第一話 魔法が使えないってどういうことだよ③
ようやく俺が家を後にしたのは、郁夏が家を出たその三十分後だった。
その大まかな内訳はこうだ。
ダー子をトイレに案内し、いつまでもその格好のままでは不便だろうと郁夏の私服一式を貸してやり(以前家に忘れていったもの)、その後水溜まりならぬ尿溜まりを掃除後、二階の自室で制服に着替え、話を聞くに行き場のない少女をこのまま追い出すわけにもいかず俺が帰ってくるまでおとなしく待つよう言い聞かせ、後ろ髪を引かれる思いで家を後にした次第だ。
ダー子一人を家に残していくのにかなりの不安を覚えつつ、しかし大丈夫だろうと高をくくった俺。泥棒ではなく家出少女というのもダー子の話や身なりから推理したためいまいち確信は持てないが、学校を休んで様子を見るという選択肢は郁夏の闖入によってあっさり打ち消されていた。
こうして学校に着いた俺は昇降口を潜り三階にある二年の教室へと足を運んだ。
開け放たれた引き戸の向こうには、女子の輪の中心で会話を弾ませる郁夏の姿があった。
あいつめ、さては俺の話をしてるんじゃないだろうな。
自意識過剰と思われても仕方のないことを慮り教室に足を踏み入れた瞬間、俺の行く手を妨げる太鼓腹があった。両手を大きく横に広げ、ここは通すまいと激しく息巻いている。
「フハフハハ! 聞いたぞう須藤氏。朝からスキャンダラスな、」
「邪魔だどけ」
「あふんっ」
眼前に立ち塞がるデブを容赦なく押し退けた俺は何の躊躇いもなく女子の輪へと入った。すると俺の姿を認めた女子たちが一斉にキャーキャーと騒ぎ立てる。
「来たわねプレイボーイ。あんたもなかなかやるじゃない」
「わたし意外だなー。まさか須藤くんが堂々と女の子を家に連れ込むなんて」
根も葉もない噂はパンデミック並みに広まっているようだった。積極的な女子が俺と密着しそうなくらい近付く。
「ねえねえ、一体ナニしてたのか教えてよ」
「また今度な。それよりこいつ借りてくぞ」
俺の存在にいち早く気が付き、女生徒の背中に隠れていた郁夏の首根っこを掴み、ずるずると引きずっていく。
背後から耳に届く修羅場ねという声が俺の不快指数をグッと引き上げる。
「ちょっともう、自分で歩くから離してよー!」
「駄目だ。そう言って逃げるつもりだろ。お前の考えることなんてお見通しなんだよ」
「ぶー」
頬を膨らませる郁夏のことは歯牙にもかけず着いたのは講義室前。ここならあまり人も来ないはずだ。
俺が歩みを止めるや、このタイミングを見計らっていたかのようにバッと俺から距離を取った。まるで獣のような俊敏さだ。
そしてすぐさま胸を隠すようなポーズを取った郁夏は、
「私をこんな人気のないところに連れ込んで一体どうする気!?」
そんな三文芝居を見たいがためにお前を連れてきたんじゃない。
俺がうんざりした顔を浮かべているのを見取ってか、被害者面した女は「たくもう乗り悪いなー」と頭の後ろで手を組んだ。
半開きの窓から入り込んだ風が肩ぐらいまで伸びた郁夏の黒髪を揺らす。
頭一つ分低い位置から整った顔が俺を見上げる。何か言いたそうにしていたが、俺から先に牽制球を投げることにする。
「乗りが悪くて悪かったな。それより郁夏、今朝見たこと手当たり次第話してんじゃねーよ」
「ワッツ? ワタシ、アメリカジンダカラ、ニホンゴワカラナイアルヨ」
せめてアメリカ人か中国人かで統一しろ。
いや? もしかしたらアメリカと中国のクォーター、あるいは中国人を装ったアメリカ人の真似かもしれない。そんな高度なギャグならむしろお手付きしたのは俺のほうになる。
まぁそんなことは昨日の天気並みにどうでもいいんだが。
