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いつか、あなたと  作者: 千夢
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第六章 そんなバブルに踊らされて

 テレビでは羽のついた扇子を振りながら踊っている若い女性たちが映っている。みんな、判で押したかのように長い髪で、体にぴったりとした服を着ている。何が楽しいのだろう。

 時代は平成、バブル期を迎えていた。やたら景気がいいらしい。女性が店に行くと知らない人に奢られるのが普通だという地域もあるらしい。

 和夫から転生した水戸拓馬は高校三年生になっていた。大学に行けば就職は安泰という親の思い込みに流されつつ、受験勉強をしていた。お夏にはまだ会っていない。

 両親は接待だと言いながら夫婦でゴルフに行った。妹はデートだと言って出かけている。拓馬は昼ご飯代わりにシーフードのカップ麺に半分湯、半分温めたミルクを入れて作り食べている。普通の高校生なら文句を言うかもしれないが、江戸時代から記憶のある拓馬にとっては飛び切りの御馳走だ。なんせ、このおいしさが三分でできる。

「江戸時代じゃあり得ない話だよなぁ」

 麺をズルズルとすすり、ふと周りを見る。よかった、誰もいない。家族に聞かれたらツッコミが入るところだ。

 とりあえずカップを机に置き、数学に取り組む。正直、苦手だ。しかし、これをこなさないと大学に落ちて浪人生になる。それだけは避けたい。

 学校と家とで勉強時間が十八時間を超えている気がする。ま、CMなんて二十五時間戦えますかとか言っているくらいだから、大人のほうが大変なのだろう。……って、それ、続いたら死んでしまう気がするが。

 一門解いてはラーメンをひとすすりする。伸びてきた麺。汁気がなくなってきた。……食べちまうか。

 ラーメンを平らげるとすぐに眠くなる。だ、ダメだ、まだ寝ては。アイスコーヒーでも飲もう。二階から降りると冷蔵庫に向かう。ドアを開けたところで声が聞こえる。

「ただいま~、あ、おにいやん」

 おしゃれした妹はなぜか関西弁で拓馬に声かける。フリフリフリルでいっぱいの服。

「みお、お前、似合ってないぞ。いつものジーパンのほうが、みおっぽい」

「おにいやんに言われても嬉しくないしー」

 みおはモテることに命をかけている。テレビで大人の女性が奢られることが普通だと聞いて『女の生き方はこれだ!』と少々悪い影響を受けているような気がする。

 拓馬はため息をついてアイスコーヒーをコップに次ぐと、二階にもっていく。


 お夏にはいつ会えるかなぁ。勉強の合間に思うのはいつものこと。前世で一瞬しか会えなかったことを思うと、不安でしかない。

 ていうか、死ぬの、苦しかったなぁ。今世は自殺はやめよう。拓馬は普通に決意した。

「さ、勉強勉強」

 目指している大学は東京にある文系だが、センター試験で数学がいる。今のレベルではちょっと届かない。何とか第一志望を勝ち取りたい。日本史なら得意なのだが。なんたって今までの記憶が助けてくれる。

 ああ、生物も手がついてない。もう一度計画を見直そう。次の模試はいつだっけ?

