表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつか、あなたと  作者: 千夢
6/8

第五章 出会いが別れ

 正一はまた生まれ変わった。やれやれ、また転生か、と、あくびをする。五回目の人生ともなるともうあきらめの境地だ。もうお夏は探さない。

 短い髪の女性が近づいてきた。

「和夫、起きたねぇ」

 どうやら母親らしい。今までに見たことのない風貌だったため今回は外国かと構えた和夫だったが、話している言葉がよくわかることと、黒髪、黒目、体形を見てこれはきっと、日本人だろうと思った。

 部屋からラジオの音がする。聞こえてくる新しい調子の音楽を聴きながら時代はすすむものだなぁとしみじみ思った。

 江戸時代には考えられなかったことが目の前にたくさん広がっている。この感覚は自分にしかないのだろうか。いや、これほど一気に文化が変われば一つの人生の中でも『時代は変わった』と誰もが思うかもしれない。

 ちなみに、目の前にいる母はモガという存在らしい。モガとはモダンガールの略で、ひざ下のスカートをはき、短い結べそうにない髪をしている。ルージュなるものと、頬紅をつけるのがこの女性の習慣らしい。

 そして、驚いたことに働きに出る。職業婦人というらしい。働きに出る間、和夫はおばあさんに預けられる。笑顔で行ってきますという母を見送る。おばあさんは和夫の右手を振らせ、ニコニコと行ってらっしゃい、気を付けてな~と、声をかける。

 なんだなんだ? この世はどうなっているんだ?

 今までそれほど時代の変化に驚かなかった和夫も、今回ばかりは大変驚いた。毎朝、会社に向かう母を見送りながら不思議に思った。


 時は流れ、昭和十二年。中華民国との北支事変(支那事変)が始まった。和夫、十二歳。前世で戦争の怖さを知っている和夫はおびえていた。

 だいたい、まだお夏にも会ってない。せめて出会って恋をしてからにしてほしかった。あきらめ気味とはいえ、一目会いたい。

 また前世のように戦地に駆り出されるのだろうか。いつか、赤紙が来るのだろうか。毎日びくびくしていた。

 周りには戦うことが正義かのように言う大人ばかりだ。何が正義だ。大事な人が死ぬんだぞ?大量に死ぬんだぞ?死ぬほうもつらいし、残された人もつらいだろう。

 こんなばかげたこと、いつまでやるんだ! 心の中で和夫は叫んでいた。実際に言えばどんなことになっていただろう。

 前世で優を残して死んだことが心の傷になっていた。優はちゃんと他の人と結婚できただろうか。幸せであってくれたらいい。

 優のことを思い出すと情の入った少し弱々しい感覚になる。近い前世のせいか、お夏、というより、優と声をかけたくなる。

 あきらめ気味とはいえ、再び、お夏の魂を持つ女性に会ってみたいという気持ちは片隅にある。また戦争が自分たちを引き離さなければいいが、と、出会う前から危惧している。戦争なんて、ろくなことがない。


 昭和十六年、戦争は、世界に飛び火した。今回は太平洋戦争と呼ぶらしい。

 和夫も十六歳。いつ赤紙が届いてもおかしくない年だ。周りの大人が戦争に感化されていく中で、和夫はどんどん虚しくなっていた。口には出さないが、国民をあおるラジオの声を聴きながら、正しい道を歩んでくれと心の中で叫んでいた。

 そして、あっさり赤紙はやってくる。自分の名前が入った紙を見つめ、やれやれ、今回はお夏に会わずにおしまいか。もしかすると、これで最後の転生かもな、と冷静になった。

 町の人たちが壮行会を開いてくれた。町の一緒に戦争に行くことになった青年たちに、町民は万歳と大声で手を挙げている。

 虚しい。死ぬかもしれない人間におめでとうと言うこの戦争はおかしい。ちょっと下を向いて人の顔を見ないようにした。

 壮行会が終わると、すぐに出発だった。生きて帰れないかもしれないし、遺体も回収できないかもしれない、と、髪を切られ、家族にそれを持たせる。そして、少ない荷物をもって、兵士を運ぶトラックに乗った。

 和夫を運ぶトラックはよく揺れた。地元の道を走りながら、最後くらいは揺れない車で送ってほしかったと文句を言いたくなる。

 今世に別に心残りはない。和夫の人生の目的はお夏だ。諦めかけていたとはいえ、今まで転生するたびに出会い、恋した想いは強い。

 出会わずに終わるか。このまま転生しないかもな。こういう終わり方なのか。妙に冷静だった。


 和夫たちは飛行機の運転の仕方を習っていた。しかし、何度聞いても着陸の仕方を教えてもらえない。おかしいと思って数日過ごしていると、飛行機部隊は集まるようにと言われた。広い部屋に向かう。

 上官が壇上に立ち、大声で言う。

「君たちには重大な任務を行ってもらう。その名もカミカゼ特攻隊だ!」

 和夫の心が凍り付いた。

 ほ・ん・と・う・に、か・え・れ・な・い。

「敵の飛行機、空母などにぶつかるのだ! そうすれば敵国の戦力、士気は落ち、我が日本の勝利は大きく近づくであろう!」

 馬鹿なことを言うな、人の人生奪うな!

