226 理不尽な拳骨
ちょっと更新遅れてしまいました。
シャワーを頭から被りながら彼女は考えていた。
男女の仲を進行させるにはどうしたらよいか、相手が楓なので一筋縄でいかないことは分かっている。
しかも、楓はそういうことは結婚後にすると宣言していた。それはもちろん正論だし立派な考えだと思っているが、夕月としては今すぐでも良いのだ。
遅いか早いかの違いだし、高校生同士ならそんなことがあってもおかしくはない。仮に万が一が現実になったとしても、しっかり頑張っていく覚悟はある。
そもそも夕月の相手は楓が最初で最後なので、なにを躊躇う必要があるのか――。
勢い良く浴室から飛び出した夕月は、バスタオルを被るようにしながら下着をつける。そしてパジャマを手に持ったまま飛び出した。
「……だいじょぶ!」
「なにがだよ!! 全然大丈夫じゃねぇから服着ろボケ!!」
夕月の下着姿を目の当たりにした楓は「早く着ろ」とガチめに切れており、渋々パジャマを装着する。
「あーあー。きちんと拭いてから出てこいよ。廊下びひゃびちゃだ」
「……」
二人で廊下を拭きながら、それでも夕月は諦めていない。先ほどキスをした時に楓も顔は真っ赤だったので、なにかきっかけさえあればいけるはずだ。
今日は一緒のベッドで寝ると約束しているが、これまでの経験上どれだけ迫っても楓からは手出しはしないだろう。
「じゃ、俺も風呂入ってくるわ」
以前、楓がシャワー中に突入したこともあるが、その時は地獄のゲンコツが待っていた。本気で切れたボクサーのゲンコツは思った以上に痛い。
ベッドに座りながら歯磨きをして、なにか方法がないか考えた。
そして妙案を思いついてしまう。
「……押して……だめなら……引いて……みろ…………うむ!」
急いで歯磨きを終わらせると、再びパジャマを脱ぎ捨てた。そして電気を消してベッドに横になる。さすがに下着姿は恥ずかしいので肩の少し下までブランケットを被った。
そしてこの体勢のままで目を瞑って寝たフリだ。
それでも襲うことはないだろうが、楓も男なので少しぐらいは身体に触れてくるだろう。まさにその瞬間にカウンターを放つ。そのままわちゃわちゃしてしまえばこっちのものだ。
完璧な作戦を携え、彼女はじっと楓を待つ。
――――――――――
――――――――
――――――
――――
――
―
「……………………んぁ」
「なんだ寝てんのか。つーかなんでまた脱いでんだよ。寝相は酷いし」
口の端から涎を垂らしつつ、時々「ふへ」などと漏らしながらニヤニヤしていた。
あれだけ楽しみにしていたので、先に寝ていたのは意外だったが正直ありがたい。
「あー……めんどくせー。でも風邪ひくしな」
パジャマを着せるのも面倒なので、持っているTシャツで一番大きいものを頭から被せると、なにかと苦労しながら太もものあたりまで下ろすことができた。
なにせ途中の凹凸が邪魔なうえ、直視する訳にもいかないので大変な作業だった。それでも幸せそうに寝ている顔を見ているとだんだんとイライラしてくる。
「…………うひ」
「こいつ」
思うところはあったものの、寝ている人に怒っても仕方ないのでとりあえず隣のスペースに横になった。もう一枚のブランケットを自身の身体にかけると、隣で眠る夕月の顔を見る。
こうして静かに眺めるのは久しぶりな気がした。
というか、探せばいくらでも機会はあったのだろうが、あえて見てこなかったというのが正しい。それは楓自身の照れ隠しなのだが、実際には夕月にも多少はバレていると思う。
それにしても、どれだけ見ていても飽きない顔だ。
ただ単に美人なだけではこうはならない。最上級でありながらアホっぽさがあり、見ている人を幸せな気分にさせる表情だった。
(そこが可愛いところ、か)
そのままじっと見つめていたら、引き寄せられるように自然と頬に手が伸びる。そしてそこは涎まみれだった。
「……汚いとは思わないけどよ。どうなんだこれは?」
ブランケットで軽く拭うと、夕月の頭の下に手を入れて少し持ち上げる。そのまま腕を差し込んで腕枕をしてやった。
これだけ寝相が悪いのだから、どうせ寝ている間に体勢は変わるだろう。覚えていないかもしれないが約束は約束だ。
そして、夕月の寝息をすぐ近くで聞きながら楓も目を閉じた。
◇ ◇ ◇
薄らとカーテンから光が滲み出してくると、新聞配達のバイクの音が外から聞こえてくる。さらに耳をすますと聞こえてくるのはセミやカエル、鳥などの鳴き声だった。
ゆっくりと目蓋を上げた夕月は、頬に触れている温かさに少し驚く。
「……ふむ」
楓の腕を枕にして身体ごと包まれるように眠っていた夕月は、背後から聞こえてくる息遣いを感じて思わずニヤけてしまう。
昨夜は結局先に眠ってしまって目的が果たせなかったが、これはこれで結果オーライ。意図しないと腕枕の体勢にはならないので、これは楓が自分から動いてくれたということだ。
「へへ」と嬉しくて堪らない夕月は、楓を起こさない程度に足をパタパタさせて浮かれている。
「……ほんと……素直じゃ…………ない」
静かに、だができるだけ素早く身体の向きを180°回転した。向かい合わせになると腕枕していない方の腕を取り、これまた起こさないように静かに自身の身体に巻き付ける。
そして胸の中に顔を埋めるようにして深呼吸だ。
「……楓の……におい」
多幸感に包まれながら再び眠りに落ちる。
◇ ◇ ◇
頭にできたコブを両手で押さえながら、夕月は恨めしそうに楓を睨んでいた。
一緒に寝ていたことをすっかり忘れていた楓は、目を覚ました瞬間、反射的に目の前にあった頭を殴る。
夢の中では進藤がクリンチしてきた状況で「離れろ」と抵抗していたため、そんな時に近くに眠っていた彼女は不幸だったのだろう。
とろける程に甘い空気の中、幸せに眠っていたところに突如の襲撃。なにが起こったのか理解できないまま、約一分間悶絶する。
「……とっても……痛……かった」
「悪かったって言ってんだろ」
自転車で並走する夕月からはちょくちょく文句を言われるが、ほぼこちらが悪いので平謝りだった。
そんなやり取りを繰り返しながらジムの前を通り過ぎたあたりで、偶然ロードワーク中の響と遭遇する。時刻はまだ午前六時なのだが、当たり前のように滝のような汗を流していた。
少なくとも同ジムのプロ連中より自分を追い込んでいる姿は、一般人が見るとドン引きだとしても楓は違う。
「捗ってるみたいだな」
響は両脚に手をついて息を整えながら「おはよう夕月ちゃん」と楓のことは後回しだ。これもいつものことなのでもう慣れた。
「……ねぇ、あんた減量は順調なの?」
「ん? 問題ない。もう調整期間だからロードワークも軽めにやってるぐらいだ」
それを聞いて少し悩むような素振りを見せた後「ちょっと付き合って」と有無を言わさず前を歩いていく。
「よし帰るか」
「……だめ」
面倒な予感がしたので回れ右をしたのだが、夕月はすでに響の隣に行ってしまい、嫌々ながら二人の後を追った。




