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178 見られては困る物

「おまえらは私をなんだと思っているんだ? 敬意を持て敬意を」


 咥えタバコで軽トラのハンドルを持つあずみの横で、楓は窓を開けて煙たそうな素振りをした。というより実際に煙いので、せめて車内では控えて欲しいと思う。


 冬吾との一件が済むと、一行が一番先に連絡を入れたのはあずみだった。平日の放課後、生徒指導室に集まった楓達は包み隠さず全てを話した。


 手放しで褒められるはずもなく、それどころか長い説教タイムに入ったのは言うまでもない。だが、最後には「まぁ良くやったな」と肩を叩かれた。教師としては一応怒らなければいけないらしい。大人というのもなかなかに面倒なものだ。


 そして、あずみに全て話したのも理由がある。夕月の引っ越しには”足”が必要だったからだ。


「しかし先生は金持ちですね。まさか軽トラまで持ってるとは」

「アホか! 借りたんだよ! レンタカーだよレンタカー!」

「それは大変でしたね」

「後で覚えていろ神代」


 退院した光と結は自宅で荷造りをし、転居先では陽が作業をしている。あずみと楓は力仕事担当というわけだ。響は部活の方がどうしても外せないらしく今日は来ていない。


 今は夕月の荷物を全て積み終えて、新たな転居先へと向かっている途中だ。光と結は先に役所に行ってくるらしい。


 夕月の退院は早く、冬吾との一件の翌日には退院していた。もともと軽い擦り傷程度の外傷だったので、一応精密検査だけしてそれで終わりだ。検査結果を待たずして退院もどうかと思うが、本人の意思を尊重するということで事なきを得る。


 あずみは窓から荷台をチラリと見ると、灰皿にタバコを押し当てた。そして小さな溜息が漏れる。


「しかし、荷物はこれだけか」


 文句を言いつつも実は気合いの入っていたあずみだったが、どうにも肩透かしを食らった気分だったらしい。夕月の荷物は軽トラの荷台半分にも満たないもので、縛ったりする必要すらなかった。荷造り用のロープまで準備していたあずみは「ははは」と苦笑いしている。


 もともと結が住んでいる家に転居するのだから、家電等の大物は必要ない。とはいえ、年頃の女子高生の引っ越しとしてはあまりに質素だろう。


「……ま、過去のことはウジウジしても仕方がないな」


 あずみはラジオのボタンを押すと、途端に男女の明るい笑い声が室内に響いた。二人とも普段はラジオなど聞かないため耳慣れないが、どうやらスポーツ関連の話題らしい。


『私もうすっごいファンなんですよ!』

『僕も期待してるねぇ。なんていうか……僕な素人だけどさ、それでも強いの分かるんだよね』

『そんな神代選手ですが――。なんと試合が決まったみたいです! 今から楽しみで楽しみで!』

『相手は――。強打者の神原選手ですか。この神原選手は現チャンプの黒瀬選手と同じジムのようです。現在無敗B級へ大手。いやぁこれはどうなるか面白い』

『そりゃ私の神代くんの勝ちですよ!』

『いや、君の物じゃないけどね』


 県内のラジオ番組なので、楓の名前が出てもおかしくはない。おかしくはないのだが――。


「……おい、なんかおまえの試合が決まったとか言ってるぞ?」

「ん? あぁ、そうですね」

「なんかチャンピオンのジムの選手とか言ってるぞ?」

「そうですね。なんか俺にイラついて指名したらしいですよ」

「初耳だが?」

「そりゃあ言ってないし」


 室内にあずみの絶叫が響く。そもそも新人王戦ですらない四回戦の試合なので、楓からすると勝って当たり前とまで考えている。勿論、相手の映像をしっかり見た上での考えなので、油断したり侮っているわけでもない。皆には折を見て話そうかと思っていたが、たまたまこうして今ラジオで流れてしまっただけの話だった。


「次からは報告を忘れるな」

「面倒なんですけど」

「忘れるな」

「……はい」


 あまりに口惜しそうなあずみの表情を見て、楓は渋々頷いた。


「で、勝てるんだろうな?」

「99.9%ぐらいですかね」

「油断するなと言いたいが、おまえは油断するタイプじゃないしな。まぁ勝つんだろうな」

「厳しい練習してる自負はあります」

「よろしい」


 あずみは満足したように笑った。





 ◇ ◇ ◇





 結の家に到着すると、さっそく陽と二人で荷物の搬入を始める。あずみは仕事があるらしく、文句を垂れ流しながら去っていった。「なぜ私に休みがない?」と車内で何度か聞かれたが、あえて何も答えず無言を貫いた。一度聞き手に回ってしまったら、禄なことにならないのは重々承知している。