 カレンダーを見て、思ったより日にちがないことに気づく。

 あああああああ、やばいよ、絶対間に合わねぇ。

 国語と日本史は大丈夫なんだよ。高校の先生にも太鼓判押されてる。数学と生物がわけわかんないんだよ。拓馬は頭を抱えた。

 あした、ピッカリ先生に聞くしかないか。ていうか、ピッカリは時代に関係なく言われるんだな………。

 優がいたら吹いてるだろうな。拓馬は優しい顔になる。

 いやいや、そうじゃなくて。まずは聞くところを箇条書きにでもしてみよう。……って。

「わからないところがわからねぇ!」

 拓馬は頭をガリガリ掻いた。理数系に関しては全く駄目だ、僕。えーい、メンデルなんて大嫌いだ。

 今から学校へ行ったら先生いるかな。それとも、塾の先生にコンタクト取ったほうがいいかな。時間外とか言われないかな。

 参考書をさかのぼりながらわかるところを探していく。うん、ここは分かる。これは……微妙だけど何とか解ける。この先、わかんねぇ。

 明治の正一時代は優秀って言われたんだけどな。今の数学や生物となんか違うんだもん。

 拓馬は、はぁ、と、ため息をついた。


 模試の結果はひどかった。数学と生物が志望校のレベルに届いてない。第一志望は無理なのか。滑り止めのほうは大丈夫だろうか。

 拓馬は第一志望目指して必死に勉強する。が。

 センター試験当日。妹が用意してくれたヨーグルトドリンクを飲んだのだが、ちょっと不安な味だった。飲んだ後、賞味期限の日付を見たら、二日ほど過ぎている。

 おーい、なんてもん渡すんだよ、みおのやつ。これで落ちたら一生恨むぞ。

 そして、試験会場で。

 あ、あれ、おなかが痛い。マジ痛い。これ、やばいやつじゃないか?

 よりによって、数学の時間だった。ただでさえ分かりにくいのに、痛さが気になって問題どころじゃない。

 試験管に申し出てトイレに行かせてもらう。さ、最悪だ。治らない。

 散々だった。第一志望が受かるほどの問題を解いてないのは拓馬自身わかっていた。

 落ち込んで帰る。みおのせいにもできるが、日付を確認しないで飲んだ自分も悪い。兄として、怒れない。

 自己採点してみる。あー、無理だ。第一志望、本試、受けれないわ。滑り止めは何とかなると思いたい。

 浪人生になるより、滑り止めに行ったほうがいいよな。なんか、士気上がんないけど。

 第二志望の東京の私立大学のために勉強する気になれなかった。もういいや。このまま、フリーターでも。

 やけを起こしかけていた拓馬だが、一応、試験には行ってみた。

 面倒だったが合格発表を見に行った。

 ……あ、合格してる。

 自分の番号を見つけてほっとするような、めんどくさいような不思議な気持ちになった。


 大学に入るといろんなサークルに誘われた。なぜか文科系のサークルばかり。細っこい拓馬だから運動部は向いてないと判断されたのかもしれない。

 サークルの中に日本史同好会というのがあった。あ、一番楽しそう。知ってることを人と話せるのは楽しいはずだ。

 ノックをしてドアを開ける。ひげを生やした人がたばこを吸っていた。

「いらっしゃ~い。入部希望?」

「は、はい」

「ま、座って~」

 パイプ椅子を持ってきてくれた。

「失礼します」

 そういって拓馬が座ると、その先輩が笑った。

「そんなに緊張することないよ。ここは上下関係ないから。歴史のこと話せればなんでもOK」

 そういうと先輩はもう一度たばこをくわえた。

「あ、吸う?」

「いえ、まだ十八なんで」

「ストレートに入れたんだ。ていうか、高校の時に吸わなかった?」

 拓馬が首を横に振ると、目を大きくした。

「まっじめ~。俺、高1んときに吸ってた」

「見つかりませんでした?」

「親、なんも言わなかった」

 雑談をしていると、ドアをノックする音がした。

「は~い」

 ドアがそっと開いた。そこにいたのは、まるで高校生が私服で来てしまったかのような、少しだけ場違いな女性だった。

 そして、拓馬の背中を電流が走る。あ、お夏だ。

 拓馬の顔がぽやんとした。三つ編みの長い髪、眼鏡を指で上げるしぐさ、その眼鏡の奥にあるちょっと吊り上がった目。大学生なのに化粧はしていない。ジーパンにジージャン。黄色いインナーに茶色の英語文字。なんだか、可愛かった。

