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いつか、あなたと  作者: 千夢
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第四章 二人の純愛

 洋服を着る人も増えてきた明治三十年。川田佐吉はまた生まれ変わり、近藤正一と名付けられた。

 おぎゃぁと産まれた時からまた記憶があることを確認した正一は、割とすぐにお夏に会うことになる。

 明治三十五年、隣に女の子を連れた家族が引っ越してきた。まさにその子が今世のお夏、名前を優という。

 まったく前世の記憶がなさそうな優はよく正一をからかった。

「なんだい正一。またバタ臭いもの食べて!」

 正一が縁側で食べていたのは西洋菓子のビスケットだった。もう世間では洋菓子店がちらほら出店し、昔ほどバターやミルクに抵抗を持つ人も減っていたのだが、優はあまりそのような菓子が好きではないようだ。

「一度食べてみなよ、美味しいぜ?」

「あたしゃ、ぼた餅のほうが好きだ」

 あんこやみたらし好きの優はあっかんべーをしてから走って去っていく。そんな優をニコニコしながら正一は見送った。

 こんなに早く出会えるなんて、幸せだなぁ。ほっこりした正一はビスケットを手にしたまま優が去っていった方をしばらく見つめる。

 ただ、この感情は何だろうと考えるようになった。前世で妙高に言われたことがいまだに気にかかる。あなただから愛した。お夏だから愛したではいけないらしいが、正一にとってはお夏というきっかけがあったということではいけないのだろうかとしか思えない。そもそも、前世の記憶がある自分に前世を忘れることなどできない。

 そして、優はかわいいなぁ、と背中を見ながら思う。ちょっと釣り目で笑うと糸みたいになって。先程のようにあっかんべーをした変な顔までかわいい。惚れてることはこういうことだと何度目かの確認をした。


 二人は仲良く過ごした。小学生時代、優は偶然にも正一の隣に座っていた。ちょっかいかけられる正一はそれでもうれしかった。自分に気を向けてくれるだけで顔が緩む。

「正一の習字の字、へたっぴ~」

 そう言うと、優は筆を正一の顔にペタッと付けた。そんなことをされても正一は優を怒らない。それに乗じて優は正一にさらに墨を塗る。

「優、やめなさい」

 教師が優を諫める。優は、ちぇ~、と言うと筆を引っ込め、おとなしく半紙に字を書き始める。

 当時、紙を大事にする傾向があり、半紙が真っ黒になるまで、みな練習していた。しかし、優は勉強がそれほど好きではない。半紙も半分くらいしか埋まってない。その半分も変なラクガキまで入っている。

「優、もっと練習しないと字はうまくならんぞ。これからは女子も勉学に励まないと嫁の貰い手も見つからんぞ」

 周りの生徒がくすくすと笑った。嫁の貰い手、という声に、優はにっこり笑いながらとんでもないことを言う。

「いいだ。おら、正一に嫁にもらってもらう!」

 これを聞いた正一は思わず吹いた。手にしていた筆が半紙にべたっとつく。もし、今、お茶を含んでいたら大変な惨事になるところだ。教室中の生徒がワイワイ騒ぎ出した。中には立ち上がって足をバタバタしている生徒もいる。ヒューヒュー言う生徒に何も言えない正一だった。

「静かに、静かに、しーずーかーにー!!!」

 なかなか静まらない教室内は教師を怒らせた。

「いい加減にしないと、宿題増やすぞ!」

「え~~~~~~~~」

 生徒はしぶしぶ再び筆を持った。立ち上がった生徒も正座する。

 当の正一はというと、顔をこれ以上赤くはならないのではと思われるほど赤くしてぼ~っとしていた。

 や、やっと願いが叶うのか…………。

 いつもは自分から結婚を申し出ていた。今回は優から、お夏からの結婚の申し込みだ。今度こそ添い遂げられる!

 ぽやんとした頭の中の空想では二人を祝って花火が上がっているところなんだが、大輪の真っ赤なボタンが上がったところでパシッと頭を叩かれた。

「正一、ボケっとしない」

 しゅんとする正一。優のほうを見ると、真面目に習字をしている。

 なんだい、せっかくの申し出、断らないのに。


 明治四十五年、陛下が崩御なされた。新しい年号は大正というらしい。正一はまた時代をまたいでしまったか、となんとも言えない感情を抱いていた。

 齢十五歳。正一は優との結婚を視野に入れていた。優を養っていくためにはと、教師を目指し、勉学に励んでいた。優はというと、のんきなもので、花嫁修業もろくにせずに自分の好きなことばかりしていた。

