第2話 継母の逆恨み
どうしようもない遣る瀬無さと共に、クラッスター家へと戻ってきた私。
「っ!」
……そして、そんな私を出迎えたのは異臭のする泥水だった。
ビビスのことで頭がいっぱいになっていた私は、泥水を避けることができず、頭から被ることは無かったものの、着ていたドレスにはべったりと泥がついてしまう。
私の身体から泥水の不快な冷たさは熱を奪い、震えが走る。
もうかなりぼろぼろだったとはいえ、このドレスはもうきれない。
そしてそのことに苛立ちが膨れ上がり、私は泥水をかけた人間、年若い家政婦を睨む。
「ひっ!」
……けれども涙目で震え上がる彼女に、私はもうそれ以上何かすることはなかった。
決して彼女に対して何も感じていないわけではない。
しかし、私は彼女は決して好んでこんなことをしたわけではないことを知っていたのだ。
……彼女は命じられ、職を失わないようにするためにこんなことをするしか無かっただけなのだから。
そして、誰が命じたかも私は分かっていた。
「あらあら、無様な姿ね」
次の瞬間、二階から響いて来た隠しきれない侮蔑が込められた女性の声が響いた。
そしてその声のした方にいた人間、それは私の想像通りの人間だった。
「……お母様」
「貴方にはその泥だらけの格好がよく似合っているわよ!」
そう私へと嘲笑向ける女性、彼女はクラッスター家の後妻で私の継母、ラシーア・クラッスター。
ラーシアは娘であるビビスを溺愛し、幼少の頃から私を敵視していた。
けれども、私がクラッスター家の当主として認められるようになるうちに、ラーシアは私を虐めることは無くなっていたのだが……
「まぁ、当然よね!婚約破棄されたような、人間だものね!」
「っ!」
……けれども次の瞬間、ラーシアの言葉でなぜこのタイミングでラーシアが虐めを再開したのかを悟る。
婚約破棄の一件、私はそれは全てビビスの独断だと思い込んでいた。
……けれども真実は違った。
婚約破棄の一件、それはビビスの独断専行ではなく、ラーシア親子による陰謀だったのだ。
そうでなければ、この状況でラーシアが婚約破棄の件について知っているはずがないのだから。
「っ!貴女達は!」
……そしてその瞬間、私はラーシア達に隠しきれない怒りを覚えていた。
私を疎むと言うならばまだわかる。
それが幾ら筋違いなものであれ、実害が無ければ私はまだ看過できる。
「クラッスター家がどうなってもいいのですか!」
けれども、婚約破棄の一件はそんなことで済ませていいものでは無かった。
たしかに今回は、マールズが人格破綻者だから偶然クラッスター家に大した被害が出ることはなかった。
……しかし、それは本当に偶然でしかない。
一歩間違えれば、クラッスター家は援助を打ち切られる可能性だって低くは無かった。
それに、私が婚約破棄されたと言う報告で、今まで色々と融通を利かせてくれていた貴族が離れる可能性があったのだ。
「な、なによ!」
……そして、私の言葉に気圧された様子のルーシアを見て私は悟る。
ルーシア達は一切そんな危機を考えていなかったことを。
ただ、頭にあったのはどうすれば私を押しのけられるのかどうか。
「……この件に関しては、クラッスター家の次期当主として正式に処罰を下させていただきます」
「なっ!」
そして、今回の今回はとうとう私はラーシア達を許すつもりはなかった。
だから当家の中で一番大きな刑罰である、地下牢での幽閉さえも、私は辞さない覚悟でそう告げる。
「私は貴女の母親よ!貴女ごときが、そんなことを出来るわけが……」
……しかし、ラーシアは私の怒気に気圧されながらも私の言葉に対して怯えをみせることはなかった。
そしてその態度は決して虚勢などではない。
父親である、ワシーム・クラッスターは愛人であったラーシアに甘い。
彼女は母に及ばなかったものの、確かな美貌を有していて、だからこそ未だワシームはラーシアが嫌がれば処罰を軽くしようとするだろう。
けれども、そのことを理解してなお私は笑みを浮かべる。
「クラッスター家を立て直した私の意見を父様が断れるとでも?」
「っ!」
……その私の言葉、それは暗に私の方が当主である父よりも大きな権限を有していると言っているのと同じだった。
そしてそれは決して嘘ではない。
何せ現在のクラッスター家は私の存在によって、辛うじて財政難を乗り越えている状態なのだから。
だから、その私の言葉にラーシアの顔に初めて恐怖のような感情が浮かぶ。
そしてそのルーシアの態度に、私は最後にため息だけ漏らしてこの場を去ろうとする。
とにかく今は早く汚れを取って休みたかったのだ。
「婚約破棄をされたクラッスター家の隅にも置けない人間がなにをほざく!」
「ーーーっ!?」
……けれども、その私の願いが叶えられることはなかった。
ーーー クラッスター家の私兵と共に父、ワシームが現れたことによって。