86 自覚
夕月の家に向かう途中で厄介な人に絡まれた。
「お!! 楓くん、デートか!?」
魚屋の店主である。一仕事終えたばかりなのか、額にはうっすらと汗が滲んでいた。豪快に笑いながら背中をバシバシと叩いてくる。本人に一切悪気がないのが厄介である。
「おはようございます。なんでデートだと?」
「そりゃあその格好見たら……なぁ!?」
考えてみたら当たり前の話で、いつも動きやすい格好、または制服姿の楓が歳相応のオシャレをしているのだ。毎日のように見ている者からすると、すぐに想像がつくというものである。
「ま! いい男! 楓くん私と一緒にならない?」
「いえ、遠慮しておきます」
「つれないねぇ」
店主の奥さんも奥から出てきた。店主と同様に楓の姿に驚いている。
(この二人と話してたら時間足りねぇ)
軽く会釈をしてその場を離れようとすると、奥さんから引き止められる。どうやら何か言いたい事があるらしく、「ちょっと待ってて」と店の奥へと消えた。
再び戻ってきた時には、手にある物を持っていた。
「これ度は入ってないんだけどねぇ、しっかりしたブランド品なのよ? 夕月ちゃんとデートなんでしょ? いつもと違った印象でも面白いんじゃないかい?」
半ば強引にそれを手渡される。有無を言わせぬ迫力に押され、どうも断れるような空気でもなくなってきた。
目の前でしまう訳にもいかず、仕方なくそれをかける。
「あら! 野性味ある顔もいいけど、それも知的で素敵じゃない!!」
「……そうですか?」
「そのまま行きなさい! きっと夕月ちゃんも喜ぶわよー?」
ネックレスでさえ違和感があるのに、それに加えて黒縁のメガネをかける事になってしまった。鏡がないので似合っているかも確認できない、目の前で絶賛してくれている女性がいるので悪くはないのだろうが……。
「響が見たらバカにするだろうな」などと心の中で思いつつ、仕方がないのでそのまま向かう事にした。幸い度が入っていないので、視力に変化はない。
ボクサーは目が生命線なので、そもそもメガネなど必要ないのだが。
(なんだよこれ。クソ邪魔なんだが)
心の中で愚痴を零しつつ夕月の家へ向かう。
◇ ◇ ◇
――約束した時間よりも二十分ほど早く着きそうだ。
そんな事を考えながら歩いていると、既に自宅前で待っている夕月の姿が視界に入る。
(おい、まだかなり時間あるだろ。何やってんだあいつは)
少し離れたところから少女を観察する。何やら挙動不審な面白い動きをしていたため、遠くから眺める事にした。
手鏡で何度も自分の顔を見ているようだ。前髪を摘んだり、ニヤリとしたり。自身の格好を見直すと、また手鏡を確認。そんな事を繰り返している。
踵を上げたり、下げたり――。あまりに落ち着きがないため、通行人の注目の的になっている。それに気付いたようで顔を真っ赤にして俯いてしまった。遠目から観察していると、頭から湯気が出そうにさえ見える。
(ほんと何やってんだか)
ポケットに両手を突っ込んだまま、ズカズカと少女に近付いていく。どうやら楓に気が付いたようだ。だが、楓の姿を見ると絶句して固まってしまった。
「よう、待たせたな」
「…………」
「おい、どうした?」
「……楓?」
「なんだよ」
「…………」
口を半開きにしたまま見上げてくる。目を見開いたまま固まっており、楓もどうしたらいいのかわからず押し黙る。
とはいえ、ずっとそのままではいられないので、至近距離で夕月の瞳を見ると「おい!!」と声を掛ける。
すると、我に返った夕月はすぐさま楓の背中にしがみついた。
「どうした?」
「……ずるい」
「は? 何がだよ?」
「……頑張って……化粧とか……したのに」
「そうか」
「……こんなに……カッコいい……なんて…………聞いてない」
「そうか? ネックレスもメガネも邪魔なんだが。おまえが気に入ったんならよかったかもな」
どうやら夕月には好評だったらしい。こうして対面せずに背後に回る時は照れている時だ。なぜそのような行動を取るのかは不明だが、好印象なのは間違いない。
だが、ずっと背後にいられても困る。楓としても夕月の格好を見たいのだ。先ほどみた夕月の顔は薄く化粧をしていたのか、息を飲むような可愛らしさであった。態度には出さなかったが、楓の心臓も高鳴ったままである。
「おい、いい加減離せ!」
「……断る」
「なら無理矢理剥がす!」
勢いよく後ろを振り返る、引き剥がそうと試みるが、それでも夕月は背中にしがみついたままである。
「おいこら!!」
「……うぎぎぎ」
「いい加減にしろ!!」
「……あっ」
ようやく振り払うと正面から向かい合う。途端に夕月は下を向いて沈黙してしまった。
楓は溜息をつくと、夕月の両頬に手を添える。ゆっくりとその顔を自分へと向けた。
ようやく目が合う。その顔があまりに綺麗であったため見惚れてしまった。
「……見ないで」
「は? 断る」
「……むぅ」
「化粧してんのか? エグいぐらいに可愛いな」
「――っ!!」
顔に添えた手から震えが伝わってくる。しっとりと柔らかな肌は、どれだけ触れていても飽きそうにない。
(こいつが俺の……彼女? 恋人? マジか)
改めて考えると、とんでもない相手だと思った。
今まで見てきた女性の中でも断トツの容姿。テレビの中のアイドルなど余裕で霞む。夕月とはそんな美少女なのだ。
決して感覚が麻痺していた訳ではない。わかっていた……よくわかっていたはずなのに。
――そんな美少女が自分の恋人?
そんな事を考えてしまうと止まらない。
独占欲? 或いは優越感のようなものだろうか?
気が付くと力の限り夕月を抱き締めていた。
「……ん」
甘い吐息が漏れる。
その声を聞いて楓は我に返り、すぐさま夕月から距離を取る。
「わ、悪い」
「……うれしい……よ?」
「今日のおまえ、ダメだ」
「……何が?」
「全部だ。全部が誘ってくる」
「……いいのに」
「ダメだ」
「……むー!!」
頰を膨らませた夕月は、今度は背後からではなく、正面からしっかりと楓に抱きついた。
「勘弁してくれよ」と言っても効果はない。結局は夕月が満足するまで好きにさせた。
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