80 そこで待っていたのは
一向に止む様子のない白雨。
少しずつ涼しくなり始めたこの時期には、砕けた雨粒が少し肌寒くすら感じる。そう思っていたのは、どうやら楓だけではなかったらしい。隣の夕月は「くしゅん」と小さくくしゃみをしていた。
(……ったく。世話の焼ける奴だな)
腕組みされている手を振り解くと、手荷物からジャージを取り出した。今日の授業で使用しているので汗臭いとは思うが、カタカタと震えている夕月をそのままにしておくのも気が引ける。
頭から被せてやると、目をぱちくりさせながら楓を見つめている。思考が追いついたのか、その意図を理解すると嬉しそうにジャージを羽織る。
「臭いのは我慢しろ」
「……好き……この匂い」
「物好きな奴だな」
「……楓に……包まれてる……みたい」
「馬鹿な事考えてんじゃねぇよ」
そっぽ向いた楓だったが、その顔の赤みは隠せていない。照れている事に気付いた夕月は、頰をツンツンと指で触れてくる。
「……楓が……デレた」
「あ? 勘違いすんな。暑いだけだ」
「……今日……寒い」
「……」
「行くぞ」と強引に手を引く。ニヤニヤとした夕月の表情が気に入らない。夕月は再度、当然のように楓の腕を取るとぴったりと密着してくる。
――周りの視線が痛い。
今まではそう思っていたのだが……今はそれほど気にはならない。良くも悪くも慣れてきている状況に自嘲する。
四六時中一緒にいるのだ。慣れるなと言うほうが無理なのかもしれない。とはいえ、夕月は最初からこうであったが――。
(こいつって自分の価値わかってんのか?)
あまり考えた事はなかったが、ふと思い立つと夕月に聞いてみる。
「おまえ、自分がモテると思うか?」
「……普通……ぐらい?」
「普通の人は度々ラブレター貰ったりしねぇと思うぞ」
「……そう……なの?」
「まぁ俺もよくわからねぇけどな。凄まじい美少女とは思うが」
「――っ!!」
夕月は突然下を向くと、プルプルと震えながら沈黙してしまった。よく見ると髪の間から覗く耳が真っ赤である。不審に思った楓は、下から覗き込むようにその顔を見る。
「……み……見ないで」
「は? 心配してやってんだろうが。どうした? 寒いのか?」
「……楓の……そういうところ……ダメ」
「そういうところってどういうところだよ」
嬉しそうな、恥ずかしそうな……不思議な顔をしながら睨まれる。心配しているのに睨まれるとはどういう事なのだろうか。理解不能な心理に楓はただ狼狽する。
不満そうではあるが、嫌ではないのだろう。それぐらいは楓でもわかる。かろうじて、ではあるが。
苦笑いしながら美少女の顔を眺めていた。
「ま、別に容姿とかどうでもいいけどな。良いに越した事はないんだろうが」
「……私が……その……」
「ん?」
「……あまり……可愛く……なくても」
「なくても?」
「…………好きに……なって……くれた?」
楓は考える。
――仮に夕月の容姿が、あまりよろしくなかったのならどうしただろうか。
命を捨てる少女に手を差し伸べただろうか。
交換日記など許可しただろうか。
恋人になっただろうか。
キスしただろうか。
(……)
改めて考えてみると、美少女だから好きになったのではなかった。無論、容姿が優れているのは好ましい。だがそんな事は些細な事で、夕月だから惹かれたのだ。
成績は優秀だがコミニュケーションが下手で、可愛いものが好きで、たまにドヤ顔で。
寂しがり屋のくせにたまに強がりで、泣き虫で、すぐにくっついてきて。
そして楓の事が大好きで、それを隠そうともしないで――。
きっと容姿は関係なかった。今になって思うと、出会った時からこうなると決まっていた気さえする。
考え込んでいると、夕月は不安そうに見つめてきた。
「考えてみたら容姿は関係ねぇな。おまえがおまえだったからだ」
「……ほんと?」
「あぁ」
「……私も! ……楓が……カッコよく……なくても……好き!」
「そうかよ」
短く返したその言葉は、どうやらお気に召さなかったらしい。見るからに不満そうである。
「……私の……こと……好き?」
「あー、まぁそんな感じだ」
「……むー!! ……好き!?」
「そんな感じだ」
頑なに言葉にしようとしない様子に、納得のいかない夕月は何度も何度も問い掛ける。だが返ってくる言葉は同じで「そんな感じだ」である。「どんな感じよ!」と突っ込みたい夕月であった。
だから少しだけ意地の悪い質問をしてみる。
「……私が…………他の……男の人と……付き合ったら?」
「ん? 好きな奴でもできたのか?」
「……ち……ちがっ!」
「俺以外の男か。おまえが選ぶんなら仕方ねぇかもな。正直嫌ではあるが」
「……ごめん……なさい」
「なんで謝るんだよ。おまえが幸せになるんならそれでいい。だけど易々と渡すつもりもねぇけどな」
「……」
今度は泣きそうな表情になってしまった。
(どうしたもんか。女って難しいなマジで)
とりあえず雨の中を突っ立っているのもアレなので、ゆっくりと歩き出すと、夕月も顔を上げて歩き出した。表情は暗いままのようだが、なぜか更に密着してくる。
(クソ! わかったよ!! 言えばいいんだろ言えば!!)