 正一が勉強していると開いている窓をコンコンと叩く者がいた。顔を上げると、そこには優の姿が。

「正一、カフェーに来て」

 優は一言言うと着物だというのに軽やかに走っていった。やれやれ、急だなぁ、とため息をついた正一だが、教科書をしまうと出かける準備を始めた。

 カフェーに着くと、優がテーブルで手を振っていた。

「遅い、正一! おばあちゃんになっちゃうじゃない」

 席についた正一はいきなり怒られた。優の前にはコーヒーとなぜかショートケーキが置かれていた。

「あれ、バタ臭いもの、嫌いじゃなかったの?」

 本当に不思議な組み合わせだったため、自然と聞いていた。

「たまには食べてみようと思ったのよ」

 優の本音はカフェーにあんころ餅がなくて、甘いものを食べようとしたらケーキくらいしかなかったという理由なのだが、正一にそのまま言いたくなくて意味のないウソをついた。

「突然呼び出して、どうしたの?」

 どうしたと言いながら、呼び出されたことにほんわかとしている正一だった。

「用がなければ呼び出したらダメなの?」

 頬を膨らましながら言う優。カフェーに慣れてなかったから誰かに一緒にいてほしかっただけだった。一番呼び出しやすいのが幼いころから一緒にいた正一。一緒にいて一番楽だった。

「あのさ、正一。なんで先生になりたいの?」

 コーヒーを口にしたとたんに言われた正一は戸惑う。本音は優を養うため。しかし、それを今、言うべきときではないような気がした。

「小学校の頃のピッカリ先生に憧れたんだよ」

 ピッカリ先生と聞いて優は大声で笑った。

「は~、あのハゲ先生に憧れてたの?どの辺が?」

 信じられない、と呟く優に正一は言った。

「わかりやすく教えてくれるところ。優しくて丁寧だった」

 その言葉を聞いて優はぽかんとした。

「そーかね~、わかりやすくもなかったし、優しくなかったよ、私には」

 上を向いてふうと息をついた優。

「すーぐ怒るんだもん。大嫌いだった。あー、思い出すだけでやだやだ」

 そんな優の様子を見て、正一はクスリと笑った。

「優は学ぼうとしてなかったからだよ。学ぼうとしている生徒には優しかった」

 正一が先生のことを言うと、優はケーキにフォークを刺しながらぶちぶち言った。

「どーせ私は落ちこぼれでしたよ」

 そういいながら拗ねる優が正一にはとてもかわいく見えた。

「優は賢い子だよ?勉強しなかっただけで、ちゃんと取り組めばできる子だ」

 正一が言うと、優はちょっと顔を赤らめた。

「なにお世辞言っているの、何も出ないよ?」

 褒められることに慣れてない優は素直に気持ちを表現できず、こんな言い方になってしまった。

「お世辞じゃないよ。花嫁修業したらきっと素敵な奥さんになる」

 正一に言われた優はさらに顔を赤くしたが、その後、笑顔でこう切り返した。

「なに、告白?」

 今度は正一が赤面して下を向いた。ここで、そうだと言いたかったがいまはその時でないと判断する。

「そういうことは想う人に言いなさい」

 下を向いたまま言う正一に優は言った。

「私、正一以外の人とは結婚しないよ? 小学校の時言ったでしょ? 正一に嫁にもらってもらうって」

 正一は天にも昇る気分だったがなるべく表情に出さないようにした。

 黙る二人。こんな時だというのにかかっている音楽は暗い歌詞だ。黙々とケーキを食べる優。コーヒーを飲む正一。下を向いたままだった正一は優の変化に気づけなかった。

「う、う、う」

 優の声が聞こえて正一が顔をあげてみると、優は先ほどとは真逆の、真っ青な顔をしていた。

「え、ど、どうした?」

「き、気持ち悪い」

 優の言葉に正一はどうしたらいいかわからない。

「慣れないもの食べたせいだと思う。気持ち悪い」

 バターやクリームは本質的に合わなかったらしい。優は本当に真っ青になっている。皿を見るとケーキは一口分しか残ってない。

「無理して食べなくてもよかったのに」

 そういいながら席を立ち、背中をさする。

「甘いもの、なかったんだもの」

「だったらカフェーじゃなくても」

 好奇心で入ったはいいが、これではとてもじゃないが良い思い出になるとは言えないだろう。

「入ってみたかった」

「そんなことより、大丈夫?水、飲んでみな?」

 水をもらい、優は少しずつ飲んだ。は~、と息をつくと、正一の顔を見る。

「あんた、よくこの手のバタ臭いもの平気ね? そこだけは意見合わないわ」

 正一としては江戸時代になかった珍しいものを食べられた幼少期の感動を忘れられないだけなおだが、優にここまで否定されると悲しかった。

「次からは普通の甘味処へ行こうね、優」

 正一の言葉にこくりと頷く優。

「やっぱりあんころ餅にしとくよ。正一のおごりで」

「はいはい」

 優のためならあんころ餅の一つや二つや三つ、いくらでもおごりたい正一だった。


 大正三年夏、戦争が始まる。日本大帝国は連合国として参加した。若い男性はみな戦争に駆り出された。当然のごとく、正一にも召集令状が届く。その話をいち早く聞いた優が駆けつけた。優は窓をコンコン叩く。正一が窓を開けると、堰を切ったように優は正一に話しかけた。

