表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
100/237

99 お茶と思いやりと

 射抜くような据わった冷たい瞳。


 笑顔を見せているはずなのに、まるでマネキンのような無機質さ。慧は結に群がる男達を見て、鼻で笑うように見下す。その態度が男達を煽ったらしく、一斉に激昂して食ってかかる。


「やれやれ」とゆっくりと立ち上がった慧は、掴みかかろうとした男の腕を難なく躱す。その態度が火に油を注いだようで、次は殴りかかっていくのだが、三人がかりでも触れる事すらできない。


 男達が息を切らしているのを見て、呆れるように口を開いた。


「運動不足だよそもそも。ナンパなんてしてる暇あったら、少しは努力してみたらどうかな?」

「おまえ……何者だよ! ……いや、その顔どこかで」


 男達の一人が慧が誰なのか分かったらしく、一瞬で顔が青ざめていく。


「たしか駿河慧」

「よくわかったね。理解したらさっさと消えてくれるかな?」

「ボクサーは手出しできないだろ。ははっ! こりゃいいや!」


 ニヤニヤした男達は再び慧を取り囲む。その様子を見た楓は、一応確認のために声を掛けた。


「手は必要か?」

「必要ないよ。ちょっと待ってて」


 慧はその場でたーんたーんとステップを刻む。ノーガードなのは相変わらずのようだ。


「な、なんだよ! やる気か!?」

「僕はまだプロですらないしね」

「SNSとかで拡散してやるぞ!?」

「拡散する気が失せるぐらいに……ボコボコにしてあげる。知ってる? 恐怖ってね、刻まれるんだよ?」

「ひっ」


 慧が動き始めようとしたその刹那、結が慧の前に立って制止する。結は無表情のままで、その顔から感情は読み取れない。


「姉さん邪魔だよ」

「邪魔なのはあなたのほうよ。余計な事をしないで。私は自分の事は自分で守れるわ」


 結はファイティングポーズをとると、決して速くはないが、流れるように男達に迫っていく。一人の男の前で「パン!」と軽い音が鳴り響いた。


 何が起こったのかわからないようだったが、それでも自身の鼻に痛みを感じた事で、顔を殴られた事を察したようだ。鼻血すら出ないほどの軽いパンチだったが、心を折るには十分だった。


「手加減はしています。ですが、これ以上絡んでくるなら次は本気で打ちます」

「……なんだよこの女。女のくせにボクシングやってんのか? あーあ、しらけちまったな! 帰ろうぜ!」


 男達は結に興味をなくしたのか、教室から出ようとしていた。そんな男達の一人の腕を楓は捕まえた。


「な、なんだよ!」

「金」

「は?」

「タピオカなんたら……の支払いがまだだ」

「わ、わかったよ! くそ!」


 しっかりと代金を徴収して、ようやく男達は解放された。その様子を見て堪えきれなかったのか、慧は声を出して笑い始めた。


「ははは! 元気そうだね楓くん!」

「おう。おまえも元気そうだな」

「姉さんが君のジムに入ったって聞いてね、ちょうど近くに来たから寄ってみたんだ。まさか姉さんがいるとは思わなかったけど」

「なんだよ、連れ戻しにきたのか?」


「まさか!」と慧は首を横に振った。結はどこ吹く風で席に座り直すと、コーヒーを片手にスマホを眺めている。目の前に想い人がいるのに、微塵も態度に出さないのは、さすが結といったところだろうか。


「慧、せっかく来たのだから座ったら?」

「そうだね。楓くん、僕は紅茶を」

「おう」


 姉弟の会話を盗み聞きするつもりはない。だがやはり目立つ二人であるので、教室中がその動向に注目していた。しかし、二人の間に会話はなく、ただ向かい合わせに座っているだけだった。


(凄え空気作ってんなあの二人、近付いていいのか?)