郁夏に歩み寄った俺は、両手を上げ、挟み込むように郁夏の頬を引っ張った。
「悪びれることなく嘘を重ねるのはこの口か? ん?」
「ひ、ひひゃいかやひゃめへ~!」
「え? 気持ちいいからもっとやって?」
郁夏のやつ、一体いつからマゾ属性に目覚めたんだろう。要望通り上下左右に緩急をつけて引っ張ってやる。俺って心優しいなあ。
すると頬をつねる俺の手を叩き、ドンと胸元を突き飛ばされた。
「あんたは鬼か――っ!」
いや、人間だけど。
って、郁夏はそういうことを言ってるんじゃないよな。
「痛いから止めてって言ったんですけど! 聞こえなかったの?」
「聞こえなかった」
「なにー! ……なら仕方ないか」
あ、こいつチョロい。
「って、んな茶番はいいんだよ。朝の件は誤解も誤解、郁夏の思うようなことは何一つ起きてないんだ」
「私の思うようなことって?」
「言っていいのか?」
「あー……やっぱいいや。続けて」
「今朝起こった出来事を説明するとだ。早朝不審な物音で目が覚めた俺は音の出所である階下へと降りた。するとそこに見知らぬ女がいて、お前も見たローブを着たそいつが俺に魔法少女って名乗った」
「うん。それで?」
「終わりだ」
「終わり!?」
明日地球が滅亡すると聞かされたような反応を見せた郁夏は、すぐに大好きな猫を見たように冷静を取り戻した。
「翔太さあ、嘘つくならもっとマシな嘘つきなって。それじゃあ最近の中学生も騙されないようと思うよ?」
お前最近の中学生バカにしすぎだろ。
「だから本当のことなんだって。ステルスローブ? とかいうのを身に付けた自称魔法少女が……んん?」
急に首を傾げるレベルのふとした違和感を覚えた。なんだ、俺は何に引っ掛かった。考えろ。ステルスローブ、魔力のない者――――ああ、そうか。
ダー子は魔力がない者には視認できないと言った。賭けてもいいけど、郁夏に魔力なんてあるわけがない。にも関わらずダー子のことが見えていた。つまりあいつの発言は全くのでたらめということになる。
まぁ魔法少女の設定に関しては初めから信じちゃいなかったけど。
「――フハフハハッ!」
突如廊下全体に響き渡る笑い声。
「この身の毛もよだつような笑い方は――大門寺勉!」
「そう、それはこのオレ大門寺って、思いっきり本音漏れてるポロン!?」
廊下の突き当たりから俺たちの前に姿を現し、カラスに襲われるカルガモのように、せわしく手をバタバタと振る。
この威勢よく突っ込みを入れるやつこそ、先ほど俺の行く手を遮った男、大門寺勉に他ならない。
中学からの悪友で、毎回俺と同じクラスになることからストーカーの嫌疑がかけられている。その証拠に、今こうしてここにいるし。
そんなこいつを一言で言い表すとデブだ。あとメガネ。
「おしゃれのつもりか伊達メガネなんてかけている。絶望的に似合わないけど、それを本人に言うのは酷というものだろう。そればかりは俺の胸の内だけに秘めておくことにする。俺だけのささやかな秘め事さ」
「だから思いっきり声に出てるポロンッ! 学習能力皆無ポロンか!? それともわざと言ってるポロン!? 須藤氏よ、オレはフラジャイルだポロン。そんなに嫌味を言わないでくれポロン」
ポロンポロンうっさいな。
「どーしてほら吹きポロンがここにいるの?」
「フッ、よくぞ訊いてくれた水無月氏。それはオレがこっそりと須藤氏の後を付け魔法少女というワードが聞こえたため満を持して飛び出したからポロン!」
窓から差し込んだ光が大門寺を照らし、まるで後光がさしているように俺には見えた。
力強くガッツポーズ取ってるとこ悪いが、そろそろ警察に通報してもいいか?
