第一話 魔法が使えないってどういうことだよ①
夢を見ていた。
久しぶりに見る夢では、何人もの魔法少女が悪党と戦っているようだった。黒装束を身に纏った、目に見えて分かる悪党。
それとは対照的に、フリルの施された煌びやかな衣装に身を包み、所謂魔法のステッキを振り回すその姿は幼少の頃に見た魔法少女と大変酷似し、夢の中だというのに俺のテンションは無性に高まっていた。
悪党を倒すと、今度は魔法少女同士での争いが勃発した。魔法少女が杖を一振りすると複数の魔法陣が展開し爆発が起きた。どう見ても穏やかじゃない。いやに臨場感がある。
きっと明晰夢なんだろう。そう思い自らの意思で魔法少女に手を伸ばすと、それに気付いた様子の魔法少女の一人が俺に手を伸ばし返してきた。だが指先が触れ合おうというところで魔法少女は瞬く間に霧散し、俺の差し出した手は虚しく空を切った。
――そこで俺の意識が覚醒した。
わりかし寝覚めの悪い俺なのだが、その時ばかりは興奮冷めやらぬといった様子で、多量のカフェインを直接脳に打ち込まれたように意識がはっきりとしていた。
覚醒した頭で、どうして今になって魔法少女の夢なんて見たのか自問自答する。
一、俺の通う学校に魔法少女オタクがいるから。
二、俺が空想上の存在と割りきった魔法少女に未だに未練があるから。
前者はあまり関係のないような気もするが、あいつがトリガーになってると思うと実に腹立たしい。
ならば後者か。俺が魔法少女はこの世に存在しないと結論を出したのは中学に上がってすぐの頃だ。
むしろその歳になるまで信じていたのかと痛いところをつかれそうだが、それこそ事実なのだから否定のしようがない。自分に嘘は付けないとそんな口八丁な台詞を言うつもりは毛頭ないが、少しばかり言い訳をさせてもらうと、今から六年も前に東京で起きた【東京タワー崩壊事件】の映像を観て、やっぱり魔法少女はいるんだと錯覚した。
その理由は、映像に映り込んだ魔法少女。鉛色の空に浮かぶいくつもの魔法陣。――そして爆発。
まるで俺が見た夢の内容そのものだが、まぁそれはいい。とにかくそんな世界をも震撼させた未曾有の大事件が起き、せっかく作った砂山を子供が一瞬にして壊すように東京タワーは呆気なく崩壊。港区を中心に被害が拡大し、多くの死傷者を出すに至った。
当時は魔法ないし魔法少女を見たという目撃情報、証拠となる映像がいくつもインターネット上にアップロードされ、新聞の一面を飾り、ニュースでも報道されたのだが、復旧作業中、科学的根拠が皆無であると政府が断じ、結果的に無差別テロということで決着。映像についても同様に、不謹慎な輩が面白半分に加工したデータが出回ったということで落ち着いたらしい。
このことは政府が無理矢理着地点を作ったと噂され、結局のところ真偽のほどが定かではないまま長い年月だけが流れたのだった。
東京タワー崩壊事件、か。あの夢と類似する点がないといえば確かに嘘になる。もしかしたらもう一度あの映像を観ろという天からの啓示だったりするのかもな。
そんな心にもないことを考えていると、階下から子供の跳ねるような音が俺の耳に届いた。
先に言っておくと、俺に兄弟はいない。両親も海外に出張中だし、近々戻ってくるなんて話も聞いた覚えがない。
俺は上体を起こしベッドサイドテーブルの端に置かれた目覚まし時計を見遣る。
時刻はまだ朝の六時を迎えたばかりだ。
一応この物音の原因になりそうなやつに心当たりはあるが、そいつにしてはやけに早い。
隠す必要もないから言うと、家が隣の幼馴染み、水無月郁夏だ。
あいつならうちの合鍵持ってるから自由に出入りすることができる。
だが郁夏にしては早すぎる。俺のほうから起こしに行くことはあっても、あいつが俺を起こしに来たことなんて一度もなかったはずだ。まぁ飯ならよくたかりにくるが。
もしかしたら最近よく来る宗教の勧誘員なんじゃないかとも考えたが、いくらなんでも人の家に押し入るなんて真似、するわけないよな。もし敢行していたら恐怖以外の何物でもない。即通報レベルだ。
しかし郁夏でも、ましてや両親でもないとすれば、消去法で考えて――――泥棒、か。