「おー、入部希望?」

「はい、長野杏です」

「よろしく~俺、田中正幸」

「あ、僕、水戸拓馬といいます」

「あ、お前の名前、今、知った」

 まずい、と拓馬は思ったが、田中は人懐こい笑顔だったのでほっとした。

「ということは、水戸さんは新入生ですか?」

「はい、そうです」

「これからよろしくお願いします」

 杏は二人にぺこりと頭を下げる。

「歴史、詳しくないけど、城の石垣とか好きでいろんなとこ見回ってます」

 杏は一番好きなことを告げた。

「僕はそれぞれの時代の庶民の生活が好きです」

 拓馬も答える。さすがに記憶があるとは言えなかったが。

「お、珍しいね、庶民のほうに目が向くとは。俺は断然、武将だね」

 それぞれ好きな分野を言うと、不思議と全員が笑顔になった。あ、居場所だ。拓馬は思った。杏もそう思っているに違いない。なんとなく感じた。

「田中先輩は一年の時からこの同好会に?」

「おう、俺がこの同好会を作った」

 先輩はたばこの煙をくゆらしながらニカッと笑った。

「ほかにメンバーはいますか?」

 杏が聞くと、田中は頷いた。

「三年生の鈴木春樹、二年生の安藤之巳がいる。二人とも武将派。だから、君たちはこの同好会の新しい風だな。世界が広がるいい機会だ」

 田中は冷蔵庫から炭酸飲料を出すと二人に渡した。

「すみません、私、炭酸苦手で……」

「あ、そうなの? じゃ、買ってくるわ。オレンジジュースでいいか?」

「先輩、僕が買ってきます」

「いいよ、きょうは君たちが主役だ。それに、まだ入ったばかりで自販機の場所、わからないだろ?」

 そういうと田中は部屋を出て行った。残された二人は何をしたらいいのかわからない。

「あのー」

 先に声をかけたのは杏だった。

「あ、はい」

「どちら出身ですか?」

「一応、東京育ちです」

「わっ、都会っ子なんですね! 私、秋田の田舎で過ごしてきたので東京のことわからなくて」

 暗にこんなことを言われるとどぎまぎする。杏の拓馬を見る目がきらきらしているから、心の中で生きててよかったとガッツポーズをしていた。

「歴史は庶民の暮らしに興味があると言ってましたけど、特にどの時代が好きですか?」

「やっぱり江戸時代ですね。町を歩く棒手振り、買いに来る女性たち、夜は立ち食いソバ屋に家の中では内職するためにともされる魚から取った油。ご飯だけは山盛りだけど質素なおかず。庶民の生活はいろんな観点から見れますから楽しいです」

 それを聞いた杏は細い目を大きくした。そして。

「やっぱりこの同好会に入ってよかった! なんだか楽しそう!」

 ニコニコしている杏はとてもかわいかった。ああ、今世のお夏が杏でよかった。こんなにかわいい笑顔はいくら見ても飽きない。

 田中がオレンジジュースを持って帰ってきた。

「ほい、杏ちゃん。杏ちゃんでいいよね、呼び方?」

「はい、もちろんです!」

「君は水戸ちゃんで」

「はい、それで結構です」

 温度差を少し感じるのはヤローと女性では仕方がないのだろう。

「杏ちゃん水戸ちゃんか。なんか、二人とも呼びやすいね」

 そういいながら、男性が二人入ってきた。

「こいつらがさっき言ってた二人ね。パーカー着てるほうが鈴木春樹、三年生。眼鏡のほうが安藤之巳、二年生だ。ま、覚えるまで何度でも聞いて」

 眼鏡の安藤がちゅい~す、と言う。

「いいね、新しい人が二人も入るとは」

 鈴木も嬉しそうだった。

「あ、基本ノーカウントの幽霊部員も一人いて、たま~に来るけど、幽霊扱いしていいから」

 田中が意味深なことを言った直後、勢いよくドアが開いた。

「だーれを幽霊扱いしていいって?!」

 そこには派手な感じの女性が立っていた。長いワンレンの髪、今はTシャツを着ているが、夜はボディコンを着ているのがすぐに想像できるようないでたち。杏の正反対の濃い化粧をしていた。

