88 楓 VS ◯◯
休日という事もありやはり人は多い。夕月と付き合うようになってからは、割と人混みにも慣れてきたつもりだったのだが、それでも煩わしいものは煩わしい。
カップルから家族連れ、そして友達同士など。様々なグループで溢れており、その光景を見ているだけでも酔ってしまいそうな感覚に陥る。
だが思ったよりずっと楽しい。夕月は言うまでもなくはしゃいでいるのだが、楓自身も割と楽しめていた。
「はは! 見ろよ。おまえがいるぞ」
楓が指差したのはシマフグ。張り裂けそうなほどに膨らんだその姿は、誰かさんにそっくりだと思った。
夕月は頰を膨らませて睨んでくる。
「……似てない……もん!」
「そっくりだぞ? 鏡見ろ鏡」
「……むー!!」
ますます水槽の中のシマフグとそっくりになってしまった。それぞれを見比べていると、笑うなという方が無理であろう。
「くっ!! ははっ!! すげー似てるな!!」
「……もう!」
「怒るなよ。可愛いんだからいいだろ」
「……か……可愛い? ……ほんと?」
「それなら許す」と夕月は再び笑顔に戻った。
実は水族館に来たのは楓も夕月も初めてである。想像はしていたものの、予想外にたくさんの種類の生き物がおり、全てを見て周るのは難しいほどであった。
とはいえ、予習バッチリな夕月は見るものを事前にしっかりと決めていた。
『アザラシふれあいイベント』
この水族館の売りの一つである。胴長を着用したうえで、アザラシと触れ合う事ができる。背中やヒレに触れてみたり、餌をやってみたり等々。
更には、最近産まれた子アザラシに触る事ができるのだ。これが夕月の一番の狙いである。
「……あっち!」
「ん? 何か目当てでもあるのか?」
「……アザラシさん……触れる!」
「アザラシって確か種類によっては凶暴らしいぞ」
「……ここの……アザラシさん……大丈夫」
「なんだ温厚な種か。残念だ」
「……残念?」
「アザラシを殴る機会はなかなかにないからな」
「……やめて……アザラシさん……泣いちゃう」
「冗談だよ」と口にした楓であったが、仮に夕月が襲われたなら反撃するつもりではいた。むしろ「襲ってもいいんだぞ」とまで思っていた。
館内の案内表示に従って歩いていく。すると前方に人集りが見えてきた。列を作って順番待ちをしているようで、並んでいるのは家族連れやカップルがほとんどだ。
早速楓と夕月も最後尾に並んだ。
「待ってる間も水槽眺めてれば楽しめるな」
「……うむ……楽しい」
「アザラシKOしたら次は何見るんだ?」
「……KOしちゃ……ダメ…………あとは……ペンギン……ホッキョクグマ」
「お! クマか! いいな!」
――この人は何がしたいのだろう。
夕月がそう考えるのも無理はない。だが、子供のようにはしゃぐ楓を見ていると、怒る気も失せるというものだ。今も目をキラキラさせながら水槽を眺めている。
当初少しだけ不安があった。
楓にデートコースを決めてほしいと思って、半ば無理矢理に近い形で交換日記を催促した訳だが、「楓が楽しめる場所を選んで欲しい」という意図を込めていたのだ。
楓があれこれと悩むのは想定内、その上でどこをデートコースに選ぶのか興味があった。
結果としては予想以上だった。夕月本人も勿論楽しんでいるが、楓も相当楽しそうだ。その様子を見て夕月は胸を撫で下ろす。
「お、夕月。そろそろみたいだぞ」
「……おぉ」
係員から胴長を手渡され二人は身につける。浅めのプールのような場所には、数匹の子供アザラシがいた。
夕月は恐る恐るアザラシに手を伸ばす。
人に慣れているようで、子共アザラシは夕月に飛び掛かるように甘えてきた。
「わっ!」
「ははっ! よかったじゃねえか! 好かれてんな!」
「……いい子」
無防備に腹を見せて甘えている。「触って触って!」と催促しているような姿は見ていて微笑ましい。
それにしても美少女と動物が触れ合っている姿は絵になる。夕月のその様子に、周りの男性陣も過剰に反応しているようだ。
『……』
『ちょっと!! どこ見てるのよ!!』
『いやだって、あの子めちゃくちゃ可愛いくね?』
『えっ……うっわ! やば! 芸能人?』