ゆるがせにできない答えを導き出し、俺はこめかみの辺りを押さえる。
泥棒……確かにそれなら納得がいく。まだ四月の下旬だというのに、昨日は息詰まるような蒸し暑さだったからな。エアコンは意地でもつけるまいと窓を開け、寝る前に戸締りをした記憶はあるから、もしかしたら見落としがあったのかもしれない。
だとしたらなんて間の悪さだ! 俺はバカみたいに半口を開け頭を抱えた。
だが今はそんなことをしている場合じゃない。反省は後回しに俺はゆっくりとベッドから降りる。窓から差し込む朝の燦然とした光に目を眇めながら、音を立てないように部屋を出て、そっと階下の様子を伺う。
ギシ……ギシ……
やっぱり聞こえる。床が軋む音だ。それに、どこか周りを警戒するような慎重さを孕んでいるようにも感じられる。
心のどこかでは、泥棒? いやいや、うちに限ってそんなはずないと楽観視していたが、いよいよ真実味を帯びてきた。空き巣対策に敷いた防犯砂利も念には念をと貼った防犯フィルムもこれでは何の意味もない。
足音が風呂場の辺りから居間へと移った。どうする、警察に通報するか? いや、まだ早い。俺の有りもしない第六感が警鐘を鳴らしているが、できることならこの目で真実を確かめてからにしたい。……俺の悪い癖だな。
口元に自嘲の笑みを浮かべ、すぐに気を引き締めて階段を下りる。万が一のため、武器になりそうなものを持っておいたほうがいいとも考えたが、やはり信じられるのは己の肉体のみだ。あったほうがマシなんて付け焼き刃的な考えを抱くくらいなら初めから何も身に付けないほうがいい。
階段を下りた俺はリビングへと繋がる扉の前。扉は完全に閉まりきっておらず、中を覗き込めるくらいの隙間が開いていた。
細心の注意を払い、人の気配が感じられる室内を覗くと、白いローブを纏った人物が冷蔵庫の前に立っていた。見るからに怪しい。この格好のまま街中を歩いていたら職質は免れないだろう。フードを隠れてしまっているため、顔を確認することはできない。
その人物は冷蔵庫を開けようとしていたが、片開きと勘違いしているのか、あるいは本当に開け方が分からないのか、一向に開く気配のない観音開きと格闘を続けていた。観音開きの冷蔵庫が対泥棒用として機能するのは日本中探してもうちくらいなものだろう。
というか、冷蔵庫に金目の物なんて入ってないぞ。
俺は再度襟を正してから、息を殺しておそるおそるリビングへと踏み入る。盗人が冷蔵庫に気を取られてる今がチャンスだ。奇襲をかけて取っ捕まえてやる!
泥棒はそっと背後に忍び寄る俺に気付くことなく、代わりに冷蔵庫の開け方には気が付いたようで勢いよく扉を開け放った。
開けた瞬間、冷蔵庫独特の匂いが鼻を突き、ひんやりとした冷気がたちこめる。
「――ふむ、これはなかなかどうして興味深い」
俺の頭一つ半低い位置から、どこに興味を惹いたのか泥棒が感嘆の声を漏らした。そんな珍しい食品を入れた覚えはないんだけどな。いやそんなことよりも。
俺の推測が正しければ、こいつは女に違いない。身長も中学生よりあるか分からないし、声は幼く透き通るように綺麗だ。
……今更ながら、俺はとんでもない勘違いをしてるだけなんじゃないだろうか。泥棒ってのはただの思い過ごしで、実はこの子は俺の両親がここに来るように指示した隠し子とか。
こんな馬鹿げた発想をする自分に思わず苦笑しそうになるが、有り得ない話じゃないのが我が両親ながら恐ろしい。
「……おい!」
俺の呼び掛けに、冷蔵庫の中を物色していた人物の手がピタッと止まる。そしてギギギとロボットのような動作で声のするほう、つまりは俺へと振り返った。すると至極当然目が合う。
その人物は案に違わず美少女だった。そう形容してもいいだろう。丈を間違えたようなローブを纏っているため顔だけしか視認できないが随分と幼い。
俺が初めに思い浮かべたのはフランス人形だった。
綺麗に整った顔立ち。色白の肌に、くりっとした目。そんな瞳を縁取る長い睫毛。フードの中に隠れてしまっているが、相当ボリュームのありそうなミルク色の髪。
少女は驚きに目を見開くと、何を言うでもなく俺を値踏みするような目付きで見、うおっ!?
