81.よしよし
※焔の逡巡(後)は次かその次か、です。
「あっ、焔?」
「誰か待ってたのか?オレ、後にした方が良いか?」
「了輔君。ごめん…素で間違えた……」
―『つきの都』滞在二日目。
初日が結構濃かったから、まだ二日目かぁ、という感覚の方が強いけど、まだ滞在二日目である。
にも関わらず、ここで呼び間違えるという体たらく。
私は、思わず溜息をついた。
辺りを見回すと、散歩にでも行ったのか、それとも何か用事でも言い渡されたのか、双子の姿はなく、布団は綺麗に整えられている。
どうやら、私が一番最後だったみたいだ。
時計を見ると、時間は七時を少し過ぎた位だ。
朝食に関しては、八時に皆で集まって食べる事になっているから余裕である。
状況の把握を終えた私は、テキパキと服を着替えながら、部屋の外からかかって来た声へと語りかける。
「今着替えちゃうから少し待っててくれる?」
「おう。朝早く押しかけたオレが悪いんだから、気にすんな」
昨日知り合ったばかりの了輔君は、何とも気遣いの上手い良い子だ。
私は、ほっこりとした気持ちになりつつ、急いで袖を通す。
いずれにせよ、待たせるなんてナンセンスだしね。
「お待たせしました」
「いや、全然。…って、布団ちょっと片付けたのか?オレ達の仕事なんだから、客のオマエがやる必要ねーのに」
扉を開くと、一瞬中に視線をやった了輔君が、驚いたように言った。
私も合わせて軽く振り向くと、そこには綺麗に敷き直された布団が。
これって、完全に放置して行くのが正しいのか、良く分からないよね。
何か、畳み直すと手間が増えるからやらない方が良いって聞いた事あるけど。
「迷惑だった?」
「いんや。ふるさんのオバチャンは、お客さんの心が見えて嬉しいって言ってたから、オマエが良いんなら、良いんじゃねーの?」
「……ふるさん?」
「あれ、言わねぇ?ふるさん」
誰なんだ、ふるさん。
古川さんとか、古谷さんとかだろうか。
まぁ細かい所は良いか。
それにしても、了輔君マジで良い子だわ。
従業員の人とも仲が良いって、素晴らしくないか?
オレ達の仕事、って言ってる辺りからも、ちゃんとお手伝いしてる様子が感じられて、何だか胸が温かくなる。
このキリッとしたヤンチャ系の三白眼も良い感じだよね!
私の周辺、涼やかなイケメンが多いから。
あと美少女ね。
「ところで、さっきオマエが呼んでた焔って、確かかぐやが好きだ好きだ言ってる男だよな。来てんの?」
「うん、多分その男。…でも、残念ながら来てないよ。かぐちゃんから聞いてないの?てっきり、昨日の内から聞いてると思った」
「いんや。昨日のアイツは荒れてたからな。状況なんて聞いてるよゆーはなかったぜ。かぐやの事知ってんなら何となく分かるだろ?」
「……そうかも」
茶化したように笑う了輔君に、私は苦笑を返す。
かぐちゃんはねー。
私にとって唯一と言っても良いレベルの、苦手な子だからなぁ。
あっ、だから嫌いじゃないんだよ?
ただちょっとね、粘着質な所がね。
怖いかなー、なんてね。
「一緒じゃないんなら、何で呼んだんだ?」
「ああ、いや…ちょっと間違えちゃって」
「なに、そいつオレと似てんの?」
「似ては…いないかな」
「なのに間違えたのか?」
「うん。ごめんね」
「そうかぁ…」
随分掘り下げるね、了輔君!?
そんなに気になる所があっただろうか。
怒っている様子ではないし…好奇心かな。
でも、そんなに探究心旺盛、という風にも見えないんだけど。
若干反応に困っていると、了輔君が突然ガシガシッと私の頭を撫でて来た。
えっ、唐突にどうした!?
「オマエ、そいつがいなくて寂しいんだな。察してやれなくてゴメンな!」
「えっ!?べ、別にそういう訳じゃ…」
「強がるなって。いないの分かってて思わず呼んじまうって事は、オマエにとってそいつが頼れる存在って事だろ?そいつがいないのが寂しくないワケがねぇ!」
「え、えええ?」
何で断定的に言ってるんだろう…。
結構な力で頭を撫でられてるから、顔が上げられなくて了輔君の表情は見えないけど、私には分かるぞ…。
今、相当なドヤ顔してるでしょ。
見なくても分かる。
「ヨシヨシ。今日はオレも一緒にいてやるからな。寂しくないぞ!」
「う、うーん。迷惑になるから気にしないで」
「遠慮すんな!弱ってる女には優しくしろって、母ちゃんにいつも言われてるからな。あと、空気を読んで…なんだっけ。……あ、そうそう。先んじて行動せよ!とかだったな。あと、押しつけがましくなるなーとか」
「す、素敵なお母さんだね」
「ああ!ここの従業員で一番人気だった父ちゃんを腕っ節で仕留めた強者だぜ」
…仕留めたんじゃなくて、射止めたんだよね?
了輔君の言い間違えですよね??