そんなカップルの会話が聞こえてくる。楓ももう慣れており、今となっては聞き流す程度だ。それでも、夕月に声を掛けよう、などという輩には容赦するつもりはないが――。
(相変わらずうちのお姫様は注目の的なようで)
そんな事を考えて夕月の姿を見守っていた。ちなみに、楓は別にアザラシと触れ合いたいとは思わないので、夕月の横で静観しているだけだ。
だが一匹の親アザラシが楓を見つめている。いや、楓には睨まれているように見えたようだ。
「…………」
「…………」
無言で向かい合う楓とアザラシ。
「……グワァ!」
見た目の愛らしさとは違い、思っていたより低い声で鳴き声を上げた。
「あ? なんだよ?」
「グワァ!!」
「やんのか? いいぜ、こいよ!!」
ファイティングポーズをとる楓、アザラシを睨み付ける。
「お、おにいさーん! この子は優しい子ですよー!? 優しく背中を撫でてあげてください」
「……チッ。命拾いしたな」
「えぇ……狩るつもりだったんですか?」
呆れ顔の女性係員は、アザラシの背中を優しく撫でている。そのアザラシの顔がにやけている気がして、どうにも気に入らない。
(こいつ絶対に雄だろ)
本能でそう感じた楓であったが、係員に言われるがままにアザラシの背中に手をやる。すると途端に大きく跳ねるように動いた。楓の手は大きく弾かれた。
「てめぇ!! この色ボケアザラシが!!」
「グワァ!!」
再び両拳を上げて構える。アザラシは戦る気だ。
(意外に俊敏そうだなこいつ。ボディは効かなそうだから、あのにやけ面に右ストレートだな!)
「わー!! ストップストップ!!」
「……楓……だめ」
係員と夕月に制止され、楓はようやく踏み止まった。アザラシは「バーカ」とでも言いたいような表情である。その態度が楓を逆撫でする。
「くっ! でも見ろよあいつの顔! イラつく顔してるぞ!?」
「……そう? ……可愛い……よ?」
「……チッ」
「覚えとけよ糞アザラシ」と心の中で呟いた楓であった。不思議な事にその言葉は、アザラシに通じている気がした。
アザラシは「もう来んな」とでも言いたいように、尾をビタンビタンと動かしている。
「てめぇ、次はKOしてやるからな糞アザラシ!」
「グワァ!!」
お互い捨て台詞を吐いたところで、楓と夕月はその場から離れた。係員は困ったように笑っていたが、「気に入られたみたいですね」と言っていた。
◇ ◇ ◇
「……可愛い……かった」
「そうか、よかったな。くそ! やっぱ一発ぐらい殴っとけばよかった」
「……危ない……よ?」
「俺がか? はっ! んな訳あるか! 余裕のKO勝ちだ!!」
「…………うーむ」
なぜか微妙は顔をしていた夕月であった。どう反応していいか困っているようだ。
そんな時――。
『グー』
何やら可愛い音が聞こえてきた。
「おまえか?」
「……お腹……すいた」
館内の時計を確認すると午後一時を回っていた。どうやら二人ともアザラシに夢中になっていたようだ。気が付くと既に昼を回っていた。
「ちょうどいいな。昼のピーク過ぎたみたいだし昼飯にしようぜ」
「……うむ……では」
「ん? 荷物か? ほれ」
「……お弁当……持参」
やはり夕月は昼食を用意してきたようだ。バッグの重さからも少し期待していたが予想通りであった。
二人は休憩所に向かうと並んで椅子に座る。ピークを過ぎた事もあり、室内は思っていたよりも空いていた。
夕月は鼻歌を歌いながら、バッグから弁当を取り出してテーブルに広げていく。
「すげぇ豪華だな。おまえいい嫁なるぞ」
「……よ……嫁?」
「なんで照れてるんだよ、事実だろうが。おまえと結婚する奴は恵まれてるな」
「……むぅ」
夕月は不満気に楓を指差す。
「……私は……楓の」
「あぁ、そうか。おまえって俺の嫁になるんだったな」
「……いや?」
「んな訳ねぇだろうが」
「……うれしい?」
「わかるだろ?」
「……全然…………わからない」
夕月は至近距離で目を見つめてくる。言葉にするのはどうにも気恥ずかしいので、「わかれ!」と頭をガシガシと撫でた。
面白いと感じていただけましたら、下の評価欄から評価いただけますと幸いです。
それを励みに頑張ります!