 とりあえずすべての荷物を軽トラから地面に下ろす。あずみを見送り終えた楓と陽は、用意していた台車に荷物を重ねていく。何回か往復すれば終わりそうな量だった。


「荷物少ないなぁ。楓あれだぞ? 夕月さんがいくら可愛いからって下着とかは見たらだめだぞ?」

「死にたいのか?」

「冗談も通じない……。いいじゃん! たまには年頃の男子高校生らしい会話したって!」


 楓は無言で侮蔑の視線を陽に向ける。


「こ、怖ッ!」

「夕月の下着漁ってたって響に報告しておく。別に礼はいらない」

「頼んでない! やめて! やめないと血が降るぞ!?」

「あ? やんのか――」

「俺の血が!!」

「……」


(馬鹿は放っておいてさっさと片付けるか)


 ぶつぶつと愚痴を漏らしている陽を背に、楓は台車を押して結の部屋へと向かう。一階の角部屋、二人で暮らすには充分な広さの2DKだった。もともと一部屋は荷物置きとして使っていたようなので、そのあたりも何かと都合が良かったらしい。


「それにしても結らしいというか。なんというか」


 部屋は白黒のモノトーンといえばいいのだろうか。派手な色の家具はないようで、落ち着いた雰囲気のある部屋だった。


「……女らしさが欠片もない」

「余計なお世話です。失礼な人ですね」


 玄関で棒立ちしていた楓の背後から鋭い言葉が飛んでくる。無表情の結は楓の背中を押して「早く入れ」と急かしてきた。後ろには光の姿もある。


「もう手続き終わったのか?」

「はい。なんか夕月さ――。光さんの調子が悪いみたいで急いで手続きしてきました」

「大丈夫かおまえ? どっか具合でも悪いのか?」

「……だ……大丈夫」

「そうか。病み上がりだし無理すんなよ」


 至近距離とまではいかないが、楓は光を正面からじっと見つめる。確かに具合いが悪そうには見えなかったのだが、だんだんと赤らんでいく顔を見て不思議に思った。そしてついには顔をそらしてしまう。


「?」

「……」

「やっぱり熱でもあるんじゃねぇの? 顔真っ赤だぞ?」

「……だから……大丈夫」

「そうか? なんか夕月みたいだな。その反応」

「--ッ!!」


 ビクッと一瞬身体が動いた気がした。とりあえず本人が大丈夫だと言っているので、それ以上は追及しないことにする。


 早めに引っ越しを終わらせないと練習に遅れてしまう。もっとも、体重はリミットちょい上ぐらいだし、普段からハードすぎる程の練習をしているので、かえって軽い休養になって楓にとっては良かったりもする。結もそれを承知で楓を招集しているはずだ。


「さて、じゃあさっさと片付けるか」


 ダンボールを持ち上げると室内へと進んでいく。両手がふさがっているので、足を使って扉を開けようとしてみる。すると結がなぜか急に慌て始めた。


「足使うとか行儀悪いですよ。それにそこは私の部屋で――。あ!! ち、ちょっと待ってください!! やめて!!」


 結の制止も間に合わず、楓は室内に入ってしまった。室内は結が慌てそうな物は何もない。別に荒れている様子はないし、なんなら整理されすぎているぐらいだ。


 だが、ふと机の上に視線を向けると――。


「……あなたは何も見ていない! あなたは何も見ていない! そうですね!?」

「おまえあんなに笑顔になることあるんだな」

「う、うるさいですね!! あーもう!! 肝心なところを忘れてた!!」


 結は飾っていた写真立てを、手早く机の引き出しにしまった。それにしても結らしくない表情の写真だった。心から嬉しそうにはにかむ様子は、楓でさえ少しドキッしてしまいそうなぐらいだ。写真の中の結の隣には、言うまでもなく慧の姿があった。


「いいじゃねぇか別に。見られて減るもんでもねぇだろ」

「減りますよ! 私の精神がごっそりと! 神代くんが私の立場だったら死にたくなりますよきっと!」


 楓は少々考えてみる。


「そもそも俺は写真撮らねぇし飾る趣味もない。だいたい俺の部屋に俺と夕月二人の写真が飾ってたらどう思う? というかあり得ると思うか? 普通にキモイだろ」

「……想像したらとても気持ち悪い絵が浮かびました」

「だろ?」


 若干馬鹿にされたような気もするが、写真を見られるぐらい楓にとっては些末なことだ。結にも女らしいところがあるのだなと、思っている楓も人のことは言えない。


「まぁそのうち神代くんも分かりますよ」

「分からなくていいけどな」

「神代くんが嫌がっても夕月さんが飾りますから。夕月さんマイカメラ持ってるぐらい写真好きですよね?」

「……やめろ」


 楓と結の会話を盗み聞きしていたであろう少女は、背後で静かにうんうんと頷いていた。

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