予備動作なく繰り出された拳を間一髪のところで回避する。
いきなりのことに激しく動揺するもすぐに二の矢が放たれた。問答無用で殴りかかる少女の一閃を避けた俺は反射的に少女の手首を掴むと足払いをかけ、バランスを崩しすっ転んだところを強引に押し倒した。習っててよかった護身術。過剰防衛だとは言ってくれるなよ。
「くっ……!」
開いた口から漏れ出る声と、苛立ちに吊り上った目。眉間に寄ったしわを見るに焦燥に駆られているようだった。
「――痴れ者が! この薄汚れた手を即刻離せっ!」
「は……は?」
突然の燃料投下。理不尽めいた一喝に、みるみるうちに困惑が怒りへと転化する。
「てめ、どの口が言うんだよそれを。ここは俺の家でお前は不法侵入…………」
目が点になるという状況を客観的に捉えるとしたら正しく今を指して言うべきだろう。
加えて、俺の声が尻すぼみになったのにはちゃんとした理由がある。
何の気なしに下げた目線の先、押し倒した拍子にローブのボタンが外れたのか、思いっきり胸が露になっていた。
別の言い方をすれば、乳房、大胸筋、おっぱいと様々な呼び名がある。というのはさておき、ブラジャーがないことにより、さくらんぼのような先端が完全に見えてしまっていた。
小学生のような見た目とは裏腹に、成長期などとっくに終わったと言われても信じてしまえるほどのバストサイズだった。これが噂に聞くロリ巨乳というやつか。確かに需要がある。本物は初めてみ、
「――くぁせふじこ!?!」
突如、味わったことのない激痛が俺の股間を襲った。どうやら股間を蹴り上げられたらしかった。息子が焼け付くように痛い。
情けない格好でうずくまり股間を押さえる俺から距離を取った少女が、はだけた胸元を隠し肩で息をしていた。
悶絶しそうになる痛みを我慢して見上げると、少女がゴミを見るかのような冷え切った目で俺を見下ろしていた。まるで凍えた大気のようだ。本当に冷たいのは冷蔵庫が開きっぱなしになってるからか。
「お、まえ……っ! いきなり何てことしやがる!」
「蛮行を働く下郎には然るべき報い。むしろ処されないだけマシと思え」
「ば、蛮行だとォ? 元はと言えばそっちが先に仕掛けてきたんだろうが。これはれっきとした正当防衛かつ不可抗力だ」
「言うに事欠いて不可抗力ときて、あまつさえ正当防衛とは底が知れる。――これ以上喚くな。余計に醜態を晒すだけだぞ」
少女はまるで事務的に人形めいた表情でそう諭した。
その言葉に含まれていたのは、分かりやすいくらいの――――拒絶だ。
……いや待て。どうしてこの家の家人である俺をさしおいて不法侵入のこいつが偉そうなんだ。冷静に考えておかしいだろ。
それにこのアマ、ちんちくりんのくせに――胸だけは一丁前に育ってやがるが――小難しい言葉並べて俺を煙に巻こうとしやがって。
このまま俺がご忠告ありがとうございますと負け犬が如くすごすご引き下がると思ったら大間違いだぞ。俺を怒らせたらどうなるか、その身体でたっぷりと味わうがいいわぁ!
住居侵入罪と強制わいせつ罪じゃどっちの方が罪が重いのだろうと考えながら、俺は少女のたわわな胸を揉みしだくべく、意を決し手をわきわきとさせ――
「――お前」
と明らかに俺を指して言ったことに気が付き、サッと手を引っ込めた。もし今何をしようとしたと訊かれたら、ナニをしようとしたと当たり障りのない返答で誤魔化そう。
「お前、名は何という」
しかし俺の挙動はどうでもよかったようで、代わりに訊かれたのは俺の名だった。
少女の誰何に五秒ほど悩んでから、俺は「モンバーバラ藤岡」と名乗った。
因みに勘違いのないように言っておくと、俺の本名は須藤翔太である。
「モンバーバラ藤岡」
思わず誰だそいつと突っ込みそうになり、ああ、そうだ。俺がモンバーバラ藤岡なんだった。
「何だ?」
「お前はこの世界の人間で相違あるまい。なぜわたしの姿が視認できる」
「なぜって、質問の意味するところがこれっぽっちも分からないんだが」
「御託はいい。結論だけ述べよ」
「見えてるに決まってんだろ。じゃなかったらこうして会話なんかできねーよ」
俺の返しに「やはりか」と意味深なことを言い、つっと目を細める。
わたしの姿が視認できる? そりゃ見えるだろ。そんな日常会話から大きくベクトルのずれたことを言うやつは大抵頭がおかしいと相場が決まってる。
