76 人手が足りません
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今回はちょっと短めです。
楓は慧に一方的にやられた日からずっと考えていた。異常なスピードの慧にどうすれば対抗できるのか――。
楓とてミドル級にしてはトップクラスに速く、戦ったのなら、チャンピオンにすら触れせないかもしれない。だが駿河慧という男は更にその上をいく。
まるでマシンガンのような光速の拳、応戦しようと手を伸ばしてみても既にその場にはいない。異次元の身体のキレ、そして剃刀のようなパンチの切れ味。それらは慧だけの武器であり、それを他者が真似するなど不可能である。
――だから考えた。
一撃。
どれだけ打たれてもいい、どれだけ好き勝手されてもいいから一撃を叩き込むのだ。
ようは我慢比べである。慧が手数で楓をKOするのが先か、それとも一撃で楓が慧の足を奪うのが先か。どちらが勝つにしろKO決着となるのは間違いない。
様々思い悩み、試行錯誤を繰り返して楓はようやく実感し始めた。石井相手でも後退しないこのスタイル、これこそ求めていたものである。正直なところ躱すのは容易かったが、ライトヘビー級相手なのだからそれは当たり前の事であり、たとえ全てを躱したところでたいして意味は無い。
だからこそ正面から全てを受け止めた。両足に力を込め、歯を食いしばり、「効かねぇ!」と自分に言い聞かせて必死に耐えた。
結果は上々。予想以上に自分がタフになっている事を楓は確信した。
(よし! いけるぞ!)
小さくガッツポーズを作るとリングから降りる。
楓の顔を見た夕月は、驚いたように固まっている。
「……顔……怪我酷い」
「ん? あぁ。随分殴られたしな。あの人のパンチ無駄に重いんだよ」
「無駄とはなんだ!」
ふらふらした足取りで石井は楓達に近付いてきた。隣には会長も立っている。
「痛ぅ! 最後の右アッパー強烈だったぞ。ミドル級だったらあれ一発で失神確定だ! まだふらふらするぜ……まぁ俺は倒れないけどな! はっはっは!!」
「チッ。もっと力が必要だったか」
「おまえ、マジでライトヘビー級の俺をKOするつもりだったのか? 呆れを通り越して笑えてくるわ」
「……次はKOしますよ」
「なら俺もしっかり練習しとかねぇとなぁ!」
豪快に笑った石井は、楓の背中をバシバシ叩きながら上機嫌だ。こう見えても敵無しだった石井は、まさか自分が練習生に脅威を覚えるとは、微塵も予想していなかった。楓の強さは知っていたが、それでも「まだ高校生だろう」と心の中で子供扱いしていた。
今日のスパーリングでその認識は間違っていた事に気付く。それと同時に、喉から手が出るほど欲していたスパーリングパートナーの目処が立った。勿論楓はまだ練習生であるから無理はさせられない。それでもタイトルマッチ前の調整期間には不可欠な人材となった。
「とりあえずおまえより先にベルト獲るからよ。まだ先の事だろうが調整手伝ってくれや! 俺の階級だと練習相手すらいねぇんだわ!」
「それは喜んで。俺の練習にもなりますし」
「ほどほどにな」と会長が二人に釘を刺す。
「うーん。このジムにも人手が足りなくなってきたなぁ。この前トレーナーが一人辞めちまったし」
このジムにも最近はランカーが増えてきており、ミットを持つトレーナーも確かに不足しているようだ。こればかりは楓も石井もどうにもできない。会長がいい人材を見つけてくるしかないだろう。
そんな事を話していたら夕月が手を挙げた。
「……トレーナー……私!」
「いや、無理だろ」
「夕月ちゃんは無理かなぁ」
「はっはっは! お嬢ちゃんの体格だとパンチで吹っ飛んじまうぞ!」
全会一致で否定された夕月は「やれるのに」と不満そうである。すると思い出したように拳を構えた。スタンスを広げると「シュッ!」と左拳を前に突き出す。
「……これが……ジャブ」
ドヤァと楓を見る。
「そ、そうだな」
「……トレーナー……私!」
「いや、それとは話が別だ」
「……むー!」
「パン! パン!」と夕月のジャブを片手で受けながら、楓は会長に話し掛ける。
「俺もちょっと心当たりは無いです。ですがいい人見つけたら話はしてみます。アルバイトでもいいんですよね?」
「すまないなぁ。勿論アルバイトでも構わないぞ! さぁ……忙しくなるぞこれから!」
夕月は終始不満そうに楓に向けてジャブを打ち込んでいた。
◇ ◇ ◇
「……納得……いかない」
「いや、本気だったのかよおまえは」
ジムから出た後、帰りの道中で夕月は何度もそのようにぼやいている。さすがに冗談だと思っていたが、本人は割とやる気があったらしい。
「おまえにトレーナーは無理だ。だから俺を見てるだけでいい」
「…………ふむ」
夕月は少し考えると楓の正面に回り込む。するとじっと顔を見つめてきた。
「ん? なんだ?」
「……見ろと……言われた」
「そうか」
「……うむ」
睨めっこのように見つめ合う。
十秒。二十秒。三十秒――。
先に目をそらしたのは夕月であった。その頰が赤いのは夕陽のせいであろうか。
「で、気は済んだか? 家まで送る」
「…………」
夕月は恥ずかしそうに俯きながら、躊躇いがちに楓の服の裾を摘んだ。
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