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55 それなら私が癒します

いつも読んでいただきありがとうございます!

すこーしシリアスシーンが続きます。

 

「あんた! どうしたのよその手!!」


 開口一番に響がこう言うのも無理の無い事であった。楓にとってはある意味、命より大事な拳を痛めているのだ。

 尋常では無いであろうその様子を悟ったのか、陽に目配せをする。


「ちょっとあってな。見た目ほど酷い傷じゃねえよ。骨はいってないし薄皮が裂けた程度だ」


 優しく労わるように傷付いた手を包み込む小さな手。そんな事をするのは説明するまでも無く夕月である。

 心配そうに楓の拳と顔を、視線が行ったり来たりしている。

 その様子を見ると僅かに胸が痛む。


「…………大丈夫?」

「あぁ。大丈夫だ、心配すんな」


 平静を装うものの、その動揺を完全には隠せていない。楓らしく無いと言えばいいのだろうか。

 普段の傍若無人で不敵な雰囲気は、今はひっそりとなりを潜めている。

 そんな楓の様子を夕月が見逃すはずも無かった。いや……夕月だけではない。陽も響もその深刻さは敏感に感じ取っている。それほど今の楓は痛々しい。


 皆どのように声を掛けたらいいのかわからない。理由を聞こうにも、素直に全てを話すような性格ではないことはわかっているのだ。


 そんな重苦しい空気の中で動いたのは陽だった。


 夕月と響を連れて、少しだけ楓と距離を取るとゆっくり口を開く。


「楓は……ちょっと疲れちゃったんだ。今まであいつはさ、一直線に全力で走ってきたんだ。だから少し休ませてやろう」


 響は口元に指を当てながら難しい顔をしている。「確かにね」と小さく呟いた。


「あいつね。まぁわかると思うんだけど……昔から異常なぐらい努力してきたの。強靭な心と身体、そこに才能まであるんだからズルいわよね」


 自嘲しているようにも見える響は、ゆったりと言葉を紡いでいく。


「だからわかるの。ずっと見てきたから。…………あいつの心を折ったのは駿河慧、そうでしょ?」


 そう言い切った響に、陽は一瞬だけ険しい表情を作った。だが、一つ息をつくと小さく頷いた。



 ――楓が負けた。



 実際にはその場には居なかったのだから、確信がある訳では無い。

 だがそれでも楓の様子を見ると、そう思ってしまうのも当然であった。そしてそれはきっと的を射ている。


 その事実を知ってしまった夕月は震えていた。明らかに顔色が悪い。



 夕月は考えていた。



 ――楓が負けたのなら、それは私のせい? 私は足枷?


 ――私は邪魔?


 ――私は……楓と一緒にいてはいけないの?



 一度考えてしまうと、悪い方向へと墜ちていく。


 だがそんな様子にいち早く陽は気付く。話さなくてもわかるのだ。夕月の性格ならきっとそう考える、そのように予想もしていた。だからこそ迷わず告げる。


「夕月さん。今考えてる事……間違ってるよそれ。大丈夫! あいつがバカな事考えたら俺が殴る。あいつにもそう伝えてる。大丈夫だよ、復活したら前よりずっと強くなるに決まってる」

「…………でも」


 それでも夕月の不安は拭えない。

 怖かった。

 楓のいない日常などもう考えられないのだ。拒絶されたのならもう生きていられない。


 気を抜くと零れそうな涙を、必死に堪えながら陽を見る。

 陽はそんな夕月の心の内を見透かすように続ける。


「ただ傍にいて欲しいんだ。一人にしないでやってくれ。どっか飛んでいかないように捕まえてて。あいつなら大丈夫! すぐに元通りさ!」

「……うん」

「ま、あいつならすぐに立ち直るでしょ。たまにはそういう経験も必要なのよあいつには。私なんてそんな経験ばっかりしてきたもん」


 苦笑いしながら、少し懐かしそうに響は話す。


 響はこれまで壁という壁全てにぶつかってきた。だからこそ今の楓の気持ちが痛いほど理解できる。

 自分が苦しかった時、傍には楓がいてくれた。叱咤激励は厳しすぎるものであったが、それでも一人ではなかった。

 だからこそ思うのだ。今の楓を決して一人にしてはならないと。幸いにも今は夕月という彼女がいる。

 ならばきっと大丈夫。立ち直るはずだと確信している。


 世間では天才は打たれ弱いと言われたりもする。

 だが、楓にそれは全く以て似合わない。「そんなタマじゃないな」と自然と笑みも零れる。


「練習に身は入らないだろうからさ、夕月ちゃんが行きたい所に連れ回しちゃえ! ウジウジ考えてるよりずっといいよ」


 そう言いながら響は夕月の頭に優しく手を乗せる。


「……響ちゃんの……手……楓みたい」

「ふふっ、何言ってんのよ」


 どうやら夕月にも元気が戻ったらしく、普段通りの愛らしい笑顔を浮かべている。心の靄も僅かに晴れており、どうやって楓を元気付けようかと考えているようだ。

 そんな二人の様子見て、陽はほっとしたように胸を撫で下ろした。





 ◇ ◇ ◇



 帰りの電車の中。


 隣り合わせに座った楓と夕月は、指を絡めてしっかりと手を繋いでいた。

 物凄い数の視線を受けるわけだが、楓は車内の床を見つめてまま微動だにしない。夕月は意に介さずニコニコとしている。


 繋いだ手は夕月の太ももの上だ。

 その手を幸せそうに見つめているものだから、周りで見ている者にはたまったものではない。

 いつもなら楓が振り解くのだが……今はされるがままだ。なんならキスしたとしても怒らないかもしれない。


 いつもと違う楓も、それはそれでいい! 気にしないのなら、限界までベタベタしてやろうと夕月は息巻いている。

 なぜなら傍に居られるのは彼女の特権なのだから。それに……傍若無人で強気な楓もいいが、今の静かな楓も悪くない。そう思うと嫌でも元気が出てくるものだ。



 ――色んな表情を見せて。悲しい顔も、嬉しい顔も、怒った顔も……私はそんなあなたの全てが好きです。



 夕月は心の中でそう呟くと握った手に力を入れた。そのまま楓に身体を寄せると、肩に頭を乗せた。


「ははは、なんてバカップルだよあれ」

「いいのよ。夕月ちゃんの好きにしたらいいのっ!」


 少し呆れた陽と満面の笑みの響は、二人とも少し安心したように対面の楓と夕月を眺めていた。





 ◇ ◇ ◇



「で、何でおまえは帰らねえの?」

「……泊まる」

「いや、ダメだろ」

「……今日は……何言われても…………帰らない」


 普段であれば無理矢理にでも家に帰す。事情があれば泊めるのも吝かではないが。

 しかし、どうやら決意の固そうな夕月の様子は、普段よりは明らかに強気であった。その勢いに圧された、と自分の中で言い訳をして首を縦に振る。


 正直なところうれしかったのだ。


 一人になってしまうと、どうしても悪い事ばかり考えてしまう。だから夕月が一緒に居てくれる、それが今は心強かった。

 目の前の少女が堪らなく愛おしく見える。弱った心には尚更そう見えたのかもしれない。


 楓が承諾すると、夕月は弾けるような笑顔を見せながら胸に飛び込んできた。


「お、おい」

「……へへ」


 背中に細い両腕を回すと、ギュッと抱きしめてきた。

 少し間を置いてから、楓も夕月を優しく抱きしめる。


 伝わってくるその体温に何故か泣きたくなった。だがそれ以上に酷く安心した。



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