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「会いに行けばいいだろ」
クリップが言い切った。
「十年でも二十年でも、死に物狂いで頑張れ。お袋さんが死ぬ前に会ってみせろ。心配してるってことはお前を待ってるんだよ、時間がかかっても会いに行ってやれや」
サトシが顔を上げるとクリップが苦虫を噛み締めたような顔をしていた。
「お前ができるわけねえって決めつけてるみたいなのが気に食わねえ。誰か不可能だなんて言ったのか。頑張ってやっぱり失敗するのが嫌か、頑張った時間が無駄になるのが嫌か、だとしたらその涙は随分と安いんだな」
サトシは首を強く振って否定する。
「嫌じゃない、嫌じゃないけど果てしなすぎて…。空の月や太陽よりも遠いところに家があるから」
「だったら帰れるわよ」優しい声でドリスも言い切った。
「なんで言い切れるんですか。俺が住んでいたところがどれだけ離れてるか知らないでしょう。どうしてここに飛ばされてわからないし…」
「わかるわよ、魔力が原因でしょ。それがどう仕事をしたのかはわからないけれど、魔力が原因でサトシくんが故郷から此処に来たのなら、魔力で此処から故郷へ帰れるわ。それが魔力の理なの。そのためにどのくらいの努力が必要なのかはわからないけれど」
サトシは誰にも話したことのない単語が出てきて体が震えるのを感じた。
「魔力の理…」
「サトシくんは魔術師としては初心者だから詳しくは知らないみたいだけど、魔術師とは魔力法則を学び、魔術式を考案し、そこに魔力を流して世界を変化させる者のことを言うの。そして魔法使いと呼ばれる最上位の者達は魔力法則すら変化させてみせる、魔法にインデックスが書き加えられたようにね」
魔法を書き換える魔術はもはや魔法そのものといえ、故にその使い手は畏れを込めて魔法使いと呼ばれた。
「俺が魔法使いになれば帰れるのか」
「彼らは世界を望めと言っている、望んだ世界を形作ることこそ魔力の理の全てだと」
汝はいかなる世を求めん。
富を求めるものは幸いだ、既にこの世にあるのだから。
快楽を求める者、賞賛を求める者、権力を求める者らもまた然り。
平穏を求める者、安寧を求める者、秩序を求める者らもまた然り。
我は我が理想の世を求めた。
人が世界を正しく理解する世を。
魔術が世に躍動することを。
我が意思が世に永遠なることを。
我が望みを叶える魔術式は無く、
我が望みが叶う可能性も魔法に無く、
我は只望むばかり也。
世は自らが望むありようであらんと務めるものである。
世は己を変化させんとするものを歓迎するものである。
故に望め、汝は世の一端也。
森羅万象、汝が思うまま也。
その日の夜、サトシは客間を用意してもらいクリップ宅に泊まることになった。昼間クリップ・ドリス夫婦と話をしたことで、サトシの中にあった未来の袋小路感は無くなっていた。魔法使いになる、それは困難かもしれないが不可能ごとではない。そして過去に魔法使いになった事例を参考にできるのは、これから目指す者にとって有益だとも思った。学問とは過去の天才の成果を現在の凡人の常識にするものなのだから、魔法使いになる方法にも学問の手法を当てはめれば自分だってなれるはずだ。
サトシは暖かい布団の中、軽い酩酊感に逆らわずに過去の魔法使いを思った。
インデックス。
サトシが知っている魔法使いはこの人だけだが、その業績である魔法に書き加えられたインデックスを冒頭から見てみると、その凄さを考えさせられる。かつて地水火風と考えられ分類されてきた魔力法則を、状態変化や力の種類などサトシがいた世界で学んだ科学法則で再編され、それを証明する魔術は日常使われる必要魔力の低い基本魔術で提示されている。
「基本魔術を多くの人が使いこなすことで正しい魔力法則を学ぶことになる」
しかもインデックスは魔力を感じ取れる者なら誰でも見ることができるのだ。扱う際の危険が少ない基本魔術で魔力の扱いと魔術式の作り方を自習できるので、誰もが自分の魔力の大きさに応じた日常生活に役立つ魔術を扱えるようになり、人々の生活にあって当たり前の存在に魔術はなったのだ。
「義務教育もびっくりな影響力だ」
そして最高峰の魔術がどのようなものかをインデックス自身が示し、その序文で世界を望めと呼びかけている。
サトシはこの世界の者ではないから本来なら魔力を扱うことはできないのだろう。扱えないから魔力の理というスキルを与えられ、世界の一部となった。
サトシが魔法使いと呼ばれるほどの力量を得て元の世界に戻れるか否かは全く自分次第なのだ。