3 少女は一緒に食べたい
左右のパンチを確かめるように丁寧に繰り出していく。シャドーだから相手は勿論いない。イメージで対戦相手を作って戦うのだ。相手の左をダッキング(下に潜り込む)で避け左ボディ、そこから右フック。様々なコンビネーションを繰り出していく。
その様子を見ている夕月は目が離せないようだ。流れるようなシャドーは素人目にみても綺麗である。
会長が夕月の隣に立った。
「どうだい夕月ちゃん。うちの楓は凄いだろう?」
「は……はいっ! と……とても……とてもカッコイイ……です」
自分が思っていたより興奮していたことに気付いて恥ずかしかったのか、顔を染め無言になった。それでもその大きな瞳はじっと楓を捉えて離さない。
「あいつは天才だよ。間違いなくチャンピオンになれる器さ。でもあいつはそのために色々犠牲にしすぎてんだよなぁ。追い込みすぎっていうか」
「……ぎせい?」
「普通の高校生はもっと笑顔で遊んでいるだろう? だけどあいつはひたすら走って、サンドバッグを叩く毎日だ。だからね、さっき夕月ちゃんが来た時は泣きたいぐらいうれしかったんだよ」
「…………」
「これからもあいつと仲良くしてやってくれ。なんなら彼氏に貰ってくれてもいいんだぞ?」
「…………ふぇ?……か、かれし?」
みるみる顔が紅潮し固まってしまった。会長はというとそれを見てニヤニヤしている。
そんな二人のところに練習を終えた楓が来た。
「会長。あんまり小日向をいじめないでくださいね」
「ははは! いじめてなんかいねえよ。将来の話をしてただけだ」
夕月はあわあわと会長の口を塞ごうとしている。息の根を止める気なのだろうか。よしやれ許す。
「まぁ小日向。からかわれたんだよおまえ」
「あんまり可愛いもんだからついなぁ」
「…………ひどい」
なんだかんだ騒がしかったが、終わってみると夕月もなかなかにジムに打ち解けたようだ。帰り際も「また遊びにきてねー!」と盛大な見送り軍団が出てきたが笑顔で手を振っていた。
根は素直でいい奴だから勘違いされない限り嫌われはしない。学校でもその笑顔でいればいいのにと思ってしまった。夕月は友達が欲しいのだ。感情を、言葉を伝えるのが少し下手なだけでその心は澄んでいて純粋である。少し変わったところもあるが、それすら夕月の魅力を引き立てるプラス要素になってしまう。
「どうだ? 楽しかったか? バカばっかりだけど」
「…………とても……楽しかった」
笑顔で見上げてくる夕月を見て、それは本音だとすぐにわかった。色々悩んだが連れてきたのは正解だったようだ。
「ランニングも禁止されたし時間あるから家まで送っていくよ。暗いし危ないからな」
「…………でも……それはなんか……悪い」
「別にいいぞ気にすんな」
夕月の返事を待たずに楓は先に歩き出す。もとより嫌だと言われても送っていくつもりだった。この美少女を置いていくのは危険すぎる色々と。
タタタタと早足で楓の隣に並ぶ。
「……じゃあ…………おねがい、します」
「おう。おねがいされた」
帰り道はお互い無言だった。だが居心地が悪いということは無く、むしろ楓にとっては心地の良い空気だった。
歩いていると視界の下の端に入ってくるピョコピョコ動く頭、それを見て思わず笑ってしまう。なんで楓が笑っているのかはわからないだろう。だがその楓の笑顔を見てつられるように夕月も笑顔になる。
(こいつと友達か……悪くねえ。あぁ悪くねえよな)
帰り道はただただ楽しかった。
◇ ◇ ◇
夕月の家、その外観を見た楓は驚いた。紛れも無く豪邸である。大企業の令嬢ってことは聞いていたがまさかこれほどとは。キョロキョロと見ていたら夕月に声をかけられた。
「…………送って……くれて……ありがとう」
「いいぞ気にすんな。友達だしな」
夕月の口元がほころぶ。
「…………あがって……お茶……でも?」
「いや、それはまたの機会にしとくわ。こんな傷だらけの顔だし。時間もアレだしな」
「……わかった…………じゃあ今度……来て」
「おう。じゃあまた明日な」と一言。手を振ると来た道を戻って歩き出した。が、腕を引っ張られ引き止められた。
「ん? どうした?」
「…………」
チョイチョイと手招きされた。耳を貸せということらしい。膝を曲げて顔を近づける。
「…………今日……とっても……カッコよかった……よ?」
「じゃあ……また明日」と一言残し逃げるように家に入っていった。
「……なんなんだよあいつはほんとに」
その口調とは合わない照れ笑いを作った。
◇ ◇ ◇
翌日教室に入るとニヤニヤした陽が待っていた。何を言いたいのかは聞かなくてもわかる顔だ。
「で! 夕月さんとはどうなった?」
「あぁ、小日向とは友達になった」
「へ? 友達?」と虚をつかれたような顔をしている。でもすぐに「あぁ! 友達からってことか」と変に納得している。
「おまえが何を考えてるのかは知らないが、ただの友達だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「ふーん。ただの友達ねぇ。そうなの夕月さん?」
陽が楓の背後に話しかける。振り返ると少しムッとした顔をした夕月がいた。背中をポカポカと叩かれる。痛くはない。どうせなら肩を叩いて欲しいものだ。
「おはよ小日向」
「………………おはよう」
(うーん、なんか微妙に機嫌が悪い?)
