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旅の途中


人は、自分に足りない物を求めて生きる。


食べ物であったり、眠る場所だったり、新しい知識、尊敬できる友人、心を落ち着かせることが出来る異性……。空気だとか水分だとかまでの細かいものを挙げ始めるとキリが無いが、とにかく、必ず死ぬまで求め続ける。

なぜ求め続けるのかというと、失い続けているから。

自分が失ったものを埋めるために生きていくのだ。

そして、必ずしも失ったものと全く同じものを手に入れられるとは限らない。

かけがえのない物を失った時、それを埋めてくれるような物や思い出を求めて、新しい恋人を探したり、友人と楽しい時間を過ごしたり、音楽を聴いたり、汗を流したり、――旅に出たりする。


知らない言葉、嗅いだことのない風の匂いや、植物や生き物、見た事のない色の海と空と土の色、文化や出会い……それらはきっと失ったものの代わりとなって埋めてくれる。


だから、“彼女”が一人で旅に出たい、と申し出た時に、彼女の保護者は難色を示したけれど、しかし頭のどこかでは当然の事なのだと何となく理解していた。

彼女はきっと旅に出る。大きな、大きな失くし物を探しに。

間違いなく、その失くした物は二度と手に入らないとわかっている。けれども……


それを止めてしまうのは、彼女の為にはならないのだ、とも理解していた。



after the [machine head] story


looking for 1





1台の大型バイクが、あまり交通量も無いさびれた道路をぐんぐんと突き進んでいく。

黒地に青い流線が描かれたクールなデザインのそれにまたがるのは、これまた黒地に青のラインが描かれたライダーシャツを纏った、フルフェイスのヘルメットを被っている――身体のラインから推察するに――女性。そして彼女の後ろにもう一人、運転手の腰回りにしがみついている、少しくすんだ橙色の、そして細かな模様が沢山編み込まれた民族衣装的な衣服を身に纏う、こちらもフルフェイスのヘルメットを被った小柄な少女がまたがっていた。少女の背中には大きなリュックサックが一つ。


2人を乗せたバイクはスイスイと舗装された道路を進んでいく。あまり栄えていない寂れた市街地へと差し掛かると、だんだんと速度を緩めて、バイクは停車した。

エンジンはかかったままで、ドドドド、と腹の底に響く重低音を周囲にまき散らしながらガスを吐き出している。

運転していた女性はヘルメットのグラス部分を持ち上げて振り返る。


「着いたよ」

「はいっ」


後部座席に乗っていた小柄な少女はバイクから不慣れな様子で地面に降り立つ。そして両手にはめていた手袋を抜き取って後部座席に置くと、ヘルメットの左右側面を持つと真上にすぽんと持ち上げた。するとヘルメットの中に納まっていた頭部が解放され、少女の紺色の髪の毛がさらさらとこぼれる。肩甲骨あたりまで伸びたその髪を、風がふわりと僅かに浮かせて遊んでいた。紺色のくりくりとした瞳はまぶしそうにぱちぱちと何度か瞬きをして、前髪を横に流した。


