている姿をあまり目にしない。当初はまるで見せびらかすように強調していたのだが、最近は身につける事自体を避けているように感じる。
(まぁ……飽きても仕方ないか)
もともとそれほど高いものでもないし、女子はオシャレが好きな生き物だと楓は思っている。流行り廃りは避けられないものだとも感じている。
だがどうやらそれは楓の思い違いであったらしい。夕月は自身の胸元に手を添えると、その大きな瞳で見つめてくる。一つ笑顔を零すと、続けて自慢気な表情へと変化する。
「……一生の……宝物……なの」
「そうなのか? まぁ喜んでもらえてなによりだ」
「……だから……毎日つけると……傷みそうで」
「…………」
「大袈裟な奴だな」と感じたものの、夕月本人は本気である。それは口にせずとも空気で伝わる。大事にしてくれるのは素直にうれしいのだが、どうにもむず痒いものがある。
楓は後頭部をポリポリと掻きながら明後日の方向を眺めていた。
「……ま、婚約指輪とかは稼いでいいもの買ってやるからよ。今はそれで許せ」
「ーーっ!!」
ふと隣の夕月に視線を移すと、なにやら下を向いたままプルプルと震えている。よくよく観察してみると首のあたりまで真っ赤になっているようだ。
「はしゃぎすぎて疲れたか?」とも思ったが、どうやらそうでもないらしい。
「…………卑怯」
「あ? いきなりなんだよ?」
急にバッと見上げてきた夕月の顔色からは、その真意が読み取りづらい。怒っているような、困っているようなーー。
もともと口数が少ないお姫様であるため、その表情から心情を察する術にも長けてきたつもりであったが、それでもエスパーなわけでもないので、その全てを汲み取るのは難しい。
こんな時は沈黙したままが吉である。楓はじっと夕月の様子を伺う。
「……楓」
「おう。なんだ?」
「…………困る」
「そうか」
「…………いきなりは……困る…………心臓に……悪い……よ?」
「は?」
「…………大事なとこで……鈍感」
夕月のテンションはなぜか最高潮になったようだ。当然のようにしっかりと楓の手を握ってくる。その手は敢えて振り解きはせずに、今日は夕月の好きなようにさせた。
今にも溶け落ちてしまいそうなほど頰を緩ませているのを見ていると、拒否するのも野暮なように感じた。
◇ ◇ ◇
昼食を取った後は館内を一通り見て回った。ペンギンやクラゲ、アシカやホッキョクグマなどなど、思っていたよりもずっと種類が多く、予想外に楓自身も楽しめたようだ。夕月は説明するまでもなく終始笑顔だった。
ガラス越しに向かい合う楓とホッキョクグマーー。
互いに何かを察したのだろうか、向かい合ったまま微動だにしない一人と一匹を見て、さすがに夕月も堪え切れずに吹き出してしまった。
「強いなこいつ。野生ではないとはいえ、さすがホッキョクグマだ」
「…………クマさん……可愛い」
「まぁ、あのクソアザラシよりは可愛げがあるな」
「……アザラシさんも……可愛い……のに」
その後も色々と見て回ったが、夕月に手を引かれながら「早く早く!」と急かされ、苦笑いを浮かべる楓であった。
夕月のペースに振り回されながら歩いていると、なにやら見た事のある後ろ姿を発見した。
(……面倒くせぇ事になるのかこれ)
良い予感はなかなか実現するものではない。世の中それほど甘くはできていないのだ。だが……悪い予感はなぜか的中する。それはもう負のスパイラルのように、どこまでも際限なくーー。
楓は夕月の手を強めに引っ張り「早く次行くぞ」と急かすが、その人物に見つかってしまったようだ。
「奇遇だな神代。ふふふ、仲良く手を繋いでラブラブデートか?」
「人違いです。失礼します」
「小日向は今日は一段と可愛いな!」
「……あ……ありがとう……ございます」