 躊躇している楓を見て、泉が助け舟を出した。紅茶の乗ったお盆を楓から受け取ると「私が行くわ」と近付いていく。


「お待たせしました。こちら紅茶になります」

「ありがとう」

「……少しいいですか?」

「ん? なにかな?」


 不思議そうに首をかしげる慧を見て、泉はゆっくりと話し始めた。


「昔、何かの本で読んだのですが、イギリスでは紅茶というのは"接着剤"なんだそうです」

「接着剤?」

「紅茶は人と人を繋げるらしいですよ。喧嘩したり嫌な事があった人には"お茶と思いやり"を届けるんです」

「へー、面白い考えだね」

「そう考えると少し素敵でしょう? お二人がどういう姉弟関係なのかはわかりませんが、無言でお茶を飲むのは味気ないと思います。それに……」

「それに?」

「お二人はとても目立つので、緊張感のある空気を作られては周りが困ります。見ているほうは胃がキリキリしますよ」

「はは、ごめんね。別に僕達は喧嘩してる訳じゃないんだけども……」


 それでも「営業妨害です」とまで言い切った泉の姿を見て、慧は大きく息を吐くと「まいったよ降参だ」と一笑した。


「わかっていただけたらよかったです。それでは失礼します」


 一礼して泉は帰ってきた。


「す、凄えな委員長」

「そう? たいしたことないわ」

「いや、響だったら無理だ。顔引き攣らせて紅茶置いてくるロボットだろうよ」

「はぁ!? それはあんたも一緒でしょうが!!」


 結のテーブルでは、たどたどしいながらも笑いながら話している姉弟の姿があった。二人の間にある()()()はわからないが、その光景はとりあえず悪くない。


 結の悲願成就への道は果てしない。それでも「慧が好き」と一途な想いさえ貫けたなら、どうにかなってしまうのではないかと思えてしまう。


 いや、どうにかなってほしいな、と楓は思った。


 "接着剤"の力は偉大だ。一時的なものかもしれないが、それでも姉弟の温かみのある空間は、他者が立ち入れない絆のようなものを感じた。





 ◇ ◇ ◇





「ありがとう美味しかったよ」

「おう」

「そこは「ありがとうございました」ぐらい言えないのかな」

「この喫茶店ではこのキャラで売ってるからな」

「売ってるもなにも……素の君じゃないか……」


 呆れながら代金を手渡してきた。「じゃあ僕はこれで」と、立ち上がった時だった――。響と泉が近寄ってきた。


「ねぇ駿河さん、せっかくだからちょっと身体を動かしていきませんか?」

「ん? どういう意味かな?」

「私も今朝付き合わされたんだけどさ、ボクシングってマス(寸止め)の練習あるよね?」


 泉の説明はこうだ。


 せっかく有名人が来てくれたのだから、ついでに本物のボクサーの動きを見てみたい。クラスの皆も同じ事を感じており、しかも盛り上がるだろうから集客効果も見込める。


 ようは、「客寄せパンダとして少し協力して!」ということだ。抜け目のない考え方が実に泉らしい。慧の返事を待たずに、隣の響は机をどかして教室の中央を空けるように指示している。


「はは、いい性格してるよ委員長さん」

「それはありがとう」

「相手は……考えるまでもないか。楓くんだね?」

「まぁ、マスならいいぞ」


 結が楓の背中を軽く叩いた。どうやら耳を貸せということらしい。


「ちょうどいいですね。ぎゃふんと言わせてやってください」

「奇遇だな。俺も同じ事を考えてた」


 教室の中央に丸くスペースが作られた。観戦者もぞろぞろと集まってきており、教室の中は慌ただしい雰囲気に包まれる。


 そんな時、どこから聞きつけてきたのか、息を切らしながら走ってきた女性が一人――。


「はぁはぁはぁ……お前達はなにをしようとしている!!」

「あずみ先生か……残念だが中止だ委員長」

「なにを言っている!! スパーリングではなくマスなのだろう!? 私も見たいに決まっているだろう!! 水臭いぞ神代!!」


「おまえも観戦したいのかよ」と楓は心の中で突っ込む。とはいえ、これで障害はなくなった。


 ざわついた室内で二人は準備を始める。準備といっても上着を脱いで、軽くストレッチをするぐらいではあるが。


 脱いだ上着を陽に預け、その場でストレッチを始めた。


「楓、リベンジだ」

「おう、任せとけ」


 陽に背中をパン! と叩かれると、ゆっくりと慧に近付いていく。


(さて、結と会ってからどれだけ進化したかな俺は)


 マスなのが少しだけ残念だが、急造されたリングのような熱気に自然と気持ちが高揚していく。意図せずに笑みが溢れてしまうほどだ。


「神代くん、自身の何が変わったのかを実感してください」

「おう。思い切り殴れないのは残念だがな」

「それは本番にとっておきましょう」


 笑いながら結は頷く。どうやら気持ちは一つだ。


 夏に慧とやりあった時は失望された。悔しかったし、迷走もした。だが今はあの時とは違う――。


「おい」

「なにかな?」

「ちゃんと寸止めはしてやるが、一応全力で避けろよ?」

()()()()、か。いいね!」


 歓声は次第に大きくなるが、もう二人の耳には何も届かない。視線の先にはお互いの好敵手の姿だ。


 静かに二人は向かい合った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