それになんだその言い方。まるで自分がこの世界の人間じゃないみたいじゃないか。
そんな俺の考えを見透かしたように、目の前の少女がククッと喉を鳴らした。
「なるほど、お前のような例外も有象無象の中にはいるんだな。つまるところ《目覚めし者》と同義か」
別に一人で納得するのは構わないが、そんな謎の固有名詞出されても会話についていけないだけだぞ俺が。
今更ながら、どうしてそんなことを訊くのか言うと「わたしが魔法少女だからだ」と存外あっさり返された。
「まほ……は?」
「こことは異なる世界 《レリーラ・ファクト》から、ある目的のために転送された魔法少女の一人だ。微弱ながら魔力の反応を感知したためここに足を運んだ。鍵が開いていたため侵入は容易だった。わたしの世界ではとても考えられないな。老婆心ながら言わせてもらうと、杜撰なセキュリティ体制を改善した方がいい」
聞いてもないのに情報を開示していく少女に余計なお世話だと肘鉄を食らわすことはできず、俺は今しがた耳にした魔法少女という単語を反芻する。
これは偶然か、はたまた必然か。
クラスの魔法少女オタクが絡んでくることを除いて、五年もの間敬遠していたはずの魔法少女を夢で見、あろうことか名乗るやつに出くわすとは。
……飢えているのかッ、俺は。魔法少女に。
俺はもう高二だぞ。小学生じゃないんだ。こんないい歳したやつが魔法少女だいしゅき☆なんて言ってたら変人以外の何物でもねえ。そしてその変人には死んでもカテゴライズされたくない、俺は。
ほとんど直接的にクラスメイトの一人をディスった俺は自称魔法少女である少女を注視した。
見た目だけで言えば満点なんだが、いかんせんこの素性の知れない女の処遇をどうしようか。
おそらく、いやほぼ高確率で魔法少女と偽るこいつの正体は腹を空かした家出少女とかで、俺に見つかったから魔法少女の設定で乗り切ろうってハラなんだろう。
最後までその設定を貫き通そうとする心意気だけは汲んでやるが、忍び込んだ家が悪かったな。俺は相手が女子供だからって容赦はしねえ。
だが、情状酌量の余地くらいはくれてやってもいいだろう。
「百歩譲ってお前が魔法少女だとして、魔法少女なら俺に魔法見せてみろ。魔法と認識できるものならなんでもいい。もし披露できたらお前の話を全面的に信じて」
「それはできない」
食い気味に拒否られた。
「いや正確には現状において使用することができないと言うべきなんだろうな。転移の際、事前にやつの動向を察知し、あそこでわたしが下手さえ打たなければ……」
眉間にしわを寄せた少女は後悔するような面持ちのまま、視線を床へと落とした。
なんだろう。家出の決め手となった両親との喧嘩でも思い出してんのかな。本当に家出したのかまだ分からんけども。
ふと、疑問が脳裏をかすめる。
「そういやお前、なぜわたしの姿が視認できるとか抜かしてたが、逆になんで見られてないと思った」
「それは、今わたしの着衣するこれがステルスローブ――魔力のない者から視認されなくなる物だからだ」
「ステルスローブ? 魔力のない者?」
復唱すると少女は特に反応を示すわけでもなく話を続ける。
「だから、むしろ驚いているのはわたしのほう。事前情報ではこの世界の人間は魔力を持たないと聞いた。故に、なぜ魔力のないお前がわたしを視認できるのか、甚だ不思議でならない。意味不明」
そう言って探りを入れるような目付きで俺のことをじっと見つめだす。
当然後ろめたいことなど何一つないはずなのだが、この少女に見られていると何か悪いことをやってしまったのではないかという気持ちになってくる。
そんなありもしない錯覚を振り払い、負けじと見つめ返すと、少女の桜色の唇が開きかけ――――ぐぅぅうううううう?
「……っ!」
一瞬にして羞恥に染まる頬。それは少女の凄まじくでかい腹の音だった。聞かれたのがよほど恥ずかしかったのか、そそくさとフードで顔を隠す。目深に被ったフードの奥からこちらを気にするようにちらり瞳を覗かせる少女。
そんな年相応の反応は見ていて微笑ましいものがある。
「……あー」
なんとなく気まずい空気がこの場を満たし、頭頂部の辺りをポリポリと掻いた俺は、
「とりあえず、なんか食うか?」
俺の問いに少女は小さく首を縦に振った。
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