 和夫の心の声は届かない。今、これを言えば非国民として罰せられる。いまいちどちらがいいかわからないなっては来たが、この空気間で嫌だを言うことはできなかった。

「君たちが飛行機に乗る日にちは………」

 上官は大きな声で和夫たちの士気を上げようとする。そうすればするほど、和夫だけは冷静になり、自分の死を見つめる。横をちらりと見ると、高尚なことでも聞いているかのように上官の話を聞いている。これも心の中でだが、バカか、とツッコミを入れた。

 上官の話はそれほど長くなかった。日にちを告げ、健闘を祈ると大声で言うと、壇上を去っていった。和夫は何が健闘を祈るだよ、と頭の中で毒づいた。

 散会後、一人のやせた男性が近づいてきた。

「お前も飛行機に乗りたくないんだろ?」

 びくっとして男のほうを見ると、眼鏡をかけたその男はにやりとした。

「安心しろ、誰かに言うつもりはない。お前が冷静に下向いてたことを知ってるだけさ。俺も、しにたくない」

 死にたくない、はっきり言った男は鼻で笑った。和夫の耳元に口を寄せるとこう言った。

「戦争なんてばからしい。世界はペンで戦うべきだ。殺し合いに意味なんてない」

 眼鏡男はぴしゃりと言う。和夫は誰かに聞かれないか気が気でなかったが、眼鏡男の意見には賛同だった。

「ペンで戦うというのはいい表現だ。人間は言葉を使えるのだから、けんかや殺し合いで自分の意見を通そうとするのは間違いだと思う」

 和夫も眼鏡男の耳に口を寄せ、小さな声で言った。

「よかった、俺が間違ってるのかと思ってたんだ。なんか、戦争が始まってから変な雰囲気だろ? こういう別の意見を持つ奴が問答無用で殺されるんだぜ? 戦争って、こえぇよ」

 それを言うと、眼鏡男は去っていった。


 出発前日、自和夫達特攻員は広い部屋に集められた。椅子が並んでおり、適当に座るように言われ、先日の眼鏡男と最前列の真ん中に座る。

「明日、出発する君たちのために、壮行会を開きます。今日は歌手の胡蝶蘭さんに歌っていただきます。皆さん、大きな拍手でお迎えください!」

 こういうこともしてくれるのか。あの世へ送る前の気遣いだろうか。そんなことより家に帰してくれたほうがよっぽどありがたいのだが。と、和夫が思っていると、金の刺繍が入った赤いドレスを着た女性がマイクを持って入ってきた。

 その時だった。背中を、電流が走った。と、いうことは………。

 胡蝶蘭、この人こそが最初の前世で出会ったお夏。

 釣り目はやはり似ていた。気の強そうなところは小春を思い出させる。背筋をピンと伸ばしているところは妙高か。人懐っこそうな笑顔は優かもしれない。きれいに化粧したその顔は今までの全員をおもいださせた。

 こんなところで。和夫は自然と涙が出てきた。こぼれないように上を向く。

「皆さんこんばんは。胡蝶蘭です」

 観客は大きな拍手を送る。全員、明日、死ぬ。しかし、今は歌が聞けると笑顔だった。

「皆さんのご健闘を願って、精一杯、歌わせていただきます」

 そういうと胡蝶蘭はドイツ原曲の歌を日本語で歌い始めた。透き通るような歌声だった。それを聞いて泣いている者がいる。どういう感情で泣いているのだろう。しかし、これなら自分も泣いていても不自然ではないと、和夫も涙を流す。他の者とは違う理由だが、そんなことはどうでもいい。とにかく泣きたかった。

 僕たちに、思い出は生まれない。明日、僕は死ぬ。何かに突っ込むか、海に落ちるか、そんな理由で、僕は死ぬ。犬死以外何物でもない。

 きっと、ガソリンだって帰る分は載せてないだろう。今の日本で外国機にぶつかる飛行機のために余分なものを乗せる余裕はないはずだ。

 明日、確実に死ぬ自分に、天はお夏と会わせるという残酷なことをした。和夫は今までの人生の中で一番神様を憎んだ。

 明るい曲調の曲、ゆったりした曲、何かを思い出させるような歌詞、いろんな曲を歌う胡蝶蘭。曲ごとに和夫はいろんな感情に襲われる。

 お夏を愛した時のこと。小春に振られた時のこと。妙高にたしなめられた時のこと、優に結婚すると言われた時のこと。そして、今世ですぐに別れなければならない胡蝶蘭との別れへの悲しさと虚無感。

 現実は怖い。出会いが別れになる。普通なら袖が触れただけのような縁だが、和夫の中では何回も振られたり、縁なく死に別れたりしている。そして、今回は自分が死ぬのだ。涙は止められなかった。