「ふぅ。これ、お借りしました」


少女はそう言って、置いていた手袋をヘルメットの中にいれて運転手に手渡した。


「はい、どうも」


運転手の女性はヘルメットを受け取りハンドル手前の収納ボックスを開いて押し込んだ。


「でも、本当にこんな辺鄙なところでいいの?もう少し走ればもっと大きな町があるし、そこまで乗せてって言うんなら、私は全然かまわないよ」

「ありがとうございます。でも良いんです。もともと目的も無い旅だし、いろんなところを見て回りたいので……」

「そっか。それでも最初、あの峠で女の子が大荷物背中にしょって歩いてる姿見た時は驚いたよ。あのまま私が通りかからなかったら、きっと今晩は野宿だったね」

「ふふ、ありがとうございます。おかげで助かりました」


そう言って少女はぺこりとお辞儀する。


「いいよ。短い間だったけど、一緒に旅できて楽しかった。また会えたらいいね」

「はい。……あ、そうだ、一応携帯の端末持っていますけど……」

「あー、いい、いい。私そういうの旅では聞かないタイプでさ。本当に縁があったら、約束しなくてもまたどこかで会えるって考え方なの」

「へぇ……素敵ですねっ」

「へへへ。それほどでも。そういや、おかしな話だけど、まだあんたの名前訊いてなかったね。なんて言うの?」

「私の名前は、リル。リル・ノイマンです」

「リル。良い名前だね。私はクレア。クレア・サザーランドっていうの」

「クレアさん。かっこいい名前ですね」

「ありがと。それじゃあ、そろそろ行こうかな。……またね、リル」

「はいっ」


クレアはヘルメットのグラスを下げ、エンジンをふかしウォンウォンと重低音をかき鳴らし、熱気を残して走り去っていった。

リルの紺色の髪が、風でまたひとつふわりと揺れた。


「かっこいい……」


そんなバイカー・クレアの後姿を見送って、そう呟いた。


「それじゃあ、まずは今日の宿を探そうかな……」


そう言って、とりあえずとその場から歩き始めた。





この世界は、リルが生まれた世界である。

そして彼女には、およそ1年前より過去の記憶が無い。

記憶と言っても、それにはおおまかに分けて二種類のものがある。

一つは陳述的記憶、と言って、かいつまんで言えば難解な数式だとか、化学方程式だとかを覚えている記憶の事。

もう一つは、手続き記憶。身体で覚える記憶で、特に意識をせずとも覚えているものである。自転車の乗り方とか、お箸の持ち方とか……。身体に染み付いているもの。


彼女の場合はすっぽりと抜け落ちているのは前者の記憶である。

記憶をサポートする新型のナノマシンが彼女に投与され意識を取り戻した時、彼女は基本的な言語は覚えていたが、自分の名前は覚えていなかった。

食事のとり方は覚えているが、自分がどんな食べ物が好きなのか覚えていなかった。

自分が目を開いただけで、ぼろぼろと涙をこぼした女性の名前も思い出せなかった。


本当の自分の名前はクロムシルバーだけど、この名前を名乗ると少しトラブルのタネになるかもしれないということでリル・ノイマンという名前で落ち着いた。

彼女自身もノイマンという名前のほうがしっくり来る気がしていたが、しっくり来るとはなんだろう、とか、トラブルのタネとはなんだろう、とか、色々と考えた。だが、考えても考えても何も思い出せなかった。そして女性も、リルに何も言わなかった。


ただ、目の前の女性が、ジィーナ・ノイマンと名乗り、「あなたのことは、私が守ってみせる」と涙目で誓った事が、リルにとっては一番印象に残ったことだった。


目を覚ましてからというものの、リルはまず、自分が生きていくうえでの目標が欲しくなった。

世界は広く複雑で難解であることは知識としては知っているのだが、彼女が知っている人間はジィーナと、数人の看護師と、医者だけ。知っている景色は病室と、そこから少し歩いた施設内のいくつかの場所だけ。

故郷は?両親、家族は?友人は?疑問と興味は尽きない。

でも、ジィーナはリルに何も教えなかった。

彼女の元の記憶は、消え去ってしまった。もう元に戻る事は無い。だから……。


どれだけ彼女がリルと長い間一緒の時を過ごし、リルの事を知っていようが、所詮は他人。ジィーナには、リルが失くした物を、自分の安易な他人視点の言葉で埋めて、そして彼女の未来を決めてしまう事を恐れた。大切に思うからこその恐れであった。

そしてそんな感情はぎこちない関係を生んだ。

リルはつきっきりで良くしてくれるジィーナに不満など有る筈も無かったが、次第にこう思うようになっていた。


『失くした記憶を埋める事が出来れば、彼女は対等に自然に自分に向き合ってくれるのだろうか』と。


退院後もジィーナに引き続き保護されたリルは、1年ほど同居生活を行っていた。前までの貧しい生活とは打って変わって、国から支払われた賠償金等は普通の生活を送るには十分すぎる程の額で、それによってもたらされたのは、悪く言えば退屈で溜め池のような生活。

そして彼女はある日、「しばらく一人で旅に出る」と申し出た。


「出たい」ではなく、「出る」のだ、と。


そこから一悶着あったのだが……結果的に、折れたのはジィーナだった。いろんな場所に行って、いろんなところを見ておいで、と背中を押した。ただ、出来るだけ危ない事はしないで、と付け加えて。そして彼女は旅に出て……少しずつ、たくましく強く成長していた。


