3−4
大通りを黒い波が街道門に向かって押し寄せてきていた。その時街の人々は門がある方を向いていた、つまり波に対し背を向けていたので、足に後ろから衝撃を受け、前方に向かって進む黒い波に驚き、体重の軽い者は倒され波に飲まれていった。
魔ネズミが駆け抜けた所から悲鳴が上がり、その声はネズミの行く先に届いていたのだが、人混みで視線は通らずネズミは人のくるぶし程の高さしかなかった為、黒波が来るまで何が起こっているのか分かる者はいなかった。そして黒波は門に近付くにつれ自身を構成する魔ネズミの密度を高めてゆき、進路にいた者を飲み込んでいった。
門前は広場となっており、そこで交代や予備の兵士が待機していた。荷馬車や魔獣の死体置き場も確保されたゆとりのある設営であった為、悲鳴が近づいてくるのを耳にした兵士達は門を背にして隊列を組むことができた。
接敵したネズミの行動は二つに別れた。一方は足元をくぐり抜けて行き、他方は飛び上がって体当たりをしてきた。ぶつかった後のネズミは盾や鎧にしがみつき、そこに後続のネズミがしがみついてきて兵士を押し倒そうとするのだった。また、金属鎧で守られていない部位にしがみついたネズミは、その強力な歯を兵士の体に直接あるいは皮鎧越しに突き立てきた。
兵士達の傷は魔獣と戦って負うものとしては小さいが骨まで達するものもあり又その数は多い者は百箇所以上にのぼった。更にはネズミは突きたてた歯を外そうとしなかった為、兵士は身動きするたびに傷が広がり痛みが身体中に走った。
「まずいぞ、ハロルド。外の連中が噛みつかれたらでかい連中に押し込まれるのは時間の問題だ」
「ならどうすればいい。俺には一匹づつネズミを捕まえて殺すぐらいしか思い浮かばんぞ。それと門を閉ざすのは無しな。俺らが考えることじゃない」
門前の広場の端でネズミに襲われる兵士達を見ていたキースは思わずハロルドを睨みつけた。
「それがわかんねえから聞いたんだよ莫迦」
「俺だってわかんねえ時に話しかけられたら期待するだろうが、こいつ閃きやがったなって」
にらみ合った二人は話が途切れると又兵士たちの方を向いた。
「取り敢えず一匹づつ殺して誰かがうまいことやってくれるのを待つ」
「年をとると頭が固くなってダメだねえ」
そう言い合って二人は駆け出した。
戦闘が始まった時、サトシはアーウィンとジェリーと一緒に冒険者ギルドで待機し職員と世話話をしていた。これは兵士たちが疲労して動けない戦闘終了後に何か問題が発生したら、速やかに実力のある冒険者に依頼して解決を図れるように冒険者ギルドが用心したものである。
サトシは魔術に詳しい職員から戦闘に使われるインデックスに載っていない魔術について聞いていた。
「身体強化の術が使用する魔力効率の点で群を抜いてますね、他の魔術では必要な因果の魔術式を省略して遥かに効率的な無意識に任せることができますから」
「無意識を活用するのが鍵なのかな、因果の魔術式の因果ってどのような働きを担うのですか」
「例として軽量化の魔術を考えましょう。サトシさんは魔獣を運ぶ時に使っていると思いますが一体どのように働いているのでしょう」
「どのようにって…何を聞きたいのか意味がわからないんですけど」
「魔獣が軽くなるのは重力が減少したからですか? 魔獣の質量が減少したからですか? 上から引き上げる力が加わったからですか?」
「魔獣の質量が減少したからですね」
「なぜそう思われますか?」
「前後左右に移動するときも軽さを感じるからです」
サトシは運動方程式F=maを思い出す。質量が変わらなければ歩き出すのも止まるのも一苦労だ。
「ではどのような理論で軽量化しているのでしょう」
「…ああ、それが因果ですか」
「定義的には理論から目的物と求める結果を指定したものが因果になります。そしてこの部分が身体強化の術では不要なので魔力効率が高くなります。魔術をかけられるものがそれを望んだとき因果は結ばれるのです」
サトシはドリスから聞いた魔法使いの話を思い出していた。
「彼らは世界を望めと言っている、望んだ世界を形作ることこそ魔力の理の全てだと」
サトシは魔法使いについても聞いてみることにした。
「今の話で思い出したんですけど、世界を望めば魔法が使えると昔の魔法使いが言ったと聞いたんですけど」
「私も聞いたことがありますよ。今の話でということは魔術をかけられるものが望んだとき因果が結ばれる、といったあたりでしょうか」
「はい、理屈は知らなくても肉体が知ってる、そんな言い回しでしたので肉体が知らないことはできないのか? とか考えてしまって」
「魔法使いの理屈では私たちは皆世界の一部ですから、世界にあるものは望めば手に入れられるのでしょうね」
そこまで言って職員は笑って見せた。
「ただ私たちは人間でもありますからねえ。知らないことを望めませんし、知っているだけよりも経験したことがあったり実際にやってみたことがあったりした方が実現する可能性は高いと思いますよ。これは魔術や魔法に限らない人間の真実じゃないかな」
職員はサトシへの口調を柔らかくした。サトシはこれを高い目標を否定せずに今できる努力をしっかり頑張れと言っているのだと受け止め、感謝した。
サトシは覚えていたのだ、生まれ育った世界からこぼれ落ちこの世界に迎え入れられた時のことを。今度はあの道を辿って自分の世界に、母や友人達のいる世界に帰るのだ。
そのように平穏な気持ちで自己の望みを自覚していたら目の前の世界が開いていくのを感じるのと同時に、
キイイイイイイィィィィィィィ
奇声が門の外から聞こえてきた。