一応説明しておくと、こいつは自室をグッズで埋め尽くしてしまうほどの極度の魔法少女オタクだったりする。口を開けば魔法少女の話ばかりで、俺はもう慣れたが、初めて会話をするやつには困惑され、辟易され、そして煙たがられている。そんなんだから俺と郁夏しか未だに話し相手もいない。
こうなった原因について、大門字本人から話を聞いたことがある。
こいつが言うには、小学生の時、本物の魔法少女に出会い、困っていたところを助けたのだという。その見返りとしてもらったのが魔導入門書と呼ばれるもので、一度見せてもらったことがあるけど、随分と古い書物で中は白紙だった。そして別れ際言われたのだそうだ。男は語尾にポロンを付けるのがアタシの世界のしきたりでイケイケの男の証であると。
それ以降、取り憑かれたように魔法少女を妄信してしまっているのが現状だ。
高校に上がってからも魔法少女に遭ったとばかり言うが、結局誰にも信じてはもらえず、ついたあだ名がほら吹きポロン。
真実とのたまう大門寺には悪いが、正直俺だって信じちゃいない。確かにいないよりはいたほうが刺激があっていいだろうけど、幽霊や超能力者がこの世にいないのと同じ理由で、魔法少女もまた存在するわけがない。今まで――もとい、中学に上がる前まで、そう思って生きてきた。
しかし今朝の出来事が妙に俺の心をざわつかせるんだよな。
――魔法少女、か。
「須藤氏、須藤氏」
呼ばれてるのに気が付き、弾かれたように顔を上げる。
「須藤氏の話から察するに、今現在も魔法少女と名乗る少女が須藤氏のお宅にいるということでよろしいか?」
「まぁ、そうなるな」
「それはなんという僥倖っっ!!!」
大門寺の突然の奇声に思わず二人して面食らう。
「やはり魔法少女はこのオレを見捨ててはいなかった! そして愛してる!!」
たまたま廊下の突き当たりからやって来た生徒が、大門寺をぎょっとした目付きで見るや、即座に来た道を引き返していった。できることなら俺もこの場から立ち去りたい。
「オレから須藤氏にお願いがある。放課後、須藤氏のお宅にオレを招いてくれ!」
「え、嫌だけど」
「ガッデム!!」
ジャーマンスープレックスしたみたいに一人で背中から廊下に倒れた大門寺。その際に大門寺の顔からメガネが外れカーリングの石のように床をなだらかに滑っていく。
「な、なぜだ須藤氏。オレたちの仲じゃないかっ」
郁夏のいる方向を見ながら、大門寺が言った。おーい、俺こっちだぞー。
「いやだってお前何するか分かんねえし」
「そんな曖昧な理由で人ひとりの願いを打ち砕かないでくれ! 後生だよぅ須藤しぃ~」
俺へと向き直った大門寺が、ゾンビよろしく俺の足にしがみついてきた。このままじゃ上履きを舐めんとする勢いだ。別の意味で気持ち悪い!
「まぁまぁ、ほら吹きポロンもこう言ってることだし、ちょっとくらい聞いてあげたってバチは当たらないと思うよー?」
俺の背後からひょいと顔を覗かせた郁夏が、ほいこれと大門寺が落としたメガネを差し出した。
「あ、ありがとう水無月氏……」
差し出されたメガネを受け取った大門寺が、俺から離れ廊下にちょこんと、いやずしりと正座した。反省してるつもりだろうか。
「いやだって考えてもみろ。あの大門寺だぞ? 万が一ってこともあるだろ」
ビクン、と肥え太った身体を震わせる大門寺は、静かに次の言葉を待っていた。最初の威勢もどこへやら、塩をかけられたナメクジのように今では完全に萎縮してしまっている。
その様子を見下ろす形で郁夏は、
「確かにそれは否定できないけどさあ」
いやそこは庇ってやれよ。
「なんなら交換条件とか持ちかけたら? 私らの得になるようなもんで」
「交換条件ねえ」
そんな即物的な考えを抱くこと自体、俺の性に合ったことではないが、いや待てよ。あれなら試してみる価値はあるか。
「おい大門寺」
「はいポロン」
「お前がいつも持ち歩いてるあの小汚い書物、あれを持ってこい。そうしたら家に上げてやってもいい」
「そそ、それは本当か? 須藤氏」
「ああ」
俺が頷くとすっくと立ち上がり、とても太ってるとは思えない動きで喜びの舞を披露した。汗が飛び散るから止めろ。
――俺の考えはこうだ。
持ってこさせた書物をダー子に見せてやり何らかの反応を探る。
別に双方の話を信じたわけじゃないけど、なんとなく、そうなった場合の化学反応が気になったからな。信じてもないのにこんな提案を持ち掛けるとは、いい加減俺も焼きが回ったのかもしれない。
「よかったじゃんほら吹きポポン!」
「あ、ポロンです。いやでも、これは水無月氏のお力添えがあったからこそ決まったとオレは思ってるんで。感謝しますぞ水無月氏」
「うんうんそうでしょうそうでしょう。本当に心の底から感謝してると思ってるのなら、私にお昼奢ってほしいな。学食にあるスタミナ焼肉定食でいいから」
「え? あ、はい……」
郁夏に矢継ぎ早に捲くし立てられ、たじろぎ屈服した大門寺。
こいつ初めからそれが狙いだったな。
最後まで抜け目のない郁夏だった。
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