59 出口への光明
深夜にひっそりと更新です。
梓がホテルに戻ってから夕月を自宅まで送っていった。
どうやら楓の家に連泊するつもりだったようで、ご機嫌斜めではあったが、交際しているとはいえ連泊というのはよろしくない。とはいえ、その事に文句一つ無い夕月の家族が不気味に思えてくる。
やはり夕月と家族との間には深い溝があるのだろう。いずれは嫌でも関わる事になると思うと、少しだけ憂鬱にもなる。
梓の話は思っていたよりも夕月の心に響いていたようで、歩いている最中も常にニコニコとしていた。
最近は手を繋ぐのが当たり前になっていたのだが、見られるのはやはり慣れない。海ではお披露目という意味でずっと手を握っていたわけだが……。
「離れろ。普通に暑いだろうが」
「……嫌なのです」
「海でのアレは特別だ、普段からくっつく必要無いだろ。暑いし」
「……うぐぐぐ」
強引に手を取ろうとしてくるので両手を上げて阻止する。次はタックルするように抱きついてくるので、それをサッと躱す。
「はっ! ボクサーの動体視力舐めんなよ?」
「…………くっ」
納得がいかないというのが伝わってくる瞳だ。ギリギリと歯軋りをしそうな表情を向けてくる。
暫くお見合いのように正面から向かい合う。両腕を開いて威嚇してくるその様子は、レスリングでもやりたいのだろうか。隙をついて夕月は楓に向かって突っ込んでいく。それを難無く躱したら……。
夕月は派手に転んだ。
それはもう派手に、漫画のように。
「……痛い」
「マジかよ。どんだけ全力で突っ込んでんだおまえは」
「ほら立てるか」と手を差し出すと、条件反射のように手を繋いできた。
(こいつ。そういうことか)
立ち上がった後も手は離そうとしない。ブンブンと振ってみても「離すものか」と必死にしがみついている。
「ったく。そんなに手繋ぎてえのか?」
「……うむ」
「はぁ……程々にしてくれよ? あまりこういうのは得意じゃねえんだ」
「……うむ」
生返事を返す夕月を見ていると溜息が出る。それでも最終的に許せてしまうのは、惚れた弱みというやつなのだろうか。幸せそうな緩んだ笑顔を見ていると、怒る気も失せてくるというものだ。
それに夕月とこうして歩くのは嫌いでは無い。小さな掌を通して「好きだ!」と強く伝わってくるような気がするのだ。夕月にもそう伝わっているのだろうか、などと考え出すと顔が熱くなる。
そもそもの話、楓は交際経験が乏しい。というより夕月が初めてなのだ。だから一般的に交際している男女がどのように仲を深めていくのか、そんなことは知る由も無い。
ただ自分が思ったように動いているだけであり、それを端から見て交際と呼べるものなのかどうか、考えてみると疑問である。
そんなこんなで楓の頭の中は、さらにグチャグチャになってしまった。「今考えても無駄だな」と一先ず思考を停止する。
そんな楓の様子には気付かない夕月は、相変わらず幸せそうな笑顔を浮かべながら歩いている。だが歩き方に違和感を感じた。
(ん? こいつもしかして)
よく見ると夕月の額にはうっすらと汗が滲んでいる。表情は変わらないが、些細な違和感にすぐに楓は気付いた。
足を止めると夕月に背を向けてしゃがむ。
「乗れ」
「……え?」
「早くしろ、おんぶだよ」
「……なんで?」
「隠そうとしてもダメだ。さっき転んだ時に足捻っただろ? さっさと乗れ。押し問答の時間は無駄だ」
夕月は「ばれたか」と申し訳無さそうな表情を作ると、躊躇いがちに楓の背中に手を伸ばす。ゆっくりと体重を預けると、後ろからしっかりと抱きついた。
「近くに公園あるからよ、とりあえずそこ行くぞ」
「……うん……ごめん」
「謝るな、気にしねえよ別に。つーかもっと食え、軽すぎるぞおまえは」
「……ありがとう楓」
「あぁ」
短く返事を返すと公園に向かって歩き出す。
周りの視線は気になるが全てを無視する。視線よりも気になるのは背中に当たる柔らかな感触。自然と心臓の鼓動が早まる気がした。
信頼してくれるのはありがたい事なのだが、もう少し自身の価値というか、持っている武器を把握しておいてもらいたいところである。
そんな楓の苦悩など関係無しに夕月は話し掛けてきた。
「……楓……ドキドキ……してる」
「あぁ、鼓動止まったらあの世行きだからな」
「……ふふ」
「あ? 何だよ」
「……ツンデレ……さん」
「知るか! バカが」
口調を荒げてみても効果は薄い。お互い顔が見えていないはずなのに、今の夕月の表情は簡単に想像できる。「見えなくてよかった」と心の内で呟いた。
ベンチに着くと夕月を座らせる。
「脱げ」
「……おぉ……大胆」
「いいから足を見せろ」
「冗談も通じない」とぶつくさ言いながらも楓の指示に従う。幸い今日はショートパンツだったため、脱ぐのは靴と靴下だけだ。
透き通るような白い肌をずっと見ていると、変な気分になりそうだがそこは堪える。
「見事に腫れてるな。ちょっと触るぞ」
「……汗かいたし……汚いよ?」
「んなこと知るか」
右足首は思ったより腫れていた。優しく触りながら怪我の程度を確認していく。
「こうすると痛いか?」
「……少し」
「こっちは?」
「……痛くない」
どうやら骨は折れていないらしい。湿布を貼ればすぐに治りそうな怪我で安心した。もし骨に異常があったのなら……想像すると顔が引き攣るのを感じる。
合法的にべったりとくっつく権利を得た夕月はどうなるのだろうか。
(決まってる。遠慮無しだこいつは)
嫌では無いものの、精神的に疲労しそうなのは間違い無い。安堵から胸を撫で下ろす。
「とりあえず骨は折れてねえな。湿布貼ればすぐ治りそうだ」
「……いや……折れてる……バキバキで……ある」
(こ、こいつ!)