「お、仁王立ちが似合うな、蘭子」

 蘭子と呼ばれた女性は髪をバサッとかき上げると威圧的に言った。

「あたしもここの部員なんだから。新しい人、紹介して」

 勢いに押され、たじたじになりながら拓馬は言う。

「み、水戸拓馬です。好きな分野は江戸時代の庶民の暮らし。よろしく、お願い、し、します」

「長野杏です。分野と呼べるかわかりませんが、石垣が好きでいろんな所を見て回ってます。よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げる杏を、蘭子はじっと見つめた。

「あなた、地味ね~。男にもてないわよ?」

 その言葉を聞いた杏はこともなげにこう返した。

「結構です。好きな人にだけ好いてもらえたらいいので」

 そこにいた男性陣は固まった。ちょっとした戦いが始まるかと思った。

 が。

 しばらく黙っていた蘭子は笑った。

「私の前でまともに意見言える子、初めてだわ!あなた、見込あるわよっ!」

 いや、蘭子さん、どれだけあなたは偉いんだ? その場にいたみんなが思った。


 その夜、歓迎会が開かれた。安い居酒屋で日本史同好会のメンバー(蘭子含む)は乾杯をする。最初は和やかに進んだ歓迎会だった……が。

「あなたねぇ、女はモテてなんぼよ? 今どき奢ってもらったことがない女性なんてあり得ないわ」

 蘭子が杏に絡み始めた。

「ですから、自分が好きな人に好きになってもらえたら……」

「それが甘いのよ。この景気がいい時代、男はお金の使い方に困っているの! それなら有効に使ってあげたほうが世のため相手のため、女のためでしょ?!」

「いや、お金のない男もここにいる……」

「あんたたちは相手にしてないからいいの」

 蘭子は酒癖が悪いようだ。元々の強気な性格がさらに倍になっている。

「あなた、よーく見たらパーツ、悪くないわよ? 肌は白くて透き通ってるし、切れ長の目も悪くない。鼻だってすっとしているし。口も小さめで愛らしいし、荒れてもない。化粧したら大人びた飛び切りの美女に化けると見たわっ!」

「いえ、そういうのは望んでないです……」

 蘭子は酔った顔で杏を覗き込みながら続ける。

「ボディコン着てマハジョリ行ったら男がほっとかないと思うわっ!」

「いえ、結構です。そんなキラキラしたところ、似合うとは思えないので」

「いいから。今度、一緒に行くよ! 私のボディコン貸してあげるから」

「遠慮します」

「あんたも強情ねぇ。でもそこも有望だわ! ただ、ここは私の判断に任せても悪くないと思うの」

「おい蘭子、杏ちゃん嫌がってるだろ。やめろ」

 田中が助け舟を出した。しかし。

「田中、余計な口出ししないで。きょうは杏ちゃんを変えたいの! ねぇ、杏ちゃん………」

 蘭子の説得(というより、ごり押し)は続いた。さすがの杏もたじたじになる。

「そんなに、変わらないと思うのですが………」

「変わる! あなたは変われる! 外身も、中身も。変わってみない?」

 中身も、と言われて杏は揺らいだ。

「中身、変わるんですか?」

 蘭子は大きく頷き、大きな声で言った。

「変わる!」

 断言する蘭子を杏はじっと見た。蘭子も杏を見つめている。拓馬ははらはらとその状況を見ていた。杏ちゃん、断るんだ。君は変わらなくても十分素敵なんだから。

 杏は小さく頷き、こう答えた。

「よろしくお願いします」

 あぁぁぁぁぁ、受け入れちゃった、ダメだよ、杏ちゃん!

