24 優しく伝えるように
2Rのゴングが鳴った。その時だった。
「そこまでだ。ちょっと待て」
ストップをかけたのは藤原あずみ。成瀬に「すまんな」と言うと楓に近寄る。
パン!
頰を叩かれた。
「おまえは何をやっている。この大馬鹿者が」
突然の事に思考が追いつかない。夕月や陽、響。部屋にいる者皆が驚いて時間が止まる。
リングから無理矢理降ろされて部屋の隅へと連れていかれる。夕月達も心配そうについていく。
あずみは楓を見つめるとため息を一つ。諭すように話し始めた。
「おまえはこの三人の表情が見えないのか? こんなに心配させて……何がチャンピオンになるだ。笑わせるな」
「俺の問題ですよ。先生には関係無い」
「このバカが」と呆れている。
「いいか。おまえはどうしてチャンピオンを目指している。そのきっかけを作ってくれた者は、今のおまえのように感情に任せて拳を振っていたか? ボクシングの楽しさを教えてくれたのではないのか?」
「チャンピオンは特別だろう? 様々な者がその姿を見て夢を見るんだ。今のおまえにその資格は無い。どんなに挑発されようと振る舞いには格というものが求められる」
楓の表情を見ながらゆっくりと話し続ける。
「明らかに自分より劣る者を感情的に一方的に嬲るなど。そんなものはボクシングではない。ただの弱い者イジメだ」
「だったらどうしろって言うんだよ! 俺はこの方法しか知らない! 勝手な事を言うな!」
「……強さを相手に理解させる方法はただ破壊するだけか? 違うぞ。力の差があるなら指導するようにわからせてやったらいいではないか。これは本番ではないだろう? それも強者の努めだ。ただ倒すのではない。相手にも自分の強さを納得させろ」
楓は黙りこむ。あずみの言っていることは理解できているのだ。昔自分にボクシングを教えてくれた奇妙なおっさんは常に笑顔だった。楽しそうに拳を振っていた。憎まれ口を叩きながらも楓の将来を楽しそうに語っていた。
それを見て、感化されて今の自分がいる。わかっている、わかっているが感情が暴走してしまった。そういうところがまだ楓は幼い。あずみはその未熟な部分を指摘してきたのだ。
相変わらずあずみには敵わない。苦手ではあるがやはり教師なのだ。
「理解したな? そういう顔だ。忘れるなよ? ボクシングはただの壊し合いではない」
楓はゆっくりと頷く。
「よし! では再開だ。第2Rだろう? 行ってこい。お互いヘッドギアはつけるように」
あずみに背中を押されてリングに戻る。成瀬も楓もヘッドギアをつけさせられた。
圧倒的な強さを見せつける。ただ壊すのではない。優しく指導するように。どれだけ憎い相手でもそれをやり切るのだ。それが強者だ。
「ほんっと世話の焼ける奴よね。頭にグローブ入ってるんじゃない?」
「……いつもの……楓だ」
夕月も嬉しそうだ。ニコニコしながら楓を見つめている。楓も夕月達の方を見ると笑みを浮かべた。
目を瞑り拳を振る。思い出すように。
(たしかこんな感じだったかな。あのおっさんの左。少し内側に捻るように、相手のアゴの先端を撃ち抜くんだ)
昔を思い出しながら拳を振っていると自然と笑みが溢れてくる。不思議な感覚だ。懐かしくて少し嬉しい。
第2Rのゴングが鳴る。
オードソックスに両拳を構えるとタンタンとリズムを作っていく。その様子を見て成瀬も拳を構える。
成瀬が左を伸ばしてきた。楓はそれを右手で抑えると左を振る。
パン! と軽い音が鳴ると成瀬は仰け反って後退する。相手に合わせて加減した左だ。お手本のような綺麗な左。
「すっげえなあいつ!」
陽も興奮を抑えきれないのか、前のめりで見入っている。部屋の他の部員も同様だ。そのボクシングの美しさに魅入られたように目が離せない。
(相手の左を肩に乗せるようにして右を振り抜く。こうだったかおっさん?)
成瀬の左に合わせて右のクロスカウンター。
「はっはっは! ライトクロスか! さすがだな神代!」
脚を組んで座っているあずみも上機嫌だ。
高等技術のオンパレード。明から盗んだものを思い出しながら振っていった。不思議と久しぶりに明と会話しているような感覚になった。
終わってみると楓の判定勝ち。満場一致で文句のつけようがない。
スパーリングが終わると成瀬が近付いてきた。少し申し訳なさそうな表情を作りながら。
「神代。おまえは強いな。死ぬほど悔しいが俺の負けだ」
「俺も久しぶりに楽しかったです。ありがとうございました」
(そうだ。楽しかったから始めたんだったボクシング)
お互い握手をすると険悪な雰囲気は霧散した。スポーツとはこうあるべきなのだろう。
思い出したように楓は小声で成瀬に話す。
「夕月はきちんと告白すれば返事はしてくれると思いますよ。彼氏はいないです」
「……おまえがそれを言うな!」
苦笑いを浮かべながら成瀬は楓の胸を軽く叩いた。
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