仕留めた事も非常に気にかかるけど、それ以上に気になる事がある。
私は、思わず目を見張ってしまった。
「私、そんなに弱って見える?」
「おう。でも、オレがいれば安心だぜ。オレほど気の利く良い男はいねぇって、父ちゃんもほめてくれてたからな!」
「あはは…そうなんだ」
グリグリと頭頂部を撫でられ続ける。
これ多分、私じゃなかったら結構首痛くなってたと思う。
ちょっと頭頂部、熱を帯びて来たし。
でも私の首はちょっとやそっとじゃ壊れませんから。
伊達に鍛えてないから、まったく痛くない。
「ヨーシヨシ。よくガンバったな!」
了輔君の手から逃れる事は、いつでも出来る。
やらないのは、気持ちが嬉しいからだ。
だって、おかしい。
了輔君の心配は、見当違いのはずだ。
私は、焔の心配をしているのは、あの子の元気がないからだ。
ハーレムだ!とか言い出す位、元々はナイーブな子みたいだし、弱ってる時に、一人だけ置いて来たら、更に弱ったりはしないか。
それが気になっているからだ。
なのに、了輔君の言葉に、少し落ち着いてしまっているのを認めてしまったら、それって、私の方が、弱っていると認める事になってしまうじゃないか。
それは、良くない。
だって、そうじゃなきゃ、誰が、焔を守ってあげるんだろう。
「あー!!」
「了輔さん!?何をなさってますの!?」
「!」
「お」
何故か目がしらが熱くなって来た丁度その時。
左右から悲鳴にも似た大声が聞こえて来た。
驚きからか、撫でる手がピタリと止まる。
私は、これ幸いと、そそくさと距離を取り、左右を見た。
「ちょっと!俺のお嬢に何やってんの、君!?」
「余所の家の淑女の頭を撫でるのは、マナー違反だ…」
一方には、震える指で了輔君を指す、愕然とした表情の臣君と、何か物凄い爽やかな笑みだけど、背後には何か般若みたいなのを背負う雅君。
「あ、朝から瑞穂様のお部屋を一人で訪ねるだなんて…不潔ですわ!」
もう一方には、顔を真っ赤にしながら両頬に手を当て、わななくかぐちゃん。
…双子はともかくとして、何をどう勘違いしてるんだろう、かぐちゃんは。
不潔って、何故に。
「ん?オレ、なんかマズイ事したか?」
「さ、さぁ?」
責められている当の本人は、目を丸くして首を傾げている。
ほら、善意百%ですよ。
大人になったら二度と戻れない時期ですよ。
まぁ、了輔君はこのまま大人になりそうだけどね。
……頼むから、このまま成長しておくれよ?
「こんな朝早くからお嬢に何の用?」
「お嬢様への用事ならば、僕達を通してもらわなくては」
「うおっ!早!!オマエら忍者かよ!?」
気付くと、目の前には大きな背中が二つ。
今の一瞬で、了輔君との間に割り込んで来たらしい。
それを確認してか、かぐちゃんも慌てて駆け寄ってきて、了輔君の腕を引っ張って、私から遠ざけようとする。
双子のスピードに驚きつつも、何も悪い事をしたとは思っていない…実際特に悪い事はしてないしね…な、了輔君は、困惑気味に視線を彷徨わせている。
「了輔さん!あれ程私、申し上げましたわよね。瑞穂様の元へ行く場合には、私に言ってからにして下さいって!」
「あれ、そうだっけか?」
「そうですわ!まったく…細かい所が抜けているんですから…」
「あはは、悪い悪い!」
ケロッとした表情で笑う了輔君、大物かもしれない。
ドス黒オーラをまとうかぐちゃんに対して、あんなにフランクに喋れるとか、羨ましい限りだわ。
しかも、そのテンションで双子に向き直るし。
つ、強い…なんてメンタルだ。
「で、何聞かれてたっけ?」
「何の用事で来たのか、と聞いた」
「そうそう」
「あ、それ私も聞きたかった」
すっかり忘れていた。
最初私も聞いたのに、話が完全に逸れてたね。
いかんいかん。
「用事?……って、あれ…………忘れちまった!あはは」
ちょ、ええええ!?
忘れたのか!
思わずあんぐりと口を開ける私達。
爆笑する了輔君。
呆然とした顔の雅君って貴重だね…って、そこじゃないわ。
何か、私に用事があっただろうに、忘れたって言われると逆に気になる。
私はソワソワした気持ちを抱きながら、臣君とかぐちゃんに叱られる了輔君を眺めていた。
同時に、私は、どこかホッとしている自分に気付いていた。
あれ以上、純粋な了輔君の言葉を向けられていたら、何か、私にとって不利益な事が見えて来てしまいそうだった。
それが、とても怖くて。
でも、見えなければ、気付かなければ……思い出さなければ。
それは、無いのと同じ事だ。
気付かなければどうという事はない。
私は、朝食だと旅館の人…了輔君曰くのふるさんのオバチャンが呼びに来るまで他愛の無い話を続けて、そんな違和感に蓋をするのだった。
……あ、因みに。
ふるさんって、古参の事らしいよ。
オバチャンが言ってた。