プロローグ
ああ、ため息が出る。僕の女神はどこにいるのだろう。
これが学生の呟きならば、ぐずぐずせずに前を向いて、未来のために勉強しろ、と、突っ込むところだが、これは高校教師の僕の想いだから、誰にも突っ込めない。
いつの時代でもそうだった。僕は女神を見つけていながら、いつも想いを遂げられずにいる。
ここでいう、いつの時代も、というのは少年時代、青年時代という意味ではない。これを言うと信じられないどころか変人扱いされるから誰にも言ってないが、僕には三百年程の記憶がある。今回で七回目の人生だ。何の因果かわからないが、毎回、日本で生まれ育ち、毎度同じ魂の女性と出会い、いろんな理由で別れ、僕は想いを遂げることができなかった。
七回目ともなると、いつ会えるのだろうという期待と、どんな別れ方をするのだろうという、始まる前からの諦めの気持ちが入り混じっている。
そんな僕は、今までの転生の記憶を生かすため、日本史の教師への道を選んだ。記憶があるからこそ話せる授業内容のおかげで、僕はちょっと人気のある教師になっているようだ。顔がもうちょっと良かったら女子高生の輪が絶えなかっただろうな、なんて思うのは、一途だけでない僕の煩悩。
きょうは春休みが終わってから最初の授業の日。予定表を見ると一年三組で一時限目からとなっている。…………僕のエンジンがかかるのは二時限目なんだけどな、と、思いながらコーヒーを喉に流し込んで立ち上がった。
歴史に興味を持たせるには、僕自身が一番興味を持っていることを知らせるのが一番というのが僕の持論。きょうは江戸時代の庶民の話をしよう。
始業五分前の鐘が鳴る。まさか最初の授業に遅刻する奴はいないだろうが、念のため、ゆっくり歩いてやるか。
教科書を持ち直したり、眼鏡をかけなおしたりしながら一年三組の教室に向かう。
教室に着くと、緊張した面々が席に着いていた。きょうはリラックスさせるのが目的だから、この緊張感はどうやって取り除いたらいいかな…………。
まずは出欠を取る。名前と顔を覚えるのは得意だ。顔はキャラクターや有名人に例えてみる。名前は似た語呂合わせや、今までに出会った人と絡めて覚える。これを知り合いに言ったところ、かえって混乱しないかと言われたが僕には最適な覚え方だ。
…………と。
席が一つ空いている。まさか、初日の授業に来ないとは、神経の太い奴だな。僕はため息をついた。
「渡瀬星蘭…………来てないね」
閻魔帳に印を付けて授業を始める。
「えー、きょうは日本史最初の授業と言うことで、まず、日本史が苦手だという人、手を挙げて」
僕が言うと、正直に手を挙げる子が数名いた。
「はい、下ろして。どんな教科でも全員が好きという教科はないからいいのです。ただ、今、手を挙げた子達が少しでも日本史を好きになるようにするのが僕の役目なので、きょうは順番を無視して江戸時代の庶民の生活の話をしたいと思います。受験に関係ないと思うかもしれませんが、深く歴史を知る上で興味を持って幅広く知識を得るということは非常に有意義ですよ」
ここまで話したところで、生徒達の反応は薄い。中には内職を始めるためか、寝るためか、教科書を立てて壁にしている者もいる。
「えー、江戸時代というと、時代劇を思い出す人が多いかもしれませんね。NHKの大河ドラマとか…………」
話しかけた僕だったが、聞こえてきた足音で話を止めた。僕は動揺していた。背中に電流が流れるかのようなこの感覚は、生まれ変わってその魂に出会うたびに感じていた。
ここで出会うなんて。今の彼女はどんな姿をしているのだろう。今までお見合いの話を断り続けてよかった。今度こそ、想いを遂げたい。
気持ちがあふれそうになって授業が止まっていることも忘れてしまっていた。そして、その足音は僕が授業している教室の前で止まり、扉がガラッと開いた。