あずみと旦那さんだろうか、二人はニコニコしながら楓達に近付いてくる。
あずみの旦那さんは初めて会ったのだが、なかなかどうして……。あずみとは真逆の性格であろう事は話さずとも伝わってくる。温厚で優しそうな印象の人物である。
「学校の生徒さんかな。はじめまして、あずみの夫の柊です。学校でのあずみはきちんと先生をやれているかい?」
「こ、こらっ!! 余計な事を言うな柊!!」
「はじめまして、神代楓です。あずみ先生にはお世話になっています」
「……はじめまして……小日向夕月……です」
楓の姿を見て柊は何やら納得したように頷いている。「この子が例の?」などとあずみに確認しているようだ。
「なるほど。やはり君が楓くんか! いやー! 最近のあずみは君の話ばかりしていてね! 嫉妬してしまいそうになるほどだよ。ははは!」
「だ、だから!! 余計な事を言うな!!」
ーー意外だった。
あずみの事だから旦那を振り回しているのだと思っていたのだが、こうして二人のやり取りを見ているとどうやら逆らしい。柊に振り回されているのはあずみのようであった。
痴話喧嘩とはまさにこの事なのだろうか、周りで見ている方が恥ずかしくなるような気さえする。
普段の凛々しい一面とは違った様子に、楓は驚愕し、夕月はニコニコとただ見守っていた。
と、ここでおもむろに夕月はスマホを取り出した。
(……そうか!!)
「よし、夕月。やれ」
「……うむ……任せよ」
「こら!! 何を撮っている小日向!! 神代も止めろ!!」
「「断る」」
この画像は夕月から響に伝わり、そして必然的に陽へと伝わっていく。弱みを握ったような気分に浸る楓は、思わぬ収穫に只々ほくそ笑む。
止めようと夕月へと手を伸ばしたあずみであったが、それも柊によって遮られてしまう。
「さ、あずみ行くよ。デートの邪魔しちゃ悪いだろう? それに僕らもデート中だ。今日は僕の事だけ考えてくれよ」
「……貴様はまた平然とそんな事を」
あずみは眉間に皺を寄せ、その顔を朱に染めるながら柊の胸を軽く叩いた。
どうやら勝負ありだったようで、あずみは借りてきた猫のように大人しくなってしまった。楓からするとそれはひたすらに不気味である。
「楓くん。君のデビュー戦楽しみにしているよ! 試合は欠かさず観に行くからね!」
「はい。ありがとうございます」
「ふふっ、クールだねぇ……でも大物になりそうな雰囲気だ。僕の勘は当たるんだよ」
「大物かはわかりませんが、ベルトは獲ります」
「ははっ! なるほどね! あずみが気に入るわけだ!」
「いいから!! もう行くんだろう!? 行くぞ柊!!」
「じゃあまたね」と軽く手を上げると柊とあずみは去っていった。
そんな二人の後ろ姿を容赦無く撮る夕月。小さくニヤリと笑った。
◇ ◇ ◇
帰りの電車の中では夕月には珍しく口数が多かった。夕月が楽しそうに語っているのを、楓は頷きながら聞いている状況である。
嫌ではないし、退屈でもない。むしろ夕月が楽しそうに話している姿は、見ているだけで嬉しくなってくるから不思議だ。
三十分ほどだろうか――。
いつになくはしゃいだのは、夕月だけではなく楓も同様だった。知らないうちに疲れていたのだろうか、目を閉じ夕月へともたれかかる。
「――っ!!」
夕月は一瞬ビクッとしたものの、すぐに穏やかな表情へと変わると楓の頭を優しく撫でる。
「……今日は……ありがとう……楓」
――このままずっと時間が止まればいいのに。
安心しきったように無防備な姿を晒す愛しい人。その体重に押し潰されてしまわないように、夕月からも楓に寄り添うように体重をかける。
「……大好き」
耳元で囁いたその言葉は、夢の中の楓に届くのだろうか。「届いたらいいな」と夕月は少し恥ずかしそうに笑った。