 拓馬はそう訴えたかったが、それより先に蘭子が高らかに笑った。

「そうよ、変わりましょ! 女はきれいになる使命を持っているのよ!」

 蘭子の決めつけに、そこにいる男性陣全員が杏ちゃんは十分きれいだ! と思っていた。

 杏は笑っている蘭子をちらちら見ながらウーロン茶を飲んでいる。ちょっと怯えていた。

 私、変わりたいとは思ってたけど、蘭子さんのイメージする変わった姿と私の変わりたい姿、違う気がする。

 杏は少しだけ後悔していた。


 蘭子はビールを散々飲み、突っ伏して寝ていた。

「あーあー、飲むとほんと質悪いよな、蘭子って。普段も威圧的だけど、さらにパワーアップして、最後は子供みたいに寝るんだよ。そのくせ、全部記憶があるみたいなんだよな」

 田中がカーディガンを蘭子にかけながら言う。

「杏ちゃん、大丈夫? ほんとに蘭子、無茶苦茶やるよ?」

 安藤が聞くと、杏は頷いた。

「自分で決めたことです。受け入れます」

 凛と答えるところはお夏に似ていた。拓馬は一瞬思い出し、ぽやんとした顔になる。いやいや、それどころじゃない。杏が本当に変わってしまったら困る。今のままでとても素敵なのだ。

「受け入れなくてもいいんじゃないかな? 杏ちゃんは十分素敵だよ?」

 拓馬は思わず言った。

「ぉおっとぉ! 出会って一日目で告白かぁ~?!」

 安藤がノリで大声を出す。告白するテレビ番組の影響か。

「い、いや、そうじゃなくて………」

 拓馬がうろたえていると、杏が多少がっかりしながら言う。

「……そうじゃないんだ」

「え?」

 こ、これはもしかして両想いだったのか? 僕は言葉の選択を間違えたのか?

 拓馬はさらにうろたえた。

 杏は杏で、無意識に呟いていた意味を考えていた。

 私、告白されたかったのかな? 確かに彼氏いない歴年齢と同じだから、告白されたら嬉しいけど、会ったばかりの人なのに。

 出会って一日、いや、数時間の二人は急に黙り、黙々と自分の飲み物を飲む。黙った二人を見て、少々気まずくなるメンバーたち。

 急に蘭子が起きた。

「今こそ変わるのよ!」

 それだけ言うと、バタッと突っ伏す。

「怖っ」

 鈴木が言う。

「あー、どうしようもないわ。夢の中まで説教してるとこだろ」

 性格をよく知っているらしい田中がため息交じりに行った。それを聞いて、起きているその場にいたメンバー全員がつられてため息をついた。


 歓迎会後、蘭子はしばらく日本史同好会に来なかった。毎日来ていたメンバーたちは安堵しながら歴史のことを調べたり語ったりしていた。

 男性ばかりの中に杏がやってくると全員が杏に見とれている。みんなのアイドル杏ちゃんとその仲間たちとでもいうような毎日。穏便に毎日が過ぎていた。

 先日のことをみんなが忘れかけたころ、日本史同好会に嵐がやってくる。

 ドアが派手に、バタンと開いた。

「杏ちゃん、いる?!」

 大きめの紙袋を持った蘭子が相変わらず威圧的な言い方で杏を呼んだ。

「は、はい」

 杏は蘭子の登場におののきながら答えた。

「あったわよ、あなたに似合いそうなボディコン!」

 そういいながら、袋から青いボディコンを出して見せる。

 ぁああああああ! ほんとに持ってきちゃった!

 拓馬は頭の中でやめてくれと叫んでいた。

「これ、ジャンサーで見つけたの! 杏ちゃんに似合うと思って!」

「蘭子、それ、杏ちゃんのために買ったの?」

 田中がそう聞くと、蘭子はこともなげにこう答える。

「みつぐくんに買わせたに決まっているでしょ?」

 それ、決まっているんだ……。その場にいる全員が唖然としながら聞いていた。ちなみに、みつぐくんとは本名ではなく、貢がせる男性という意味の、女性の中では当時一般的な呼び方だ。

「まず、着てみて。大丈夫、私が全部サポートするから。杏ちゃん、飛び切りの美女にしてあげる!」

 大丈夫じゃない! その場にいる男性全員が心の中で叫んでいた。

「は、はい、わかりました……」

 杏が押され気味に答える。

 ぁあああああ、杏ちゃんが、変わってしまう。今の素朴な杏ちゃんが僕は好きだ。

 今、言えば間に合ったかもしれない。杏の内面が変わる前に、拓馬は告白するべきだった。しかし、拓馬はおとなしい性格に育ち、場の雰囲気をガラッと変えるということをしてこなかった人間だった。蘭子の勢いに飲まれて何も言えなくなっている。