「………………好きだ」
「……え?」
「だから好きだって言ってんだよ。神代楓は小日向夕月が好きだ」
「……私も……大好き!」
「ったく! 勘弁してくれ。そういう柄じゃねぇのはわかってんだろ? ……だいたい、俺にはおまえだけだし、おまえには俺だけ。わかってんだろうが!」
「……うむ……でも……たまに……言葉は…………欲しい」
「そうかよ」
一気に弾けるような笑顔に変わった夕月を見て、「まぁいいか」と小さく零した。
百面相のようにコロコロ変わる表情、それを見るのは悪くない。むしろ間近でそれを見れるのが恋人の特権なのだろう。"独占欲"という言葉が適切かはわからないが、それに近い感情が楓の中にもある。
――この表情は他の奴には見せられないな。
そんな事を考えている自分自身に驚いていた。
◇ ◇ ◇
ジムに着いた二人は、雨から逃げるようにすぐさま中に入る。
「お、来たか楓! お客さんが来てるぞ!」
「客?」
一人の少女がパイプ椅子に座っているのが見える。楓が来た事に気付いたようで、立ち上がるとゆっくりと近付いてきた。
全体的に線が細い。だがガリガリという訳ではなく、身体の露出している部分は、筋肉がついているようにも見えた。病的なまでに白い肌であり、長い前髪で顔は若干隠れている。
「はじめまして。神代楓さん」
「はじめまして。てか初めて会うよな? 何の用だ?」
「その前に……これ、グローブつけてください」
「は?」
「いいからつけてください。私を説明するにはそれが手っ取り早いです」
会長の方を見ると黙ったまま頷いている。状況がわからないまま、楓は着替えるとグローブをつけた。
何を思ったのか少女は両腕にミットをつける。楓の正面に立つと両腕を上げた。
「さ、打ってきてください。不安ならジャブからどうぞ」
「は?」
「だからどうぞ。打ってきてください」
「……怪我しても文句言うなよ?」
「しませんね。余計な心配ありがとうございます」
「この野郎」と心の中で呟くと、楓はスタンスを広げて両腕を構える。最大限に手加減をした左ジャブを放つ。
パン! と軽い音が鳴り響いた。
「舐めているんですか? こんなジャブじゃ何の役にも立ちませんね」
「ほー! いいぜ! 次は本気だ!」
神経を逆撫でするような少女の声色に、楓の目つきが変わる。拳を構えると、今度こそ本気の左ジャブを放り込んだ。
パン!! パン!! パン!!
小気味良い音が鳴り響く。
「はい、次はワンツー! すぐに左を返す!!」
「――っ!!」
少女の指示通りにパンチを繰り出していく。どんどん回転が上がっていき、実戦さながらの感覚に近付いていく。
少女より先に楓が肩で息をし始めた。思った以上に振り回され……いや、まるでパンチを誘導されるような感覚であった。終わる頃には額から汗が流れ落ちる。
「あんたは?」
「ふーん、やっぱり強いんですね」
少女は満足そうに楓を見つめる。
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