35 その想いの意味は
夕月は今浴室にいる。
楓のハーフパンツとTシャツを渡して浴室に押し込んだ。
先ほどの自分の行動を猛省する。
(なにやってんだ俺は。ダメだろうが)
少し憂いを帯びた表情。艶のある唇を思い出すと顔が熱くなる。
おそらく夕月が何も言わなかったらそのまま唇を奪っていた。それどころか押し倒して行くところまで行っていただろう。
自分の意思とは関係なく動く身体。いや、これが自分の意思なのだろうか。
(…………)
ずっと不幸のどん底で生きてきた少女。だから尚更簡単には手を出せない。夕月は幸せにならなければいけないのだ。何があっても。
どうしたらいいのかわからない。
(はっ! 俺が他人のことでこんなに悩む日が来るなんてな。笑えねえよ……)
壁に頭をぶつけて自嘲する。強くやりすぎたのか額からポタポタと血が流れ落ちる。
「……楓!!」
浴室から夕月が戻ってきたようだ。楓の前に駆け寄ってくると、心配そうに顔に手を伸ばす。
「……血……どうしたの?」
「ん? ああ……そうだったな。そうだ血出てたか」
「……そこ……座って」
「あ? 別にこんなもんたいしたことねえよ」
「……いいから……座って!!」
夕月らしくない大声に気圧される。のろのろと床に座る。
部屋に置いてある治療箱を持ってくると楓の顔に手を伸ばす。
「……身体……大事にして……心配」
小さく消え入りそうな声は静かな室内では澄んでよく通る。
夕月は本当に心配しているのだろう。
風呂上がりの頬は上気し桃色に染まっており、唇も水っぽく潤んでいる。濡れた髪の間から覗く潤んだ瞳。その視線に射抜かれると目が離せない。
女性特有の色気を放つその姿は、いつもの夕月とは空気が明らかに違う。
「なあ。夕月」
「……なに?」
「……いや、なんでもない」
「…………変なの」
気がつけば深夜1時を回っていた。楓も夕月も今日は色々とありすぎた。疲れもピーク、もう就寝することにする。シャワーを浴びるのも億劫になり、そのまま床に敷いた布団に入った。
すると隣に夕月が入ってくる気配がした。
「おい! ダメだって言ってんだろうが!」
無言のまま抱きついてくる。背後から躊躇いがちに手を回された。
「……あったかい……お願い……このままで」
「……今日だけだからな!」
目を閉じる。夕月の視線を感じるがそれよりも眠気が勝った。数分後には夢の中へ。静かに寝息を立てる。
その楓の様子を確認すると夕月はゆっくり起き上がる。
「……楓」
小さくその名を呟くとゆっくりと顔を近付けていく。
唇を重ねた。
顔が熱い。動悸が酷い。飛び降りる直前のあの時よりずっとドキドキしている。
「……私の……初めて、だよ? ねえ……楓も……初めて?」
その声は届かない。自嘲し悲しく笑う。
楓は自分のことをどう思っているのだろうか。やっぱりまだ友達なのだろうか。
恋愛感情に変化するにはまだ時間がかかるのだろうか。
「……早く……好きに……なって」
懇願するように小さく呟く。そして悲しくなる。
楓がいない日常を想像してみる。締め付けられるように胸が痛くなる。そうなるくらいなら死んだほうがマシだと夕月は思う。
愛しいその人。顔に触れる。暖かい。
「……楓……大好き」
期待と焦燥が混ざり夕月は困ったように笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇
「おい。起きろ。苦しい」
現在の時刻は6時。寝苦しいのは暑さのせいだけではなかったようだ。
覆い被さるように楓の上で夕月が寝ていた。仰向けの楓に、うつ伏せの夕月。対面のまま重なっている状況。
「暑い。こいつ暑くねえのか?」
楓の胸で涎を垂らして寝ていた。
(こ、こいつ)
幸せそう……いや、アホ面という表現が近い。どんな夢を見ているのかニヤニヤしながら寝ている。
肩を叩くと、ゆっくりと瞼を上げる。一度楓を見るとまた目を閉じた。
「おい! また寝ようとしてんじゃねえよ」
「…………」
明らかに起きている。なぜなら瞼がピクピク動いている。
「ほー。無視か」
両手で両頰を引っ張る。
「……いひゃい」
手を離す。
「……いたい」
「おまえが悪い。どけ」
「……わがまま」
ぶつぶつ文句を言いながら起き上がった。不満そうに楓を睨む。すると何かに気付きニヤニヤと笑う。
「……楓……胸のとこ……涎……ふふ」
「おまえの涎だよバカ!!」
「……おお」
「おお、じゃねえよ。グチャグチャじゃねえか!」
「……歯磨き……した」
「そういう問題じゃねえ」
脱いだシャツで夕月の口元を拭く。
「……うむ……楓の……匂い」
「だろうな。俺が着てたしな」
「後は自分で拭け」とシャツを投げ渡すと、嬉しそうに顔を埋めている。見ないことにした。
◇ ◇ ◇
今日のロードワークは中止だと響には伝えてある。昨日のこともあり、楓自身も身体を動かす気になれなかった。頭の中を整理する時間が必要と感じた。
(不本意だが……仕方ねえよな)
夕月からスマホを借りる。連絡先一覧から目的の人物を見つけると電話をかける。
『もしもし。夕月さん?』
「俺だ」
『……楓? おはよう! 夕月さん大丈夫なのか?』
電話の相手は陽。その様子からすると、響から既に聞いているらしい。もっとも詳細はわかるはずもないが。
「夕月は大丈夫だ。おまえこれから暇か?」
『夕月さんが元気ならよかった! 時間はあるけどどうして?』
「……相談がある。悪いが聞いて欲しい」
『……初めてだなおまえがそんなこと言うの。いいに決まってる!! いくらでも聞く!!』
どうしたらいいのかわからなかった。誰かに全てぶち撒けてしまえば、何かわかるのではないかと思った。
その時、頭に真っ先に浮かんだのが陽だった。照れ臭いから本人には言わない。だから心の中で感謝した。
「すまん」
『なんで謝るんだよ! 俺はうれしいぞ! じゃあおまえの家の近くの喫茶店でいいか? 今から向かうけど』
「ああ。頼む」
通話を終えると夕月にスマホを渡しながら話しかける。
「なあ夕月。悪いがちょっと待っててくれ。多分……帰ってきたら話すことがある」
夕月は不思議そうに首を傾ける。だが少し考える素振りを見せると小さく頷く。
「…………わかった……待つ」
「悪いな。じゃあ行ってくる」
「いってらっしゃい」という声を背に受けながら玄関を出た。
陽の待つ喫茶店に向かう。
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