 杏が蘭子に手を引かれて部屋を出て行った。シンとした同好会の部屋の中。小一時間とでもいえる時間、男どもは何も言えなかった。

 一方、蘭子に連れられた杏は、とある部屋に連れていかれた。

「みんな~、連れてきたよ~」

 そこには化粧が濃いめの女性たちがいた。

「おー、いい素材見つけたね~」

 その中の一人が言う。

「じゃ、始めようか。杏ちゃん、これに着替えて」

「はぁ………」

 青のボディコンを受け取る杏。広げると背中に赤い紐が使われていた。

 は、派手だ、この組み合わせ。同じ青でもこんなに目立つ青は着たことがない。そのうえ、この赤い紐……目立ってしょうがない。

 杏は先日、受け止めますと言ったことを後悔していた。

「大丈夫よ、ここは男子来ないから」

「は・や・く!」

 女性たちに促されて杏はしぶしぶ着替え始める。

 ここからは女性たちのペースだった。着たことのないボディコンに戸惑う杏を手伝う女性、着た後はすぐに三つ編みをほどかれ髪を梳かされる。その間に化粧を始める蘭子。

「じっとしててね、これまでにない杏ちゃんに変えてあげる。そして、きょう、マハジョリデビューするのよ!」

「え!」

 思わず声を出した杏。蘭子は顔を押さえた。

「はい、動かないで。しゃべりもしばらく禁止。お化粧終わるまでね」

 ウインクする蘭子。杏は心の中で叫んだ。私に、自由をくださーい!

 その願いは叶わず、どんどん化粧する蘭子。ファンデーション、アイシャドウ、アイライン、アイブロウ、ビューラー、頬紅、ルージュ、その他もろもろ、蘭子の化粧は大変慣れていた。

「はい、手を出して。あと、その靴と靴下も脱がすからね」

 知らない女性がマニキュア、ペディキュアをし始める。もう一度、杏は心の中で同じことを叫ぶ。

 私に、自由を、くださーい!!!

 その声は出していないため届くことなく、蘭子の思うとおりに仕上げられた。

「はい、杏ちゃん、鏡見ていいよ」

 いつの間にか姿見が置かれていた。自分の姿を見た杏は目を見開いた。

 私、変わった。

 きれいだった。自分で自分だと思えなかった。青のボディコンが似合っていた。足には赤いハイヒール。爪がきれいだった。杏はしばらく姿見をじっと見ていた。

「ほら、変わるでしょ? マハジョリ行ったらもっと変われるわよ!」

 蘭子の言葉に杏は勇気を振り絞って答えた。

「これで十分です。いい思い出になります」

 その答えを蘭子は否定する。

「何言ってるの! まず、マハジョリに行ってから考えなさい。ここまできれいになって、もったいないでしょ!」

 そういうと、蘭子は手を引っ張り日本史同好会の部屋に向かう。履きなれてない高いヒールに苦労しながら必死で歩き、杏は蘭子に聞いた。

「この姿、みんなに見せるんですか?!」

「とーぜん。まずは身近な存在からよ」

 やーめーてー!!!! 杏は手を引っ張られながら思う。なぜか、この姿で日本史同好会の男性たちに会いたくなかった。

 蘭子はドアを開ける。男性陣が固まっていた。

 ほら、やっぱりみんな変な顔してるじゃない。

 杏がそう思っていると田中が杏にとって意外な発言をした。

「杏……ちゃん? ……きれいだ」

「でっしょ~!」

 勝ち誇ったかのように蘭子が言った。

「ほら、一回転してみて、杏ちゃん」

 言われた杏はぎこちなく一回転する。

「うん、きれいだ」

 鈴木も頷く。安藤も首がちぎれるんじゃないかという勢いで大きく何度も頷いていた。

 そんな中、拓馬だけが冷静だった。いや、冷静という言葉で表すのは間違いかもしれない。表情を変えられなかった。

 青いボディコンに赤い紐。お夏が着ていた着物の色だ。似合わないはずがない。でも。今世ではあの、高校生が間違えて大学に来たかのような格好の杏のことを拓馬は好きになっていた。