 胡蝶蘭が話し始めた。

「次の曲で最後になります。皆さんも知っている曲ですので、一緒に歌いましょう」

 オルガン担当者が引き始めたのは、ふるさとだった。

 周りのすすり泣く声が少し大きくなった。みんな、本当は死にたくないんだ。

 こんな時にこの選曲は合っているのだろうか。和夫は冷静になった。みんなが死にたくないと願っていることに気づいた今、気持ちが穏やかになった。

 そして、どんなに願っても、和夫たちは明日死ぬ。まさかの終戦でもなければ。


 胡蝶蘭が歌い終わった後、全員と握手をするという。ゆっくり握手したいと思った和夫は列の最後に並んだ。

 一言ずつ声をかけて握手する胡蝶蘭。ゆっくり進む列の後ろで、何を話しかけようか悩んでいた。想いを告げるべきかどうか。しかし、答えを出せるほど長い時間ではなかった。

 胡蝶蘭は笑顔で和夫の手を取った。

「お帰りになったら何をなさいますか?」

 胡蝶蘭は何も知らされていないのだろう。無邪気な顔でこの質問をした。しかし、和夫の心は意外にも乱されなかった。

「帰りません」

 胡蝶蘭は不思議そうな顔をした。

「帰りのガソリンはありません。僕はただ、飛行機で敵軍に突っ込むだけです」

 その途端、胡蝶蘭の顔がこわばった。言ってはならないことを言ったのだと悟ったのだろう。そんな胡蝶蘭を見ても、和夫は笑顔を崩さなかった。

 胡蝶蘭は必至で言葉を探したらしい。そして、やっと引っ張りだした答えはこれだった。

「いってらっしゃい」

 この人は、不器用だ。和夫は思った。そういえば、お夏も不器用だった気がする。過去を思い出し、お夏と重ねて胡蝶蘭をいとおしく感じるようになっていた。

「行きます」

 行って、来ます、とは言えない。行っても帰って来れない。だったら、行きますとしか言えないではないか。

 ここで正しい言葉を探して言ってしまう和夫も十分不器用だった。

 胡蝶蘭は、握手している手をプルプル震わせると、そっと離し、小さな声で「ごめんなさい」というと後ろを向いてしまった。泣いているのがわかる。一兵士を傷つけてしまったとおもっているのかもしれない。

 和夫はその姿だけで胡蝶蘭を許せる気がしてきた。この人は、人を大事にできる人だ。不器用かもしれないが、そこも可愛いではないか。それと、僕が最後でよかった。これ以上胡蝶蘭さんの泣き顔を見る人はいない。

 お夏の魂だと思うからだろうか。和夫は優しい気持ちになっていた。

「歌を、ありがとうございます」

 これ以上、何かを言うのは酷だと和夫は思った。こちらを向いて涙を流している胡蝶蘭の顔を見ると、一礼してその場を去った。


 夜はなかなか寝付けなかった。しかし、死ぬことが分かっている人生は初めてだ。妙な感覚になる。

 胡蝶蘭の写真でももらっていたら良かったな。でもさすがに持ち歩いてないか。短い恋を和夫は楽しんでいた。

 死ぬのは怖い。ただ、僕には転生できるかもしれないという希望もある。この記憶を持ったまま、次の人生でお夏の魂を持つ女性とうまくいくかもしれないではないか。

 なんと、死を前に、和夫は前向きになっていた。

 胡蝶蘭さん、きれいだったな。いい思い出だ。第一、僕の前に泣いてくれたではないか。

 彼女を思い浮かべて笑顔になる。

 ありがとう。また、会いましょう。

 和夫はそういうと、目を閉じる。心が穏やかになっていた和夫はすぐに眠りについた。


 目の前に、ゼロ戦がいる。これが、僕の死に場所だ。

 和夫はじーっと見つめていた。地味な色だな、と呟く。日の丸のマークだけが赤く、目のように光っていた。

 和夫の飛び立つ順番がやってきた。もう、死への階段は始まっている。

 和夫は考えていた。なんか、ぶつかりたくないな。爆発の炎に包まれて死ぬのはなんだか嫌だった。だったら、海に落ちて、海の生き物の糧になって、この飛行機も魚の住処として使われたほうが平和だ。激突したら相手の外国人の家族だって泣くだろう。誰に何を言われてもいい。僕は、平和が大好きだ。大事な人を守れる時代になってほしい。

 和夫はそう思うと、しばらく飛んだところで自ら操縦機を下に向けた。

 僕は、死ぬ。


 和夫を乗せた飛行機は海に落ちた。誰に褒められるでもなく、報告されることもなく。飛行機は壊れ、沈んでいく。海の水を飲み、苦しいと思いながら和夫は死ぬ。


 これは、自殺だ。飛行機に乗った者の中で、何人が自殺しただろう。少なくとも、ここに、一人、いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