「正一、召集令状が届いたって本当?」

「ああ、届いたよ」

 正一はなぜか冷静だった。戦争が始まったと聞いた時点でいつか呼ばれると覚悟していた。むしろ、遅いくらいだと思っていた。

「なんで正一が行かなきゃいけないの? 正一は私の横で笑ってたらいいんだよ!」

 周りに聞こえそうな声で言う優を正一はたしなめた。

「優、僕はお国のために行くんだよ? 生きて帰ってくるから」

 それを聞いても優は納得しなかった。

「そんなの保証はないじゃない!」

 自分の愛しい女性が泣きじゃくっているというのに正一は何もできずにいた。窓越しというのが良くなかった。目の前に立っていたら抱きしめられるのに。何もできないままでいると、泣き疲れたのか、優は下を向いたまま固まる。

「正一」

 彼を呼ぶ声は低めだった。

「帰ってきたら、結婚して」

 正一は嬉しすぎてすぐに返事ができなかった。優はそんな正一の気持ちを読み取れなかったらしく、泣き出す。

「なんで返事してくれないの?私が嫌なの?」

 こんなに感情をさらけ出す優を見て正一は慌てて返事をした。

「嫌なわけがないだろう。僕が先に言いたかっただけだ!」

 その言葉に優はハッとして顔をあげる。

「じゃ、じゃぁ、いいのね?本当に待っているからね?帰ってこなかったら一生一人でいるから」

 窓越しで話すのがつらくなって正一は外に飛び出ると、優を抱きしめた。

「必ず帰ってくる。一人になんてしない。待っていてくれ」

 正一は思い出していた。最初の人生でお夏が見せた笑顔を。初めは顔すら合わせてくれないかったものの、店を訪ねた時には帰るまで笑顔だった。しかし、風邪をこじらせて死んでしまった。戦争というものが正一たちにどんな未来を見せるか分からなかったが、一抹の不安はある。しかし、優への愛は大きい。

 日本軍は日英同盟を結んでいたため、イギリスのいる連合軍として参加していた。とはいえ、ヨーロッパの戦争。本来ならばそれほど影響はないはずだった。しかし、中国にはイギリスと対敵するドイツの基地があった。世界大戦に便乗して中国に二十一か条の要求を請求し、ドイツの権益を日本へ引き継ぐことなどを要求。中国の反日感情はいかばかりなものだったろう。

 正一の出征の日はあっさりとやってきた。見送りに集まった人々の中で、母と優が一番後ろで泣いている。

「近藤正一君の出征を祝って、万歳!」

 戦うことが正義とラジオで聞かされていた人々は本気でそう思いながら万歳をしていた。戦うことが正義。正一も少しそう思っていた。しかし、優は泣いている。優を泣かせたことだけ正一は後悔していた。優や母を泣かせる戦争というものは、本当に正義なのか。今更考えても変えられない、戦地へ向かうという未来を正一は顔には出さなかったが腹立たしく思っていた。


 正一が入った部隊は青島のドイツ軍の要塞を攻略するための攻囲陣地構築をする部隊だった。とにかく土を掘る正一。勉強ばかりしていたころにしていなかった作業で、ねをあげそうになる。また、夏ということもあって蚊が結構飛んでいた。正一の血がうまいのか、やたら刺された。

 攻囲陣地は豪雨被害にあい、流されたこともあった。正一の士気も下がる。なんだか、だるかった。こんなことをして何になると思い始めていた。しかし、上官の命令は続けることだった。重く感じる体を引きずるかのようにシャベルを使う。

 予定より一か月遅れたころだろうか。陣地は完成した。それと同時に正一は頭の中が真っ白になって倒れてしまう。

 四十度近い高熱を出していた。慣れない作業をしたこと、蚊に刺されたことも原因かもしれない。陣地が完成してから倒れるというのも律義な正一っぽい。

 正一はうなされていた。

「優、優はどこにいる…優、ゆう…」

 とにかく正一は優に会いたがっていた。出てくるのは優の顔。幼いころ、バタークッキーを食べていたらあっかんべーをして去っていく優。小学校の頃に筆の墨を顔につけて笑っていた優。ショートケーキを無理やり食べて気持ち悪がっていた優。そして、正一の出征が決まった時に泣き出した優。

 これは、走馬燈だろうか。人は死ぬ前に人生を振り返るというが。

 正一は気づいてない。お夏と呼んでないことに。

 そして、正一は大きく息を吸うと、もう動かなくなった。


 この戦争による日本兵の死者は二百七十名と非常に少ないものだった。しかし、その中に入ってしまった正一。正一の母から彼の死を聞いた優は泣きくずれた。

「嘘つき、正一の嘘つき!帰ってくるって言ったじゃない、あなた以外に夫は考えられないのに!」

 正一の母は優をなだめる手段を持ってなかった。

 幼いころからずっと一緒だった正一と優。正一ははじめこそお夏の生まれ変わりに出会ったと思っていたが、死ぬ時は優のことしか考えてなかった。前世の妙高が言っていた、あなただから愛した、を、貫いたのではないだろうか。

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