「折れてねえよ!! ……折れてるなら明日は病院だな。気をつけて行ってこい。残念だが別行動になるな」
「……今……骨くっついた」
「おまえの骨は磁石か何かか?」
呆れ顔の楓に対し、夕月はなぜかドヤ顔である。
「とりあえず近くの薬局行ってくるからよ。ここでじっとしてろ、すぐに戻る」
「……私も」
「ダメだ。おとなしく待ってろ」
「……むう」
申し訳無さそうに笑う夕月の頭にぽんぽんと手を乗せる。「待ってろ」と一言残すと背を向けて走り出した。
最寄りの薬局とはそれほど離れていない。せいぜい1㎞といったところか。なるべく夕月を一人にしたくはなかったので全力で走った。
――――――――
「はぁはぁ……結構、ハードだったな」
手提げのビニール袋には湿布とテーピングテープ。ついでに氷も買ってきた。楓の家であれば治療道具は揃っていたのだが、夕月を置いて戻る訳にもいかないため、おそらくこれが最善であろう。
公園の入り口まで着いた楓は、夕月の待つベンチまで息を整えながら歩いていく。
見えてきたベンチに座っているのは夕月……そして隣に見知らぬ男。怪我でその場を動けないのをいいことに、隣に座って肩に手を回そうとしている。夕月は何度も払い除けているが、それでも男は諦めていない。
その光景を見た瞬間に走り出していた。
血が沸騰するように熱い――。
ベンチの前に着くや否や男の腕を掴み、強引に引っ張って立たせた。
「な、なんだよおまえ!」
「こいつの彼氏だよ」
「離せよ。へへ、いい女じゃん。引っ込んでな! 俺が可愛がってやるから」
「……死ね。ゴミが」
男の腕を掴んだ右手に力を込める。みしみしと締め付けられるその痛みに、男は苦悶の表情を作る。
「痛えな。離せよっ! ……ひっ!」
目の前の男を睨めつける。冷たく凍りそうな瞳で「殺してやる」と本気で威嚇しながら。
普通では無い楓の様子に、男は強気一辺倒だったその態度を軟化させる。打って変わって下卑た笑顔を作った。
「他の女探すよ。ゆ、許してくれ」
「あ? 逃がすかよ。死ね」
手を離すと男を突き飛ばして距離を取った。二つの拳を目の前で構えると、スタンスを広げて腰を落とす。左ボディブローを打ち込もうとしたその時だった。
「ダメ!!」
その声を聞いた途端にピタと拳を止める。
「……楓……ダメ」
「…………チッ」
夕月の言葉に制止されゆっくりと拳を下げる。
「……失せろ。今すぐ視界から消えろ。二度とあいつの前に現れるな。破ったら徹底的に壊してやる」
男はブンブンと首を縦に振ると、逃げるように走り去った。
楓は夕月の正面に立つと、しゃがんでその顔を確認する。
「相変わらずモテるなおまえは。大丈夫だったか? 何かされてないか?」
「……大丈夫……ちょっと肩に……触れられた……だけ」
「チッ! 触ったのかあいつ。やっぱり殴っておけばよかった」
「……ふふっ……心配?」
「当たり前だろうが」
嫌な目に遭ったというのに夕月はどこかうれしそうだ。ちょいちょいと小さく手招きをする。
「何だ?」と思いつつも顔を近付けると力一杯抱き締められた。
「……大好き!!」
「そうかよ」
夕月らしくない大声。
わざと素っ気なく返してみても、動悸は激しくなる一方だ。
それにしても先ほどの自分自身の行動に驚いた。夕月に止められていなければ躊躇無く拳を振っていただろう。止めてもらってよかったと、そう思うのだが……妙な感覚が残った。
何と説明したら良いか――。
不思議と夕月を守るためなら誰にも負ける気がしない。そんな気がしたのだ。
些細な……だが大きな心境の変化に楓はまだ気が付かない。
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