暑い場所にも寒い場所にも行って、時には怪我をしたり、体調を大きく崩す事もあったけれども……もう1か月間、彼女は旅を続けている。

ちなみに彼女が身に纏っている衣服は、以前に宿泊した村の酋長からプレゼントされたものだ。彼女は何処に行っても人に好かれる天性の才能があった。



リルはぼちぼちと歩いて回り、この辺りに宿が無いか聞いて回ることにした。

情報収集タイムがスタートする。


「海のにおいがする……」


海が近いようで、少し生臭いにおいを鼻腔に感じながら呟いた。

野良猫が数匹、のんびり徘徊している。

彼女はこの情報収集の時間が好きだった。知らない街で、知らない人に声を掛けて、なんとなくその街の文化や風習に触れることが出来る気がするから。

歴史だとか、習慣・風習……全て今の彼女には無いもので、それに触れると、自分がそこに加わっているような感覚を味わえるのだ。

しかし、今日は本来の目的の宿探しに暗雲が垂れ込める。

幾つかの通行人に話を訊いてみたのだが、全員が口を揃えて、このあたりに宿は無いと言うのだ。だんだんと日も暮れはじめて、少し計算が外れていたと項垂れる。


(野宿はなるべくしたくないな……夜中に公園の水道水で身体拭くのも気持ち悪いし……)


せめてシャワーを浴びられる場所くらいは無いかと、探し物のハードルを下げる事を検討し始めるが、結構な時間歩いたため疲れて、海沿いのベンチに座って一休み。

日が暮れはじめていて、このまま……太陽は海に沈んでいく。


(お願いして、だれかのおうちに泊めてもらおうかな……)


ちなみに、彼女も旅の途中で何度も他人の家に泊めてもらった事はあるのだが、その際に一度寝床を提供してもらった人間の息子にえらく惚れられてしまい、しつこく言い寄られて断るのに一苦労した経験があり、それ以来、女性の一人暮らしだとか老夫婦二人暮らしの家以外では、よっぽど困った時でない限りは民家に泊めてもらう事はしていないのだ。

その時の事を思い出して少し苦笑いが浮かんだ。


(人が人に恋する気持ちって、どんな感じなんだろう)


そしてそんな疑問が浮かんだ。といってもこの疑問が頭を過るのは初めての事では無くて、今までも、ぼんやり星を見上げている時や、沈みゆく夕日を見ている時なんかに、無性にこんな事を考えたくなったりした。


(記憶を失う前の私は、誰かに恋をしていたのだろうか)


ついでに、そんな事を想う。

リルだって生きている人間で、女性と話す時よりは同年代の男性と話す方が僅かに緊張したりして……、きっと自分は男性を好きになる“素質”はあるのだろうな、なんて思うのだけれど、どうも、話に聞くような、その人を想って眠れないだとかその人の事ばかり考えてしまうという事には、この1年ではなったことがなかった。


「ま、一人でずっと考えても仕方ないかな」


美しい夕陽を見ながら、リルはふっと微笑んで宿探しを再開しようと立ち上がる。すると、物思いに耽っていて気付かなかったが、すぐ傍に7歳くらいの女の子が立っているのに気が付いた。


「こんにちは。何か御用かな」

「んーん。おねえちゃんこそ、どうしたの?」

「お姉ちゃんはねぇ、夕日見てたの」

「おねえちゃん、この町の人?」

「いいえ。私は旅人だから、……今だけこの町の人」

「ふーん。わたしね、おねえちゃんのこと見たことあるよ」

「……え?」


リルはその女の子の言葉に一瞬耳を疑った。


自分の事を見た事がある?だけど、子供がこんな嘘をついて何になる?しかし、子供の言う事だから、他人の空似でそんな風に思ってしまっただけなのかもしれない。

混乱するリルに、女の子は話を続ける。


「でもね、わたしが見たのはおねえちゃんの子どもの写真なの」

「……子供の写真?それはどこで見たの?」


リルは半信半疑で、その女の子に続きを促す。


「おばあちゃんちだよ」

「あなたのおばあちゃん?」

「ちがうよ。あっちにね、おばあちゃんがいるの。あそびに行ったらお菓子くれるんだよ」


血縁は無い、近所の優しいおばあさん、と言ったところだろうか。

もしかしたら、何か自分の過去への手がかりがあるのかもしれない。

子供の写真という事は、自分の小さい頃の写真を持っている人間……つまり自分の事を知っている人間がこの町に居る。見たいような、見たくないような、会いたいような、会いたくないような……。

それともやっぱり、タダの他人の空似だった、なんて肩透かしをくらうのだろうか。

宿も決まっていない中、いろんな考えが頭の中を錯綜したが、リルは次にこう言った。


「ねぇ、そのおばあちゃんの家に、今から連れて行ってもらえる……?」


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