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21 溢れたものは少女が掬い上げる

 

「薄々こうなると思ってたけどよ。なにしたいんだこいつは」


 翌朝、目を覚ました楓の横には幸せそうに眠る夕月の姿があった。軽く揺すって起こす。


「……楓…………おはよう」

「おう。おはよう夕月。なぜここで寝ている」

「……トイレ……帰還……入った」


 夜中にトイレに起きて、そのまま楓の布団に侵入したということだろう。翻訳が間違っていなければ。


 だが楓が聞きたいのは経緯ではなく理由。何を目的に布団に入ってきたのかということだ。


「なぜベッドで寝ない?」

「……そこに……楓がいたから」

「そこに山があったから登る、みたいに言ってんじゃねえよ。俺は山か? 山なのか?」


 ほっぺを両手で引っ張る。


「……いひゃい」


 指を離す。


「……いたい」

「そうか」


 だんだんと目が覚めてきた夕月は、それでも朧げな意識の中で昨夜の楓の行動を思い出した。途端に一気に覚醒する。


 飛び上がるように起きるとベッドの毛布の中へ。顔だけ出すと楓を見つめる。


「急にどうした? 二度寝の時間はねえぞ」

「…………あぅ」


 唇に指をあてて顔を真っ赤にしている。泣きたいわけではないのだろうがその大きな瞳は潤んでいた。


「……楓?」

「ん? なんだ?」

「…………なんでも……ない」


 何か聞きたかったのだろうか。歯切れの悪さが引っかかる。じっと見つめていると夕月のほうから視線を逸らした。いつもの夕月らしくないなと頭に手を伸ばす。すると大きく避けるように後ろに下がった。


「……なんかよくわかんねえけど怒ってんのか?」


 何か言いたのだろうが言葉を選ぶように考えている。話そうとしているのはわかるがそれを言葉にできない、そんな感じだろうか。


 楓はため息をつくと身支度を始める。準備しながら夕月を見ると目が合った途端に露骨に逸らされた。


「俺が何かやらかしたのか? そうか……先に学校行くからよ。鍵ここに置いとく。閉めたらポスト入れとけ。合鍵はあるから気にすんな」


 そう言い残すと玄関へ向かう。靴を履いていると背中を引っ張られた。


「…………ま…待って」

「怒ってんじゃねえの?」


 首をブンブンと横に振る。楓はため息をつくと夕月が話すのを待った。


「……私も一緒に」

「別にいいけどよ。なんかさっきからおかしいぞおまえ」

「……楓が……あんなこと」


 意味が分からず困惑する。


「怒ってるわけじゃないんだな?」


 夕月は小さく頷いた。いつもは目を合わせて会話しているが、先ほどから不自然なほど目が合わない。

 嫌われているわけではないと思うが様子は明らかにおかしい。


 小柄で華奢な身体が更に小さく見えた。夕月はいつでも一生懸命だ。伝えたくてもうまく言葉が出てこなくて、それでも伝えたくて。でもやっぱり伝わらなくて。そんなことを繰り返してここまできたのだろう。


 なぜそうなったのかはまだわからない。だが本人からいつか話してくれるのだろう。そう思えば少しは優しくなれる。寛大にだってなれる。


「はあ……悪かったよ。俺がなんか大人げなかったわ」


 夕月はぽかんとして楓を見る。無防備で楓を信頼しきったようなその姿を見ると抱きしめたくなる。そんな不意に心に湧いた欲求。だがそれをするわけにはいかない。


(え? 俺はこいつに嫌われたくないのか? は? 

 意味わかんねえ)


 一人でずっと走ってきた。これからも一人でいいと思っていた。遥か先に霞んだ頂。輪郭すら見えないその頂点にあの人は立った。自分もそこに行きたい。そこに行くために全てを投げ捨てる覚悟があった。


 だがそんな日常に紛れ込んできた異物。そう、楓にとって友達などただの異物だった。自分には不要だと切って捨ててきた。


 目標を達成するには代償が必要だと思っていたから。全てを手に入れるなど傲慢だと。自分の手は全てを掬い上げるほど大きくはないと。


 だから差し出した。ボクシング以外の全てを。青春、恋愛、友情。そんなものはお前らで共有していろ、と。俺の邪魔をするな、と。


 だが夕月はそんな楓の手を無理矢理引っ張って連れて行く。日が差す暖かいところまで。小さな身体で精一杯ぶつかってくる。


 気がついたらいるのが当たり前になっていたという話だ。夕月がいない日常を想像してみる。


(それは……嫌だ)


 大きく深呼吸すると口を開く。伝えたいことができてしまった。


「なぁ。おまえは好きなやつとかいるのか?」

「…………どうして?」

「いや、いないんならよ。好きな人ができるまでは……俺と一緒にいろよ」


 夕月は目を見開く。何かを言いたいようだが言葉になっていない。どうしても伝えたいという様子が伝わってくる。カバンから日記を取り出して書き始めた。そして楓の手に開いた日記を優しく置いた。


『いいよ。一緒にいてあげる。でも私が誰も好きにならなかったら死ぬまで一緒になっちゃうね』


「はっ、死ぬまで友達とか笑えるな」

「…………友達」


 一瞬不満そうな顔を見せたがそれも一瞬。優しい笑みを浮かべる。


「……いいよ……今は…………それでいい」


 手を取ると一緒に玄関を出た。いつもは前を歩く楓だが今日は夕月が前を歩く。苦笑した楓はまあいいかと夕月の好きにさせる。

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