表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/237

87 予習はバッチリです

 

 ――猛省しろ。この色ボケが。


 可能であれば自分自身を殴りつけてやりたい。気が緩んだというか、理性が役立たずだったというか。


 いずれにしろ失態である。なぜ失態かと言うと、隣の少女の表情を見れば一目瞭然だ。半ば強引に抱き寄せられた夕月はというと、それからずっと上機嫌である。


 溶けてなくなるのではないか? と思ってしまうほど顔は蕩けて締まりがない。楓からの一方的な行動であったため言い訳のしようもない。


 となると、それはもう夕月の独壇場である。少女にとってはこの上ない状況なのだろう。いつも以上にぴったりと密着したままで、離れる気配など皆無である。


 心の中で猛省した楓だったが、時は既に遅し。隙を見せた楓の負けだった。


「悪かった。俺が悪かったからもう少し離れてくれ、頼む」

「……い……や!!」

「……はぁ」


 夕月の目には断固たる意思を感じる。


(ダメだ。こうなったこいつはもう何を言っても無駄だ。詰んでる)


 額に手をあてて、目を閉じたまま宙を仰ぐ。もう溜息すら出ない。


 通行人の視線が痛い。腕を組んでぴったりと寄り添った姿は、注目するなという方が難しいだろう。周りから見ると美男美女が仲睦まじく歩いているのだ。視線を浴びるのも必然である。


 それに加えて、今日の夕月は異常なほどに気合いが入っている。前髪は三つ編みにしてサイドへ流しており、薄く化粧までしている。


 膝下ぐらいのベージュのスカート、リボンベルトでとめてある。グリーンのブラウスは緩めのシルエットでうなじが見え隠れするため、その度にドキッとしてしまう。


 オシャレなど全く興味のない楓でも、その姿を見ればはっきりとわかる。


(こいつ、モデルか何かか?)


 口には出さないものの、心の中は動揺したままであった。


 そして例の如く、その体躯には合わない大きなバッグを持っていた。そのアンバランスな様子は、唯一笑って見ていられるところだろう。


 楓は自由な方の手を差し出す。


「おい、それ寄越せ。俺が持つ」

「……大丈夫……だよ?」

「いいから寄越せ! 俺が気になるんだよ!」

「…………ありがとう」


 夕月は手に持っていたバッグを手渡してきた。持ってみるとやはり結構な重さがあった。


「重いなこれ。ダンベルでも入れてんのか?」

「……意味が……わからぬ」


 中身が気になったものの、さすがに勝手に覗くのはマナー違反だろう。というか、夕月が無言のまま「見ないでね?」と圧力をかけている。


「……そう……いえば」

「ん?」

「……いい……それ…………好き」

「何がだ?」

「……メガネ」

「あぁ、これか。ぶっちゃけ邪魔なんだこれ。でも来る途中で魚屋の奥さんから渡されてよ、嫌々かけてきた」

「……魚屋さん……グッジョブ!」


「外していいか?」と聞いてみたら、夕月はブンブンと首を横に振る。本音としては今すぐにでも外したいのだが……。「まぁ仕方ねぇな」とすぐに諦めた。





 電車に乗った二人は並んで席に座る。当然夕月は密着したままである。


 水族館までは電車で一時間といったところか。目を瞑った楓は早速睡眠態勢へと移行する。


 だが、それは夕月によって阻止された。何度も肩を揺すられ眠る事は許されない。


「何だよ、着くまで時間あるだろ? 寝る」

「……今……デート!」

「そうだな。おやすみ」

「……許さぬ!」


 これでもかと身体全体を揺すってくる。一体何が不満なのだろうか。


 ――体力というのは有限だ。いついかなる時でも戦えるように備えなくてはならない。睡眠は大事なのだ。


 そんな見当違いの事を楓考えていた。


「体力は常に満タンにしとかねぇとダメだろ? 常にカウンターのイメージだ」

「……何と……戦うの?」

「敵だ」

「……楓が……わからない」


 夕月には伝わらなかったらしい。何やら難しい顔をしているのがその証拠だ。「じゃ」と寝ようとしている楓を、それでも阻止してくる。


「……お話……しよう?」

「何の話するんだ?」

「……」


 夕月は何やら考え込んでいる。多少顔がニヤついているため、よからぬ事を考えているのだけはわかる。


「……私の……どこが……好き?」

「さぁな、自分で考えろ。ていうか、なんつー話題振ってきてんだよ! 突然の右ストレートとか当たると思ってんのか?」

「……下手な……鉄砲も」

「「数撃ちゃ当たる」」


「アホか!」と軽く夕月のおでこを突いた。軽く怒ったつもりだったのだが、それとは対照的に夕月はただ嬉しそうに微笑んでいる。


「へへ」と触れられたおでこに手をあてている。


 夕月にとっては会話の内容など二の次なのだ。大事なのはこうして楓とやり取りをする事であって……。


 たわいないやり取りの全てがキラキラと光っていて、それが少女にとっての宝物なのだ。


 今この時、この瞬間を決して忘れないように――。


 楓と一緒にいる時の夕月は、常にそんな事を考えている。


 好きで好きでどうしようもなくて。

 考えると胸が締め付けられるように切なくて、痛くて。でもその痛みも愛おしくて。


 楓と出会ってからの夕月は、自分自身の心境の変化に驚いていた。まさか自分がこんなに誰かを想う日が来るなど、想像すらしてなかったしあり得ないとまで思っていた。


「幸せだなぁ」としみじみ思う夕月であった。





 ◇ ◇ ◇





 結局一睡もさせてもらえなかった訳だが、妙にテンションの高い夕月と話していると、あっという間に時間は過ぎた。


 行きの電車の中では、スマホを使って水族館のHPを見たりしていた。だが夕月は既に予習バッチリのようであり、HPの説明も無駄に手慣れていた。


「着いたな」

「……うむ」


 満を持して着いた水族館。


「早く!早く!」とグイグイと夕月は腕を引っ張ってくる。無邪気に笑う姿を見るのは悪くない。


(楽しそうだなこいつ)


「よし! せっかくだしな! 気合い入れて魚見るぞ!」

「……うむ!」


 つられて自分も笑顔になっている事に、楓本人はまだ気が付かない。



面白いと感じていただけましたら、下の評価欄から評価いただけますと幸いです。


それを励みに頑張ります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