「きょう、マハジョリに行くの。みんなついてくるわよねっ!」

 断る人がいるはずもないと思い込んでいる蘭子。慣れない格好にどうしていいかわからない杏。マハジョリでどうなるか見たい拓馬を除く男性陣。全力で断りたい拓馬。

「お、おう」

 田中がそう言ってしまう。そうすると、拓馬以外の男性陣は頷いていた。

 どうしよう、マハジョリ、行きたくない。

「すいません、僕、金欠で行けないです」

 声を絞り出して言う。しかし、蘭子がにこっと笑った。

「大丈夫、想定内よ。みつぐくん連れて行く。全員分払わせるから」

 こ、断る理由がなくなった。拓馬は思わず下を見た。そして。


 こ、ここがマハジョリかぁ………。

 きらきらしているマハジョリの実物を見た拓馬は圧倒されていた。蘭子がみつぐくんに買わせたシャツを着て立っている自分がなんだか情けなかった。

 堂々と中に入る蘭子。そのほかの日本史同好会メンバーは全員玄関で魂が抜かれたような顔をしている。

「ほら、さっさと入る!」

 戻ってきた蘭子に呼ばれ、全員がぎくしゃくと中に入っていった。

 派手な音楽、ビカビカのライト、お立ち台に立つ女性たちが、下から下着が見えそうなのも気にせず羽扇子を持って踊り狂っている。

 う、うわー、ダメだ、僕のなじむ場所じゃない。

 その横で、杏も似たようなことを思っていた。

 うわー、ダメだ、ここ、無理。お立ち台なんてもっと無理。

 そんな杏に声をかける男性がいた。

「踊らないの?」

 杏はびっくりして男性を見る。茶髪のロン毛、派手なチェックのシャツ、眉毛を細くしているその男性はいかにもチャラかった。

「は、はい、マハジョリ初めてで、どうしたらいいかわからなくて」

 そう答えた杏に男は肩を叩く。

「え~、こんなにきれいなのに、もったいない。僕が相手になるから踊ろうよ」

 会話を聞いてしまった拓馬は全力で阻止したかった。しかし、杏はどう思うのだろう、と、一瞬だけ考えた。そのすきに、男はフロアのほうに杏を連れて行く。

 しまった、今世最大のミスをしてしまったかもしれない! 拓馬は焦っていた。杏を目で追う。すると、杏は日本史同好会では見たこともないような弾けた笑顔になっていた。

 あ、負けた………。

 あんな笑顔にできなかった。あのチャラい男は数分で杏を笑顔にした。しかも、屈託もない笑顔。拓馬は自分のふがいなさを悔やみ、下唇をかんだ。


 杏はその後、日本史同好会に来なくなった。蘭子からの情報では、あのチャラい男と付き合い始めたらしい。蘭子とはチャラい男含めて会うことがあるらしいが、拓馬は大学ですれ違うだけになった。

 どうしても杏のことが忘れられなかった。あの、高校生が間違えて大学に来てしまったかのような格好の杏に恋したままだった。

 大学卒業後、杏があのチャラい男と結婚したことを風の便りに聞いた。できちゃった婚らしい。それを聞いた時、拓馬は少し憎らしいと思ってしまった。

 その後、拓馬は誰とも付き合わなかった。オタクのレッテルを張られたが、拓馬自身にとってどうでもいいことだった。

 そして、バブルは弾ける。周りが慌てる中、一人の生活さえできれば何とかなるという拓馬はかえって気楽に気ままに生活していた。

 田中先輩から譲り受けたたばこ好きがいけなかったのだろうか。三十代で重度の肺がんが見つかり手術も間に合わず、亡くなった。

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