「どうした? 怒ってるのか?」
「……怒って、ない」
少し考える。どうもご機嫌斜めのようだ。楓は決して友達が多いわけではない。特に異性の友達なら尚更だ。その感情の動きなどは未知の生物に見えてくる。わからないことは直接聞く。それが楓流。
「よくわからんが怒ってるのは俺が原因なんだろう? どうすれば許してくれるんだ?」
夕月は腕を組み考えている。その様子を見て楓と陽は思わず笑ってしまった。本人は大真面目なのだろう。だけど仕草の一つ一つが無駄に可愛くて微笑ましくなる。好意を寄せる男が後を絶たないのも納得だ。
「おい楓。夕月さんってこんな可愛い生き物だったの? 俺キュン死しそう」
「お? そうか。いつ死ぬの?」
「おまえ……こんな子と仲良くなって何か思わないのか?」
「ん? いい奴だなーって思うぞ」
「ダメだこりゃ」と陽は呆れている。そうこうしてると夕月が楓をじっと見つめているのに気がついた。
「お、何か思いついたか?」
「…………」
じっと見つめたまま無言。楓も夕月を見つめてじっと待つ。「この間を耐えるのかおまえは……猛者だな」と陽が言っているが気にしない。
「…………」
「…………お昼……ごはん」
「昼飯? 奢れってことか?」
「…………ち!……ちがっ!……一緒……に」
どうやら一緒に昼飯を食べたいということらしい。両指をもじもじさせながら不安そうに見上げてくる。昼を一緒に取るのは楓としては構わないのだが、周りからの反応とかそういったものは大丈夫なのだろうか。
「俺は別にいいけどよ。小日向は大丈夫なのか? 俺と一緒だと評判落ちるかもしれねえぞ?」
「……評判? ……よく……わかんないけど……気にしない、よ?」
「いいんじゃね別に。俺も毎日楓と一緒だけどそんなの気にしたことないし。というか俺も一緒していい?」
「……ともだちの……ともだちも……ともだち……です」
「いいってよ」と解説すると陽は「やったぜ!」と大袈裟に喜んでいる。友達が増えるのはいいことだからな。まして陽なら超おすすめだ。見かけで人を判断しない。実際に話してみて仲良くするかは自分で決めるらしい。チャラい見た目とは違いしっかりと芯が通っている。
そして、その夕月の言葉に教室中の男子もどうやら聞き耳を立てていたらしい。ヒソヒソと色々聞こえてくる。
「おい。神代と友達になれば小日向さんに近づけるらしいぞ」
「誰か試しに行ってこいよ」
などなど随分と勝手なものである。まぁそんな邪な目的で近づいてきた奴など楓は相手にもしないが。
「一気に人気者だな!」と背中を叩く陽に「勘弁してくれめんどくせえ」と返した。
予鈴が鳴ってたのを聞くと夕月は軽く手を振って教室から出て行った。
「今手振ったよな? 俺見てたよな?」
「は? おまえなんか見るかよバカか?」
夕月ってほんと人気あるんだなー、と他人事のように楓は眺めていた。